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山形県境近くの
また「枕草子」にも「名取川、いかなる名を取りたるならんと聞かまほし」とある。文治五年(一一八九)の奥州合戦では、源頼朝軍を迎える平泉藤原氏が広瀬・名取両川に大縄を引いて柵としたといい、合戦の場となった(「吾妻鏡」同年八月七日条)。下って観応年間(一三五〇―五二)当地を訪れた宗久の紀行には「名取川のわたりを過るとては、行水のかへらぬことをあはれむ」とあり(都のつと)、文明一九年(一四八七)の「廻国雑記」には「人しれぬ埋れ木ならば名とり川ながれての世になど聞ゆらん」など二首が詠まれている。
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狂言の曲名。出家狂言。大蔵,和泉両派にある。比叡山に上り受戒した僧が,もの覚えが悪いので希代坊(きたいぼう),不肖坊(ふしようぼう)と二つまで名をつけてもらい,これを両袖に墨で書きつけて,忘れないようにと,平家節,謡(うたい)節などさまざまの歌い物に名を織りこんで口ずさみながら行く。やがて大河に出会い,川を渡る途中で深みに落ち,ぬれねずみになってはい上がると,袖に書きとめておいた名前が消え失せている。僧はあわてて,川に流したのであろうと,川尽しの謡を謡いながら笠で川の水をすくいまわる。そこへ土地の男が現れ,ここは殺生禁断の所だと僧をとがめる。僧は事情を話し,川の名を尋ねると名取川,土地の名は名取の在所,男の名を問うと名取の某(なにがし)と答える。さてはこの男が名を取ったのであろうと怒り,名を返せと迫る。男が当惑して〈“きたい”なことを言う人じゃ〉〈“ふしょう”な所へ来かかった〉とつぶやいたことから,名を思い出し,喜んで本国さして帰って行く。登場は僧,名取の某で,僧がシテ。和泉流のみ地謡(じうたい)が入る。
奇抜で不合理な筋立てだが,ナンセンスでとぼけたおかしみがある。名を詠みこむ歌い物は,大蔵流では看経節(かんきんぶし),平家節,踊り節,和泉流では謡節,舞節,踊り節,勤行節などである。
執筆者:羽田 昶
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