日本大百科全書(ニッポニカ)「豆」の解説
豆
まめ
古くはダイズ(大豆)をさしたが、現在では食用とされるマメ科(APG分類:マメ科)植物の種子を総称することが多い。ときには食用以外のものも含んだマメ科の種子、あるいはマメ科植物全般をさすこともある。マメ科の種子では胚乳(はいにゅう)はほとんど発達しないが、そのかわり2枚の子葉が種子の大部分を占めるほどに発達し、デンプンや脂肪などを蓄える。発芽の際、この子葉は地上に出て展開するのが普通だが、種によっては子葉の下の胚軸が伸長しないため、地下に残る。未熟な莢(さや)の中で、種子の珠柄についていた部分を「へそ(臍)」とよぶ。完熟した種子には珠柄組織の一部が残ることが多く、へそ全体を覆ったり、しばしば、へそを取り巻いてさまざまな形をなし、いわゆる仮種皮となる。へその形態は種ごとに異なるが、一つの種のなかではきわめて安定しており、種の区別には有効である。マメ科の種子は、種皮が硬く、吸水しにくい、いわゆる硬実(こうじつ)である。
[立石庸一 2019年11月20日]
有用種
マメ科は植物のなかでもっとも有用で、食料に限っても、生産量はイネ科に次ぎ、ヨーロッパを除く世界各地で独自に野生種から作物にされた。代表的な食用豆と原産地を列挙すると、中国ではダイズ、アズキ、インドを中心とする熱帯アジアではケツルアズキ、リョクトウ、ツルアズキ、モスビーン、ホースグラム、フジマメ、ハッショウマメ、キマメ、メソポタミアを中心とする西アジアではヒヨコマメ、レンズマメ、エンドウ、ソラマメ、アフリカではササゲやバンバラビーン、メキシコと西インド諸島ではインゲンマメ、ベニバナインゲン、タチナタマメ、アンデスではライマメやラッカセイなどである。
また、野菜、飼料、緑肥、グランドカバー、風致樹、用材、樹脂、油、染料、香料、薬用、装飾品、観賞用とその利用は多方面にわたり、重要な経済植物も少なくない。また、利用される部位も、花、莢、種子、種衣(しゅい)、材、樹液、地下茎、根、葉とさまざまである。さらに、分類的には草本だけでなく、樹木も食料や工業用に利用される。それらの代表種にはアフリカやインド、熱帯アジアのパルキア属Parkiaや中近東から地中海沿岸のイナゴマメがある。
野菜には若莢を食べるエンドウ、インゲン、ジュウロクササゲのほか、インドではクラスタビーンやホースグラム、熱帯ではシカクマメが利用されている。エンドウは若い茎葉(豆苗(とうみょう))も食べられ、東南アジアには独自の葉茎菜にミズオジギソウや花を食べるシロゴチョウがあり、クズイモやホドイモは塊根が食用になる。もやしはケツルアズキ(ブラックビーン)がもっとも多いが、リョクトウ、ダイズ、アルファルファ(ウマゴヤシ)などもある。緑肥にはレンゲや熱帯のクズモドキ、サンヘンプなど、飼料にはクローバーやアルファルファが代表的。高級材としてシタン、ローズウッド、タガヤサン、アメリカネム、ペルーバルサム、アフリカンマホガニーなどがある。アカシア属からはアラビアゴム、ゲンゲ属からはトラガカントゴム、メロキシロン属からはトルーバルサム、トラキロビウム属からはザンジバルコーパルなどの樹脂がとれる。南アメリカのコパイフェラ属の幹には油管があり、燃料油のコパイバ油を産出する。クラスタビーンの種子はマンノガラクトンの濃度が高く、粘性が強く、中国では石油採油に使われる。ダイズとラッカセイは重要な食料油作物である。
イナゴマメの種子からチョコレートの代用品がつくられ、カフェインを含まないので、アメリカでは自然食愛好家が好む。南アメリカのオオイナゴマメの種衣は粉質で、ミルクに溶かして飲料にされる。南アメリカのインガ属の種衣は甘く、果物として扱われる。タマリンドの種衣はクエン酸やリンゴ酸を含み甘酸っぱく、熱帯で清涼飲料、酒、菓子に使用されている。カワラケツメイ、トウアズキの葉やハブソウの種子はお茶にする。トンカマメとキンゴウカンの花からは香水がとれる。薬用種も多いが、カンゾウ、クララ、コロハ、ハブソウ、エビスグサ、エンジュ、デリスなどが代表的である。
