品井沼(読み)しないぬま

日本歴史地名大系 「品井沼」の解説

品井沼
しないぬま

北は大松沢鹿島台おおまつざわかしまだい丘陵、南は松島まつしま丘陵に囲まれた吉田川が湛水したのが品井沼で、川によって鳴瀬なるせ川に注いでいた。しかしその間の落差はきわめてわずかで、増水時には鳴瀬川の溢水が品井沼に逆流し、吉田川の増水と合する。沼は両川の遊水地帯でもあった。吉田川による西部の三角洲と鳴瀬川の逆流による東部の逆三角洲により瓢状をなし、東西の三角洲の周辺地帯は広大な野谷地であった。「封内風土記」によれば、近世初期の干拓の進行した後でも東西三千五六〇間・南北一千五六〇間、反別一千八五一町二反で封内三大湖の第一にあげられる。近世久しく禁猟地だったため鳥類の生息は多く、とくに渡鳥の休息地として冬期はおびただしく鳥が群がり集まった。鯉・鮒・鰻などの魚類も多く、また沼には一面に菱が生え、明治期には一〇〇名近い専業の漁夫や猟師がこれらの採捕にあたり、また夏期には菱取舟で沼は賑いを呈したという。品井沼野谷地は松山茂庭氏が藩より拝領し、家中および又家中により明暦元年(一六五五)頃までに住在家すみざいけ村一一〇町・小堤こづつみ村六〇町・平渡ひらわた村二〇町・広長ひろなが村一〇町・大迫おおばさま村三〇町・深谷ふかや村二〇町の開田が行われたといい、沼の北岸斜面や丘入りの谷が主であったと思われる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「品井沼」の意味・わかりやすい解説

品井沼
しないぬま

宮城県中部の宮城(仙台市)、志田(しだ)(大崎市)、黒川の3郡にかけてあった東西6.5キロメートル、南北3キロメートルの湖沼。かつては鳴瀬川支流の吉田川が沼を貫通し、増水時には鳴瀬川の水が逆流して洪水が続いたため、仙台藩により干拓と洪水防止事業が開始された。1693年(元禄6)には全長7キロメートルに及ぶ排水路(元禄穴川(げんろくあながわ))が開削、その後の改修工事で600ヘクタールの水田が開かれた。1910年(明治43)新排水路(明治穴川)開削、1940年(昭和15)には吉田川を沼から切り離す新吉田川の開削が行われ干拓事業は完成し、沼は一望の水田と化した。

[境田清隆]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「品井沼」の意味・わかりやすい解説

品井沼
しないぬま

宮城県中部,松島町の北部,JR東北本線品井沼駅の北西に,東西約 6.5km,南北約 3kmにわたって広がる吉田川下流のかつての沼で,鳴瀬川の逆水による逆デルタがあった。明暦年間 (1655~58) から昭和 10年代までかかって干拓されたところ。現在は水田単作地帯。

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