内裏(読み)うちうら

精選版 日本国語大辞典 「内裏」の意味・読み・例文・類語

うち‐うら【内裏】

〘名〙
※おぼろ夜(1899)〈斎藤緑雨〉「うっかり呑めぬ勤(つとめ)の内裏(ウチウラ)
② 着物や褥(しとね)などの裏に付ける布。
満佐須計装束抄(1184)一「おもてただきぬ白くはりてやうしてこきうちうらをつく」

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デジタル大辞泉 「内裏」の意味・読み・例文・類語

うち‐うら【内裏】

内輪うちわ。内緒。
「―の事情に通じない正雄の母は」〈小山内大川端
着物などの裏につける布。
[類語]こっそり忍びやかそっと秘密内内うちうち内内ないない内輪内部内密内幕内緒内証内分内聞内情内実隠密おんみつ極秘ごくひ厳秘げんぴ丸秘まるひ機密枢密すうみつ天機機事密事秘事暗部隠し事秘め事みそか事内緒ないしょ秘中の秘みそひそ秘めやか

だい‐り【内裏】

大内裏の中の天皇の居所を中心とする御殿。平安京の場合、外郭は、東西約342メートル、南北約303メートル、内郭は、東西約173メートル、南北約218メートルあった。御所。皇居。禁裏。禁中。大内。→十七殿
内裏雛だいりびな」の略。
[類語](1皇居御所宮城宮中宮廷禁中禁裏畏き辺り王城大内山雲上雲の上九重ここのえ行宮あんぐう

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「内裏」の意味・わかりやすい解説

内裏
だいり

宮城(大内裏)の中で天皇の住む一画。皇居。難波(なにわ)宮、藤原宮、長岡宮、平城宮などは発掘調査されているが、平安宮はほとんど未調査である。しかし各種の古図や江戸時代の有職故実(ゆうそくこじつ)家裏松光世(うらまつみつよ)(固禅(こぜん))が残した詳細な考証書『大内裏図考証(だいだいりずこうしょう)』などによって殿舎の配置・規模などはある程度わかる。内裏は平城宮までは朝堂院(大内裏の正庁)の真北にあり、長岡宮、平安宮では朝堂院のやや東に移された。これは公的な朝堂院と、天皇の私的な居所を分離したものであろう。しかし、律令(りつりょう)体制の変質によって、この平面の変化がかえって内裏を政治の中心的な場とし、朝堂院は儀式の場としての性格を強めることになった。

 平城宮の内裏として確認されているのは、宮城東寄りの壬生(みぶ)門――朝堂院の北に位置し、第二次内裏といわれた所である。築地(ついじ)回廊に囲まれた、1辺約180メートルの正方形の地域で、南側には東西9間、南北5間の正殿(平安宮の紫宸(ししん)殿にあたる)などを回廊で囲んだ一画があり、公の宴などが催されたりした場所である。北側は正殿より少し小さめの殿舎の周囲に建物が配され、天皇が起居する私的な区画であった。正殿などの殿舎は檜皮葺(ひわだぶ)きで板敷きのものが中心となっていた。内郭(築地回廊が囲む区域)の外側をさらに築地で囲み、これを外郭という。広い意味の内裏はこの全体を含み、内郭と外郭の間に、天皇の日常生活と関係の深い官衙(かんが)(官庁)があった。

 長岡宮(京都府向日(むこう)市)では、朝堂院の東方に内裏が確認されている。平城宮と同様外郭が存在しており、内郭は1辺約160メートルの正方形で築地回廊に囲まれ、その南中央に正殿が位置していた。正殿などの柱は抜き取られて、平安京の造営に使用されたらしい。

 平安宮の内裏は大内裏の中央東寄り、朝堂院の北東にあった。築地の外郭は東西113丈(約342メートル)、南北100丈(約303メートル)ともっとも大きい。東部に築地回廊で囲まれた内郭、その北に蘭林坊(らんりんぼう)、桂芳(けいほう)坊、華芳(かほう)坊、西に中和院(ちゅうかいん)、内膳司(ないぜんし)、采女町(うねめまち)があった。内郭は東西57丈(約173メートル)、南北72丈(約218メートル)で、南側中央に位置する紫宸殿と、その南にある4殿が公的な部分であり、北側に清涼(せいりょう)殿など天皇の私的な殿舎があった。その北が皇后・女御(にょうご)などの居所がある後宮で、建物は檜皮葺き、素木(しらき)(白木=木地のままの木材)造、板敷きであった。このように南北に公私を分け、左右対称に殿舎を配する形態は平城宮でもみられたが、各建物を廊で結んだのが平安内裏の特色である。

 794年(延暦13)の平安遷都でつくられた内裏は、約160年後の960年(天徳4)に全焼、ただちに木工寮(もくりょう)、修理職(しゅりしき)と27か国に造営を分担させ、翌年完成した。その後、火災の頻発により、一条殿などの里内裏(さとだいり)が現れ、平安後期になると天皇は日常は里内裏に住み、儀式のときに内裏に帰るようになり、初めから里内裏として造営される邸宅もあった。

