宮城(読み)きゅうじょう

精選版 日本国語大辞典 「宮城」の意味・読み・例文・類語

きゅう‐じょう ‥ジャウ【宮城】

〘名〙 天皇のすむ所。御所。内裏。特に、東京奠都後は江戸城を皇居として、宮城と称したが、昭和二一年(一九四六)以降は皇居と称する。
※続日本紀‐養老二年(718)一一月癸丑「始差畿内兵士、守衛宮城

みやぎ【宮城】

[一] 宮城県中部の郡。古くから陸奥国の一郡として成立。
[二] 「みやぎけん(宮城県)」の略。

みやぎ【宮城】

姓氏の一つ。

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デジタル大辞泉 「宮城」の意味・読み・例文・類語

きゅう‐じょう〔‐ジヤウ〕【宮城】

天皇のすむ所。特に、明治21年(1888)旧江戸城を宮城と称してから、昭和21年(1946)までの皇居の称。
[類語]皇居御所宮中内裏宮廷禁中禁裏畏き辺り王城大内山雲上雲の上九重ここのえ行宮あんぐう

みやぎ【宮城】[地名]

東北地方中部の県。太平洋に面する。県庁所在地仙台市。もとの陸前の大部分と磐城いわきの一部にあたる。人口234.8万(2010)。

みやぎ【宮城】[姓氏]

姓氏の一。
[補説]「宮城」姓の人物
宮城まり子
宮城道雄

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改訂新版 世界大百科事典 「宮城」の意味・わかりやすい解説

宮城[県] (みやぎ)

基本情報
面積=7285.76km2(全国16位) 
人口(2010)=234万8165人(全国15位) 
人口密度(2010)=322.3人/km2(全国19位) 
市町村(2011.10)=13市21町1村 
県庁所在地=仙台市(人口=104万5986人) 
県花ミヤギノハギ 
県木=ケヤキ 
県鳥=ガン

東北地方中部,太平洋側に位置する県。北は岩手県,北西は秋田県,西は山形県,南は福島県に接する。

県域はかつての陸奥国,明治の分国以後は陸前国の大部分と磐城(いわき)国北部にあたり,江戸時代は仙台藩伊達氏62万石の領地であった。1868年(明治1)奥羽越列藩同盟の盟主となった仙台藩は,戊辰戦争敗北後,新政府によって一時領地を没収された。同年末,陸奥国が5国に分割されるとともに,仙台藩が仙台を中心に28万石に削減されて復活,旧領北部は土浦藩,宇都宮藩,高崎藩に預けられ,南部には盛岡藩が移されて白石(しろいし)藩となった。翌69年預領はそれぞれ涌谷(わくや)県(のち登米(とめ)県と改称),栗原県,桃生(ものう)県(のち石巻県)となり,白石藩が旧領に帰封された後には白石県(のち角田(かくだ)県)が置かれた。さらに栗原県は登米県に一部を編入したのち胆沢(いさわ)県に合併したが,翌年登米県は旧栗原県域と石巻県を併合した。71年の廃藩置県により仙台藩は県となり,同年末,角田・登米両県を併合,その際登米県北部の玉造郡ほか3郡を一関県(のち水沢県,磐井県と改称)に移管した。72年仙台県は宮城県と改称し,水沢県から玉造郡を編入,75年再び磐井県に移管したものの,翌76年4郡ともに再編入した。また同年宮城県南部4郡は磐前(いわさき)県に編入されたが,まもなく宇多郡を除く3郡が宮城県に再編入されて,現在の県域が確定した。

素山(そやま)貝塚(遠田郡美里町)は縄文時代早期の素山Ⅱ(上層)式の標式遺跡。大木囲(だいぎかこい)貝塚(宮城郡七ヶ浜町)は縄文前期~後期中葉の鹹水性貝塚集落で,大木1式から大木10式までの計13型式の標式遺跡,沼津貝塚(石巻市)は縄文前期~終末期の貝塚。宮戸島遺跡(東松島市)は梨木囲,寺下囲など縄文前期から平安時代に至る大小の貝塚群からなる。

 福浦島貝塚(宮城郡松島町)では沈線による変形工字文や大型の山形文を特徴とする土器が出土し,大洞A′式の伝統をとどめたこの地域最古の弥生土器として,特に遺跡名をとって福浦島式土器と呼ばれる。桝形囲(ますがたかこい)貝塚(多賀城市)は弥生時代中期の桝形囲式の標式遺跡。南小泉遺跡(仙台市若林区)では磨消縄文による連続山形文など典型的文様をもつ桝形囲式土器多数が出土し,石庖丁や片刃石斧など弥生文化特有の石斧群を伴出している。

