細倉鉱山(読み)ほそくらこうざん

改訂新版 世界大百科事典 「細倉鉱山」の意味・わかりやすい解説

細倉鉱山 (ほそくらこうざん)

宮城県栗原市の旧鶯沢(うぐいすざわ)町にあった鉛・亜鉛鉱山。1987年2月に閉山。9世紀の大同または貞観年間の発見と称されるが,江戸時代には仙台藩の所有となり,33ヵ所に分割されて採掘が行われた。第三紀中新世の緑色凝灰岩,変朽安山岩および流紋岩から成る母岩中に,多数の浅熱水性割目充てん鉱床が知られている。最大脈幅10mに達する部分もあるが,大部分は2m程度以下であるため,大規模な採掘方法がとりにくく,シュリンケージ法,充てん採掘法,一部で中段採掘法などにより,主として方鉛鉱,セン亜鉛鉱,黄鉄鉱から成る鉱石を採掘し,山もとの製錬所へ送っていた。副産物として,銀,ビスマス,アンチモン,カドミウムなどを産出した。
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百科事典マイペディア 「細倉鉱山」の意味・わかりやすい解説

細倉鉱山【ほそくらこうざん】

宮城県鶯沢町(現・栗原市),栗駒山南東麓にあった鉛・亜鉛鉱山。大同年間(806年―810年)の発見という伝承があり,江戸期には仙台藩の銀・鉛鉱山として繁栄鉱脈は180を超え,1934年三菱鉱業の所有となってからは,年間の採掘量1800万t,生産鉱石は鉛25万t,亜鉛72万tに及ぶ日本有数の鉱山であった。製錬の副産物は銀,ビスマス,アンチモン,カドミウムなど。しかし昭和40年代の後半に入ると次第に衰退,経営も変わり,1987年には閉山した。なお1969年厚生省の調査でカドミウムによる汚染米が発見され,鉱滓の除去が進められた。閉山後,廃坑を観光資源として再活用した町営観光坑道(777m)細倉マインパークが1990年に開業した。
→関連項目鶯沢[町]

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「細倉鉱山」の意味・わかりやすい解説

細倉鉱山
ほそくらこうざん

宮城県北西部、栗原市(くりはらし)鶯沢(うぐいすざわ)にある鉛・亜鉛鉱山。栗駒山(くりこまやま)南東麓(ろく)に位置する。採掘の開始は天正(てんしょう)年間(1573~1592)からで、近世には仙台藩が開発、経営し、最初は銀を採掘したが、その後鉛の生産が増加した。元禄(げんろく)期(1688~1704)には銀・銅製錬の材料としての鉛の需要が増え、鉱山は隆盛期を迎えた。仙台藩では運上をとって山師経営を許可し、鉛の地金を買い上げて問屋に払い下げていた。明治以降は近代的経営により1895年(明治28)には鉛の年間生産額は全国一となった。その後、亜鉛需要の増加により好況を迎えた。共立鉱業、三菱鉱業(みつびしこうぎょう)と経営体は変化し、昭和30年代のピーク以後産出量は減少。1987年(昭和62)閉山した。現在は鉱山跡を利用した観光施設細倉マインパークとなっている。

[後藤雄二]

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デジタル大辞泉プラス 「細倉鉱山」の解説

細倉鉱山

宮城県栗原郡鶯沢町(現・栗原市)にあった鉱山。金、銀、鉛、亜鉛などを産出。1987年閉山。国の近代化産業遺産に認定されており、現在は坑道跡を観光施設として公開している。

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世界大百科事典(旧版)内の細倉鉱山の言及

【鶯沢[町]】より

…町は二迫川沿岸の水田農村である鶯沢地区と,鉱山集落を主とする細倉地区に分かれる。細倉鉱山は江戸時代に仙台藩により開発が進められ,1934年以降は三菱鉱業によって鉛,亜鉛や硫化鉱の採掘,精錬が行われてきた。最盛時は3000人をこす従業者を擁したが,70年代中ごろから合理化,生産縮小され,87年閉山した。…

※「細倉鉱山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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