 鎌倉時代も同様で、本来の内裏は1227年(安貞1)焼亡したのちは再建されていない。建武(けんむ)の新政で大内裏再建が計画されたものの中止され、南北朝以後は鎌倉末期につくられた土御門東洞院殿(つちみかどひがしのとういんどの)が、内裏として固定する。ここは規模も小さく、構成なども平安内裏とはかなり異なっていた。近世に入って規模が拡大され、江戸後期の1788年(天明8)の火災後、紫宸殿、清涼殿などが平安内裏を復原して造営され、1854年(安政1)に焼亡したがすぐ再建され、1869年(明治2)の東京遷都まで皇居であった。現在の京都御所がこれである。

[吉田早苗]


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改訂新版 世界大百科事典 「内裏」の意味・わかりやすい解説

内裏 (だいり)

古代都城の宮内の中心部分,天皇の居住場所をさしていう。〈おおうち(大内)〉〈うち〉ともいった。平安宮では,南北100丈(約303m),東西70丈(約212m)の区画をもち,北半分の後宮部分と南半分の天皇の常住区郭とに分かれ,両者の間は瓦垣でへだてられ,一応区別されていた。後宮部分は常寧殿(じようねいでん)を中心に飛香舎(ひぎようしや),貞観殿(じようがんでん)などの殿舎からなり,妃,女御などの居住区域となっていた。南半部分は天皇常住の仁寿殿(じじゆうでん)を中心として,南に天皇が政務をとる紫宸殿(ししんでん),西に後に天皇常住の場となった清涼殿(せいりようでん)などがつくられていた。紫宸殿の前面は中庭となっており,春興殿(しゆんこうでん),宜陽殿(ぎようでん)など四つの殿舎にコの字型にとりかこまれていた。さらに,内裏の南西隅には作物所(つくもどころ)などもおかれていた。これら内裏は内側の築地にかこまれていたが,さらにその外側にも中隔垣がかこんでいた。このうち内裏の内側の築地には12の門がもうけられ,それぞれ近衛(このえ),兵衛(ひようえ)が守護することになっていた。

 このような内裏は,古代のどの都城にもあったはずであるが,平城宮,藤原宮,難波宮,伝飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)などの発掘調査で,その存在が確認されている。このうち,最も詳しくわかっているのは平城宮の場合である。大内裏図に記された平安宮とは,その北半部分などで殿舎配置がかなり異なっているものの,南半分に紫宸殿相当の殿舎をもち,その南方にコの字型に殿舎を配置したところは,平安宮内裏と同じ型式をとっている。また内裏をめぐる築地と中隔垣との間に多数の官司をもうけているが,この点は平安宮の場合と大きく違っている。それ以前の藤原宮では,内裏の発掘は南東隅と北辺部分のみが一部分行われているだけで,全体像はわかっていない。天武期に造営された後期難波宮も一部分しかわかっていない。7世紀中葉に営まれた前期難波宮と伝飛鳥板蓋宮では内裏の中心的殿舎を発掘しており,とくに後者ではその区画も一応確認されている。現在平城宮内裏の全体,伝飛鳥板蓋宮内裏の北半分は整備されており,見学することができる。なお,平安宮内裏は960年(天徳4)に焼失して以後,しばしば焼失し,里内裏(さとだいり)が京内にもうけられるようになり,1227年(安貞1)以後は廃絶した。
皇居 →里内裏
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百科事典マイペディア 「内裏」の意味・わかりやすい解説

内裏【だいり】

皇居の古称。御所。奈良時代以前の殿舎配置は詳細不明。平安宮の内裏は,南半に紫宸(ししん)殿清涼殿など天皇関係の殿舎,北半に弘徽(こき)殿など後宮(こうきゅう)関係の殿舎を配し,回廊で結び,周囲を築地(ついじ)で囲んだ。960年以後たびたび焼亡,皇居は里内裏に移り,内裏は1227年以後再建されなかった。
→関連項目温明殿御湯殿上日記行幸京都大番役禁裏写経所昭陽舎寝殿造大内裏大内裏図輦車