 雷神山古墳(名取市)は主軸長168mと東北地方最大で,5世紀代の前方後円墳である。3段築成で埴輪,葺石(ふきいし)をもち周濠も備える。遠見塚(とおみづか)古墳(仙台市若林区)も主軸長110mで東北地方第3位,5世紀代前半の前方後円墳。亀井囲横穴墓群(大崎市),追戸・中野横穴墓群(遠田郡涌谷町),善応寺横穴墓群(仙台市宮城野区)など7世紀後半から9世紀ごろを中心とする横穴墓群も少なくない。

 多賀城(多賀城市)は8世紀前半ごろ征夷行動の拠点として仙台平野北端に建設された。東北地方でも最重要の遺跡として1961年以来組織的調査が続行され,構造などの面で多くの知見が得られている。陸奥国分寺址(仙台市若林区)は多賀城の南西約9.5kmに位置し,発掘調査の結果,伽藍配置なども明らかになっている。大沢瓦窯址(宮城郡利府町)は多賀城,陸奥国分寺と関連する平安時代前期の瓦窯址。天平(てんぴよう)産金遺跡(遠田郡涌谷町)は六角瓦製宝珠などを出土した奈良時代の遺跡。名生館(みようだて)遺跡(大崎市)は多賀城の北35kmにあり,発掘の結果,8世紀初頭とみられる政庁跡である。
陸奥国
執筆者:

ほぼ南北方向をとる地形の配列から,産業配置は東西の対照が大きい。西部の山形県境に沿って奥羽山脈が,東部には北上・阿武隈両高地がともに南北に走り,北上高地の東は太平洋に面するリアス海岸となっている。東西の山地の中間には丘陵群と沖積平野とが広がる。1000m以上の標高を有する奥羽山脈は東北地方の東西を分かつ脊梁をなし,これに並行して栗駒山,蔵王山など1500m以上の火山が並ぶ。脊梁の鞍部にある鍋越峠,堺田峠,関山峠,笹谷(ささや)峠,二井宿(にいじゆく)峠などは,近世には太平洋側地方と日本海側地方とを結ぶ重要な交通路であった。東側山麓はブナを主とする広葉樹の林業地域であり,七日(なのか)原や薬萊(やくらい)山では酪農も盛んである。また山麓には全国有数の鉛・亜鉛鉱山の細倉鉱山があったが,87年閉山。栗駒,鳴子(なるこ),秋保(あきう),青根,遠刈田(とおがつた)などの温泉に恵まれる。荒雄岳南西麓の鬼首(おにこうべ)には吹上,雄釜,雌釜の間欠泉があり,地熱発電も行われている。

 東部では北から北上高地が南へ伸びて牡鹿(おしか)半島に至り,南東には阿武隈高地があって,ともに丘陵性地形を示す。両高地にはさまれて,標高200m以下の丘陵と広義の仙台平野が広がり,ほぼ中央に位置する松島丘陵を境に北は仙北平野,南は仙南平野と呼ばれる。古くから水田に利用され,現在でも全国有数の穀倉地帯となっている。仙台をはじめ古川,石巻,白石などの都市が発達し,第2次・第3次産業が活発で,人口も集中している。

 海岸は北東部のリアス海岸と単調な仙台湾沿岸とに分けられる。北上高地が太平洋に接する北東部は,沈降して屈曲に富み,多くの岬や半島と,狭長な気仙沼湾,唐桑湾や,らっぱ状に開いた志津川湾,追波(おつぱ)湾,女川(おながわ)湾などがある。これらの湾内は1933年の三陸地震や60年のチリ沖地震などで津波による大きな被害を受けたため,その後沿岸や湾口には防潮堤が建設された。牡鹿半島にゆるく囲まれた仙台湾岸はおもに砂浜海岸からなり,中間に支湾の松島湾がある。260余の島々が点在する松島湾は,開析された松島丘陵の一部が沈水したもので,国の特別名勝に指定されており,観光の名所となっている。

 気候は太平洋の影響を強く受け,奥羽山脈の西側に位置する山形県とは対照的である。仙台市の年平均気温は11.6℃,年平均降水量は1245mmで,夏は温暖で雨が多く,冬には晴天が続き降水量の少ない太平洋側型の気候を示す。西部山間地域は冬季に北西季節風の影響により降水量が多く多雪地域をなす。海岸地方のうち牡鹿半島から北の背後に北上高地を背負う地域は,太平洋の影響が特に大きい。1月の平均気温は0.3℃以上で暖かく,沿岸には八景(やけい)島,椿島,唐桑半島など暖帯性のツバキタブノキの自生地がみられる。