赤や黒の美しい豆は、ネックレスをはじめ種々の装飾品となる。観賞用植物も豊富で、スイートピー、ルピナス、オジギソウ、ハギ、エニシダ、ハナズオウ、ネム、フジがあり、熱帯では、デイコ(デイゴ)、アカシア、ホウオウボク、オウゴチョウ、バウフィニア、ホウカンボク、ヨウラクボク、ベニゴウカン、キングサリ、カシア属のゴールデンシャワーとピンクシャワー、仏教の聖木ムユウジュ、バラモン教の聖木ハナモツヤクノキなどの樹木をはじめ、つるではチョウマメや緑白色の花のヒスイカズラなど多彩である。
なお狭義の豆とは、通常はマメ科の種子のみをいうが、コーヒー豆(アカネ科)やハズ(トウダイグサ科)のように、他科の丸い小粒の種子を豆とよぶこともある。
[湯浅浩史 2019年11月20日]
栽培史
豆の栽培は穀物とともに古く、各地の初期農耕遺跡から豆が発見されている。メソポタミアでは紀元前8000~前6000年のエンドウとレンズマメが出土し、前5000年ヒヨコマメが加わり、栽培も広がり、ヨーロッパには前5000~前4000年にかけて、エンドウとレンズマメが伝わった。ソラマメの出現は遅れ、初期青銅器時代(前3000~前2000)である。これらのマメは古代エジプトでも栽培された。
インドには前2000年ころまでにエンドウ、ヒヨコマメ、レンズマメが伝来した。一方、インド原産の豆類がいつごろから栽培化されたかは資料が少ないが、リョクトウとケツルアズキは日本の鳥浜貝塚(福井県)の縄文前期の前6000~前5000年の地層から出土しているので、起源は相当古いと考えられる。
中国のダイズは、周代にその象形文字である(叔にあたる)が現れる。前7世紀ころまで中南部で雲貴高原原産の黒いダイズが栽培され、北方系の黄色いダイズは春秋時代に斉(せい)の桓公(かんこう)が中原(ちゅうげん)に伝えたといわれる。
アメリカでは、メキシコのオアハカの洞窟(どうくつ)遺跡から前8000年ころのインゲンマメ属の種子がみいだされ、前2400年ころまでにはインゲンマメ、ベニバナインゲン、タチナタマメが栽培されたことが明らかにされている。ペルーではライマメが前3000年のチルカ遺跡、および前2500年のワカ・プリエタ遺跡から発掘されている。同じくワカ・プリエタの前850年の地層からラッカセイが出土しているが、ラッカセイはさらにそれをさかのぼる報告もある。
[湯浅浩史 2019年11月20日]
利用
日本では紀元前の豆としては、鳥浜貝塚のリョクトウとケツルアズキだけが知られる。ダイズとアズキは死体穀物誕生型の神話が、『日本書紀』(巻1・神代上)にあり、保食神(うけもちのかみ)の死体の「陰(ほと)に麦及び大小豆(まめあつき)生れり」と語られている。『万葉集』にマメは1首、巻20で「道の辺の茨(うまら)の末(うれ)に這(は)ほ麻米(まめ)のからまる君を別(はか)れか行かむ」と詠まれている。このマメは野生のツルマメかヤブマメとされる。
アズキを赤飯として特別な日に食べる風習は平安時代に原型がみられ、『延喜式(えんぎしき)』には、1月15日、宮中、民間ともに小豆粥(あずきがゆ)を食べた記述がある。中国では3世紀なかばの周処の『風土記』に、アズキを14粒飲むと一年中病気にかからないと書かれ、冬至に小豆粥をつくって食べた。アズキに威力があるとみられた根拠の一つは、赤を火(陽)の象徴としてとらえる中国の陰陽思想に由来するとの見解がある。
豆の種子は大きさや重さが一定したのが多く、インドではケツルアズキを金粉や真珠の計量用分銅に、スリランカなどでもナンバンアカアズキ(クジャクマメAdenanthera pavonina L.)を宝石や高価な薬の分銅に使った。ナンバンアカアズキやデイコ(デイゴ)は種子が赤く、ベニマメノキ属やトウアズキ属は赤と黒の2色で美しく、アマゾンのインディオ、オーストラリアのアボリジニーをはじめ、各地の先住民がネックレスやブレスレットなどの装飾品に利用している。
聖書に登場するイナゴマメは、「聖ヨハネのパン」St. John's breadとよばれる。
[湯浅浩史 2019年11月20日]
民俗
日本