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「内裏」の意味・わかりやすい解説

内裏
だいり

「おおうち」ともいう。天皇の御所,転じて天皇をさす。平安京では,大内裏 (だいだいり) の中央北端やや東寄りにあり,東西 73丈 (約 240m) ,南北 100丈 (約 330m) の長方形の区画で,回廊で結ばれた 12の門があり,内部に 17殿,5舎が左右対称に配置された。南側正面の建礼門承明門を入ると,正殿の紫宸殿 (ししんでん) ,天皇の居所の仁寿殿 (じじゅうでん) を中心に春興 (しゅんこう,あるいはしゅんきょう) ,宜陽 (ぎよう) ,綾綺 (りょうき) ,温明 (うんめい) ,安福 (あんぷく) ,校書 (きょうしょ) ,清涼 (せいりょう) ,後涼 (こうりょう) の各殿,また後宮として,承香 (じょうきょう) ,常寧,貞観 (じょうがん) 3殿を中心に,麗景,宣耀 (せんよう) ,弘徽 (こき) ,登花 (とうか。登華とも書く) の各殿と,飛香 (ひぎょう。藤壺ともいう) ,凝華 (ぎょうか。凝花とも書く。梅壺) ,襲芳 (しほう,あるいはしゅうほう。雷鳴壺) ,昭陽 (梨壺) ,淑景 (しげい。桐壺) の5舎があった。たびたび火災にあって,安貞1 (1227) 年以後再建されず,里内裏 (さとだいり) だけになると,里内裏をも内裏と呼んだ。

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普及版 字通 「内裏」の読み・字形・画数・意味

【内裏】だいり

宮中。〔旧唐書、宦官、李輔国伝〕代宗位にく。輔國と元振と、定策の功り、なり。私(ひそ)かに奏して曰く、大家(王)は但だ裏に坐し、外事は老奴(我ら)の處置に聽(まか)せよと。代宗、其の不なるを怒る。

字通「内」の項目を見る

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「内裏」の解説

内裏
だいり

大内(おおうち)とも。宮城内での天皇の御在所。平安宮では建礼門を正門とし,紫宸(ししん)殿を正殿とする一郭。平城宮までは天皇は毎日大極(だいごく)殿に出御して政務をみるのが原則だったが,長岡宮以降,日常はのちの紫宸殿にあたる内裏正殿で政務をとるようになった。これは長岡宮・平安宮で内裏と朝堂院(正殿は大極殿)が分離した配置になることと対応している。平安宮では,天皇が政務後私的な生活を送るのは,当初は仁寿(じじゅう)殿であったが,10世紀以降,清涼(せいりょう)殿が天皇の日常政務の場兼私的生活の場となり,紫宸殿は儀式の場へと移行した。平安中期には,平安宮内で日常的に利用されるのは内裏を中心とした部分だけとなっていった。鳥羽朝以降,天皇は日常は里内裏に住み,儀式・祭祀のときのみ内裏に遷御するようになり,内裏は荒廃していった。

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旺文社日本史事典 三訂版 「内裏」の解説

内裏
だいり

大内裏 (だいだいり) の中にある天皇の住居
禁裏・禁中ともいう。

内裏
ないり

だいり

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世界大百科事典(旧版)内の内裏の言及

【禁裏】より

…天皇がつねに居住しているところ。禁中,内裏(だいり)も同じ意味である。六国史においては,内裏が主として用いられ,〈定策禁中〉のように,禁中が数回見えるのみで,禁裏という語は用いられなかったが,時代が下るにしたがって,禁裏御倉や禁裏供御人などしだいに用いられるようになり,とくに江戸時代になると,幕府の役職名にも〈禁裏附〉(公家では〈附武士〉とよんだ)のあるごとく,多用されている。…

【皇居】より

…天皇の住居。古くは宮,宮室,内裏,禁裏,禁中,禁闕,内,御所などのほか,大宮,大内,九重,百敷(ももしき)などの美称もあり,〈皇居〉の語も平安時代には記録に見える。東京遷都に際し,江戸城を東京城と改称,ついで皇城と公称したが,明治宮殿完成後は宮城を公称と定めた。…

【天皇】より

…こうした類例は,しばしば見られたことであり,いわゆる悪王の存在は,王権の基礎に不可欠の要素と考えられている。【宮田 登】
【近代の天皇】

[名称の確定]
 天皇は,徳川将軍が〈タイクン(大君)〉といわれたのに対し,〈ミカド(御門)〉〈ダイリ(内裏)〉と呼ばれていたと幕末に来日したヨーロッパ諸国の外交官が記録している。ミカドやダイリという呼称は天皇を直接に称号をつけて呼ぶことができないがため,天皇というものに対する略称であった。…

【平安宮】より

…平安京の宮城。平安京の中央北部を占め,築地塀で囲まれた内部には,内裏(だいり)と諸官衙が群立していた。この場所は,平安遷都以前,当地方の豪族,秦河勝(はたのかわかつ)の屋敷があったと伝え,紫宸殿(ししんでん)前の梅にその伝承を残している。…

【平城宮】より

…710年(和銅3)から784年(延暦3)まで営まれ,途中8年ほど中絶し,恭仁(くに)京(京都府相楽郡)等に都が遷されたことがあるが,70年にわたって存続した。南北約1km,東西1.3kmの広さをもち,その中に天皇の御在所であり日常生活の居所であった内裏(だいり),公の儀式,政治の場である朝堂院(ちようどういん)があり,さらに百官と総称された官司の建物があった。したがって平城宮は天皇の居所であると同時に,当時の律令国家の中央政府機構の所在地であった。…

※「内裏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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