宮城県は第1次産業の就業者比率は8.6%(1992)で東北地方では最も低いが,水田面積,水稲収穫量はともに北海道,新潟県,秋田県に次いで第4位(1995)の米作県である。水田は耕地の80%を占め,おもに仙北平野,仙南平野など諸河川の流域や海岸平野に分布する。とくに仙北平野の大崎地方は山形県の庄内平野と並ぶ米作地域で,大崎市の旧古川市で育成されたササニシキは優良品種として宮城県のみならず東北各県に普及している。ササニシキは銘柄米としての評価が高いため,生産農家は自主流通米として販売することを好み,その量は東北では最も比率が高い。単位面積当り収量も全国上位を占めるが,1980年からは3年連続の不作に,また93年には全国的な大凶作に見舞われた。本来,オホーツク高気圧の影響で〈やませ〉と呼ばれる北東風が卓越すると日照不足と低温に見舞われ,冷害をおこしやすい気候条件のもとにあるが,この間の不作の要因としては,台風の影響のほか苗の育成方法や農薬・肥料への過信にも問題があったと考えられている。生産調整や専業農家の減少(1994年には8.7%)に伴う農業労働力の確保なども,水田地帯では大きな問題となっている。畑地は仙南平野や西部丘陵群,北上高地などに分布し,麦,豆,ジャガイモ,タバコなどが栽培され,仙台市南郊では温室利用の花卉栽培が行われる。畜産はあまり盛んではないが,西部山麓に集約的酪農地域が形成されている。

 宮城県の沖合には黒潮と親潮の接する潮境があって日本屈指の漁場をなす。リアス海岸の気仙沼,志津川,女川,鮎川,仙台湾岸の渡波(わたのは),石巻,塩釜などは,いずれも沖合漁業遠洋漁業の基地となっている。サンマ,サバ,マグロ,カツオ,カレイ,イワシ,イカなどの水揚げが多く,水産加工業も発達している。またリアス海岸部の湾内ではノリ,カキ,ワカメなどの養殖が行われ,磯物のアワビやホヤを特産する。また松島湾内で養殖されるカキは,広島産に比べて身は小さいがよくしまっている。アメリカやフランスなどへも輸出される特産の種ガキの生産は,松島湾から万石浦(石巻市)に移った。牡鹿半島の先端に近い鮎川港は近海捕鯨の基地として知られた。

古代には多賀城の国府を拠点とする統治圏が形成され,近世においても仙台藩は東北の雄藩として中心的地位を保持していた。1887年の東北本線開通以降,幹・支線の通じる仙台市には官庁,学校などが相次いで進出し,人口もしだいに増加した。第2次大戦後,仙台市は仙塩(せんえん)総合開発,仙台湾臨海地区新産業都市建設の要として電力,石油精製,金属加工などの工場群の進出が著しく,仙台港の建設,仙台空港の整備,東北自動車道および東北新幹線の開通などによって首都圏との近接性が強まり,第3次産業の集積度も飛躍的に高まった。仙台市周辺の多賀城市,名取市,岩沼市などには電気機器,パルプ,食品,機械などの工場が進出している。また商業の年間販売額は東北地方では群を抜き,仙台市はその77%を占めている。同時に東北一円を管轄する官庁,事業所や大学の仙台市への集中も著しく,東京その他に本社を有する企業の支店や支社が集中している。伝統工業には仙台市の堤焼,堆朱(ついしゆ),埋木細工,仙台平(せんだいひら),大崎市の旧鳴子町や蔵王町遠刈田のこけしなどがあるが,とくに岩出山町の凍豆腐(しみどうふ),寒天,白石市の和紙,うーめん(温麵)は地元の農林資源と冬季の乾燥気候,地下水や湧水など局地的特性を利用したものである。また石巻市の旧雄勝(おがつ)町に産する中生代の粘板岩は屋根瓦や硯(すずり)に加工され,硯は全国の90%を産する。