大豆は中国原産の作物で、日本に導入されたのも古い。『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』(931~938ころ)ではすでに和名を「万米(まめ)」としている。これは、大豆は定畑(じょうばた)や田畑の畔(あぜ)でつくられるほか、焼畑でも多くつくられ、また食物としても副食および調味料の代表的存在であることからわかるように、古くから重要な、かつなじみ深い作物・食物だったからである。日本でつくられている大豆には夏大豆型、秋大豆型、その中間型とがあり、おおよそ中部、近畿、四国、中国地方では秋大豆型、それ以外の地方では夏大豆型か中間型をつくる。秋大豆型の地方と、北九州・沖縄では、作付けに豆突き棒などとよぶ棒を使い、耕土面に穴をあけて種を播(ま)く所がある。食物としては煮豆、煎(いり)豆、呉汁(ごじる)、きな粉、加工品としてみそ、しょうゆ、湯葉、納豆があり、また食用油もとっている。大豆はこうした実用的利用だけでなく、節分(年越(としこし))に煎(い)った大豆を鬼打ちに撒(ま)き、これを年齢の数だけ食べると健康だという伝承が全国的にあり、さらに、小正月(こしょうがつ)や節分の年占(としうら)の一種に豆占(まめうら)もあることなどから、呪(じゅ)的な穀物と考えられていたことがうかがえる。豆占とは、いろりなどへ大豆を月の数だけ並べ、焼けぐあいでその年の各月の天候や吉凶を占うことである。天候は大豆が白いと晴、黒く焦げると雨、早く焼けると干害があるなどという。このほか、大豆を耳塞(みみふさ)ぎ(同齢者が死んだときの呪術)に使ったり、粉を豊作の呪(まじな)いに使う所もある。
[小川直之 2019年11月20日]
世界
塊根(かいこん)栽培民を除いた多くの農耕社会では、豆類は穀物を補うもの、あるいは両者がそろって初めて農耕が完全なものになるということから、この二つは象徴的な意味で補完的対立をなすものとしてとらえられることがある。たとえば北および中央アメリカの先住民は、しばしばトウモロコシと同じ穴かそのそばに豆を播(ま)くので、豆はトウモロコシの茎に絡みついて生育する。そして北米先住民イロコイ人の社会では、その場合にトウモロコシを男性、豆を女性とし、逆にトゥテロー人の社会ではトウモロコシを女性、豆を男性とする。またメキシコのマヤ語族チャムラ人は、太陽(キリストでもある)がトウモロコシを、月(マリア)が豆とジャガイモをもたらしたとしており、いずれにせよトウモロコシ(穀類)と豆は、男と女の関係に対応するような補完的対立関係をなしていると考えられる。さらに古代インドの豊穣(ほうじょう)儀礼では、1粒の大麦が男根を、2粒の豆が睾丸(こうがん)を象徴している。これらのことからフランスの人類学者レビ(レヴィ)・ストロースは、豆は対立的な二つの性の媒介物であると同時に、生と死の中間に位置するあいまいな存在、または生と死の対立を媒介するものと説明している。
古代ギリシアのエレシウス儀礼で豆が禁止されたり、エジプトの神官やローマのジュピターの司祭が豆を禁食されていた反面、アッティカのピュアノプシア祭のときに豆が食されたり、ローマのバレンタリア祭やフェラリア祭で豆が供物として捧(ささ)げられたのは、やはり豆が二つの世界を交流させたり遮断したりする媒介物としての役割をもつためという。
ローマのレムリア祭では、家長が黒い豆を口に頬張(ほおば)ってそれを吹き散らしながら家の中を歩いて死者の霊を家から追い出すが、これは日本の節分の豆撒(ま)きを想起させる。また奄美(あまみ)地方には「マブリワハシ」といって、死者の霊が家に残らないように黒く炒(い)った大豆を室内に撒く儀礼がある。日本でも多くの年中行事や通過儀礼に豆類が多く使われるが、これは豆のもつ民俗的意味や作物として(とくに古い焼畑農耕にとって)の重要性のほかに、季節の変わり目や社会的地位の移行時に媒介者としての役割を果たしているためともいえる。
[板橋作美 2019年11月20日]
アズキ(丹波大納言)
インゲンマメ(大正金時)
キマメ
クラスタビーン
ダイズ(エンレイ)
ナタマメ
ハッショウマメ
バンバラビーン
ヒヨコマメ
ヒラマメ
ライマメ
食用にする代表的なマメ科植物の種子と初…
アズキの豆果
インゲンマメの豆果
サヤエンドウの豆果
ソラマメの豆果
ダイズの豆果
ラッカセイの莢
豆撒き