1887年に東北本線が仙台まで,ついで91年に青森まで開通,また97年には常磐線が開通し,以来,東北地方太平洋側の大動脈としての役割を果たしてきた。県内,または山形県との間を東西に結ぶ鉄道としては,仙石線,仙山線,陸羽東線,石巻線,大船渡線があり,そのほか気仙沼線,阿武隈急行線が通じる。1982年には東北新幹線が開通した。道路は国道4号線(旧,奥州街道),6号線(旧,浜街道)が幹線道路で,このほか東西を結ぶ47号,48号,108号線がある。東北自動車道は東京との時間距離を大幅に短縮した。古い歴史をもつ塩釜港,石巻港,気仙沼港のほか,新設の石巻工業港,仙台港があり,工業原料,製品の搬出入が盛んである。また仙台港は名古屋と苫小牧(とまこまい)を結ぶフェリーの寄航地でもある。仙台空港と東京,名古屋,大阪,札幌(新千歳),福岡などとの間にジェット機が就航している。

宮城県は都市を中心とする居住圏によって仙北,三陸海岸南部,石巻,仙塩,仙南の5地域に区分される。

(1)仙北地域 栗原市全域,大崎市の大部分と加美郡の全域,および登米市・遠田郡の各一部より成る。人口密度は5地域中最も低い。迫(はさま)川,江合(えあい)川,鳴瀬川の中・上流地域を占め,大崎平野をはじめとする低湿な沖積地はササニシキの本場であり,自然堤防や微高地に点在する農業集落には〈埣(そね)〉〈月〉〈袋〉などのつく地名が多い。大崎市の旧古川市をはじめ中新田(なかにいだ),岩出山,涌谷,築館(つきだて),若柳,迫,登米(とよま)などの商業集落が分布し,米を原料とする醸造業や農村余剰労働力を背景とする電子部品工業が定着している。かつては人口の流出が目だったが,近年はようやく安定の傾向を見せている。

(2)三陸海岸南部地域 気仙沼市を中心に,本吉郡の全域および登米・石巻両市の一部を含む。北上高地を横断する北上川以北の地域を占め,地形上・産業上,沿岸地区と北上高原地区に大別される。リアス海岸よりなる沿岸地区は,気仙沼をはじめ多くの漁業基地を有し,水産加工も活発である。北上高原地区は大部分が林野によって占められ,桑やタバコの畑作のほか,溜池灌漑による零細な稲作が行われている。かつては鹿折(ししおり),大谷,徳仙丈(とくせんじよう),弥勒(みろく)などの金山があり,平泉文化を支えたといわれるが,現在はすべて閉山している。中心都市の気仙沼市は周辺地域のほかは岩手県南東部との結びつきが強く,北上高原地区では仙北地域の商業集落への依存度が高いところもある。

(3)石巻地域 石巻市を中心に東松島市と牡鹿郡の全域および遠田郡の一部を含む。仙北平野の一部をなす江合川,鳴瀬川の下流域と,北上川,追波川以南の北上高地から牡鹿半島までの地域を占める。沖積平野は県内における米の主産地をなし,沿岸部は石巻,女川などの漁業基地を有し,水産業が盛んである。石巻市は藩政時代は江戸廻米の積出港,明治以降は漁港として発展したが,1964年新産業都市に指定されて以来,工業化が著しく,紙・パルプ,造船,水産加工,木材などの工業が盛んである。

(4)仙塩地域 県の中央部を占め,仙台,塩釜,多賀城,名取,岩沼の6市と,亘理(わたり)・宮城・黒川各郡の全域および柴田郡と大崎市の各一部から成る。県人口の約5割を占め,人口密度は県平均の2倍近くで,5地域中最も高い。仙台市は県内のみならず,東北地方全体の広域中心都市としての機能をもつが,他の同規模の都市に比べると第3次産業への偏りが大きく,消費都市的な性格の強い地方中心都市である。仙台を除く他の都市は,人口は急増しているものの都市的機能の形成は見られず,仙台市の衛星都市としての性格が強い。仙台市を中心に食料品,出版印刷,機械,石油化学などの工業が集中する。

(5)仙南地域 白石・角田両市と伊具・刈田両郡の全域,および川崎町を除く柴田郡から成る。人口密度は県平均よりかなり低い。亘理丘陵以西の阿武隈川および支流の白石川の流域を占め,西部の蔵王山麓と白石,角田,大河原,船岡,槻木(つきのき),村田などの小盆地から成る。農業中心の産業構造をなし,稲作を中心とするが,水田面積が少なく,タバコやコンニャクなどの工芸作物,リンゴや桃の果樹栽培,花卉などの施設園芸が盛んに行われている。近年は工場の進出も活発である。仙台市への通勤・通学者も多く,白石市が中心的機能をもつものの,商圏,生活圏ともしだいに仙台都市圏へ組み込まれつつある。
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宮城 (きゅうじょう)

日本の都城制における皇宮を中核とする一区画。中国唐代の長安城や洛陽城では宮城と,官衙区域である皇城が前後に城壁で区画されているが,日本の場合は,都城の中央北寄りの方形の一区画内に,天皇の私的な住居である内裏(だいり)と,本来政治を執る場所であった朝堂院,および官衙に相当する曹司が混在するのが原則で,それはまた大内裏とも呼ばれた。

 宮城の四周は築垣と周濠で囲まれ,一辺に3門ずつを開くのが原型で,南面中央を朱雀門と呼んだ以外は,各門はその守衛を担当した氏の名にちなんで壬生(みぶ)門,的(いくは)門,建部(たけるべ)門などと称したが,平安宮では美福門,郁芳門,待賢門などと改名された(宮城十二門)。藤原宮の宮城は方2里(約1km)で,その中央に内裏と朝堂院が南北に並んでおり,難波宮も前期・後期ともほぼ同様であったらしい。しかし平城宮の場合は,遷都当初はともかく,のちには内裏・朝堂院は中央より東寄りに置かれ,さらに宮域が東に半坊分拡張されて,そこに東宮が造営されたほか,中央にも大極殿相当の宮殿や,のちの平安宮豊楽院の構造に似た施設が設けられた。長岡宮の構造はなお不明な点が多いが,宮城中央の朝堂院の東に内裏が設けられた点が大きく異なる。つぎの平安宮では,宮域が半条分北に拡張され,朝堂院は宮の中央に位置するが,内裏はその東北に分離して存在することとなり,また本来内裏区画に含まれるべき大極殿も,内裏から分かれて,あたかも朝堂院の正殿のごとくになり,大極殿門や回廊も取り払われ,竜尾壇となった。また平安宮では朝堂院の西に饗宴の場としての豊楽院が設けられたほか,大蔵省以外の7省と太政官の曹司は朝堂院の東西に,北への拡張部分には大蔵省と大蔵が配置されたが,この状況は平城宮でもほぼ同じであったと推定される。なお大極殿と朝堂院は藤原宮から礎石・瓦葺き建物に変わったが,内裏の殿舎は平安宮まで掘立柱でひわだぶきまたは草ぶきであった。宮城内におけるこうした内裏・朝堂院・曹司の配置・規模・構造の変化は律令体制における政治形態の変容を反映するものとして重要な意義を有する。
皇居 →都城
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宮城 (みやぎ)

宮城県中部,宮城郡の旧町。1987年仙台市に編入。旧町域は広瀬川とその支流大倉川の流域を占め,東は仙台市街に接する。JR仙山線,国道48号線が通じ,南東端には東北自動車道仙台宮城インターチェンジがある。中心集落は仙山線が通じる愛子(あやし)で,中世には国分氏が支配し,その家臣が愛子東方の郷六に居城した。広瀬川沿いに発達した河岸段丘上に耕地が開かれ,稲作を中心に酪農,野菜生産が行われるが,いずれも小規模であり,1970年代以降はベッドタウン化が進んだ。伝統的な製材業のほか,機械・金属関係工場やウィスキー工場が立地する。大倉川の大倉ダム(1961完成)は日本初のダブルアーチ式ダム。定義(じようげ)温泉のほか,作並温泉や八森などのスキー場がある。
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宮城(郡馬) (みやぎ)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「宮城」の意味・わかりやすい解説

宮城
みやぎ

群馬県中東部,前橋市北東部の旧村域。赤城山の南斜面から洪積台地に広がる。1889年村制。2004年前橋市に編入。農地は南部の台地を主とし,米作,養蚕,酪農などが行なわれる。中腹にある三夜沢(みよさわ)の赤城神社は各地に散在する赤城神社の総本社。近くに赤城温泉,忠治温泉があり,南面からの赤城山登山の基地。

宮城
きゅうじょう

皇居」のページをご覧ください。

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百科事典マイペディア 「宮城」の意味・わかりやすい解説

宮城【きゅうじょう】

皇居

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普及版 字通 「宮城」の読み・字形・画数・意味

【宮城】きゆうじよう

御所。

字通「宮」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内の宮城の言及

【皇居】より

…古くは宮,宮室,内裏,禁裏,禁中,禁闕,内,御所などのほか,大宮,大内,九重,百敷(ももしき)などの美称もあり,〈皇居〉の語も平安時代には記録に見える。東京遷都に際し,江戸城を東京城と改称,ついで皇城と公称したが,明治宮殿完成後は宮城を公称と定めた。しかし第2次大戦後,宮城の称が廃止されてからは,一般に皇居と称されている。…

※「宮城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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