メソポタミア(英語表記)Mesopotamia

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「メソポタミア」の意味・わかりやすい解説

メソポタミア
Mesopotamia

世界最古の文明発祥地の一つ。メソポタミアとは「二つの川 (チグリス川ユーフラテス川 ) の間の土地」を意味するギリシア語。広義のメソポタミアは,北西はトルコの山岳地帯から南東はペルシア湾までを包含し,狭義のメソポタミアは両河川が最も近づく現イラクの首都バグダードを境に北をアッシリア,南をバビロニアと呼んだ地域をさすが,時代によって広義にも狭義にも用いる。前 4500年頃から南部ではエリドゥ,ウバイドの各文化が発展し,北部ではハッスーナ,サーマッラー,ハラフの文化が栄えた。ウルク期にいたって大神殿が建造され,文字が発明された。シュメール人が築いた初期王朝時代には各村落は城壁のある都市国家へと発展し,抗争が激しくなった。ジッグラトをもつ大神殿造営はこの頃から始まった。ウルクのルーガル=ザグギシやアッカドサルゴンは帝国を築いたものの,その後周辺のアモリ人やグティ人の侵入が相次いだ。アッシリアシャムシ=アダド1世が王国を確立した頃,バビロニアではハンムラビが版図を拡大し始め,一時はメソポタミア全土を支配下に置いた。バビロニアは前 1600年頃ヒッタイトに敗れ,すべてバビロン第2王朝に吸収されたが,まもなく再興したアッシリアのシャルマネゼル1世以降,全地域がアッシリア領となった。その後アラム人ナボポラッサルにより新バビロニア帝国が築かれて,アッシリアを征服したが,前 539年アケメネス朝ペルシアのキュロス2世により敗北。さらにアレクサンドロス3世 (大王) によりヘレニズム文化がもたらされ,パルティア時代を経て,ササン朝ペルシアに支配されるにいたった。 634年アラブ軍に征服されて以来イスラム国家となり,750年アッバース朝創始とともに「アラビア文化」が開花した。その後 1258年のモンゴル軍侵入から 1534年オスマン帝国のスレイマン1世に征服されるまで,この地方の文化は停滞した。 18世紀に入るとヨーロッパ人が進出し,19世紀以降,特にイギリスとフランスがこの地域の近代化に一役買った。 1921年イラク王国が成立。 1958年革命により王制廃止,共和国となった。

メソポタミア
Mesopotamia

アルゼンチン北東部,パラナ川とウルグアイ川にはさまれた地域。名称はギリシア語で「川の間の土地」を意味する。南北約 1000km,東西 200~400kmにわたって広がる細長い地域で,面積約 20万 km2。南からエントレリオス,コリエンテス,ミシオネスの3州から成り,北から東にかけてパラグアイ,ブラジル,ウルグアイと国境を接する。パラナ高原に属する北東部のミシオネス州以外は低湿地帯で,ところどころに草におおわれた低い丘陵がある。 16世紀末スペイン人が入植して以来,イエズス会の宣教師などにより開拓が進められ,第2次世界大戦後はブラジル,パラグアイなどのほかヨーロッパや日本などからの移住者が入植。現在同国の重要な農牧地帯となっており,羊毛,牛肉,アマ,米,柑橘類,綿花,タバコなどを産する。パラナ川とウルグアイ川は急流部や砂州が多く,流路もしばしば変るため交通の大動脈としての役割より,むしろこの地域を他地域から孤立させる働きをしてきた。パラグアイの首都アスンシオンとブエノスアイレスを結ぶ鉄道が東部を縦断し,道路網もかなり発達しているが,道路状態は悪い。 1980年代初めにウルグアイ川下流のサルトグランデ,パラナ川上流のアピペヤシレタ両発電所が完成,地域のエネルギー源となっている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「メソポタミア」の意味・わかりやすい解説

メソポタミア
めそぽたみあ
Mesopotamia

ギリシア語で「二つの川の間」を意味し、ティグリス川とユーフラテス川に挟まれた地域に対して古代ギリシア人がつけた地域名。今日ではより広義に、イラクおよびシリア北部を含む広範囲な地域の呼称としても用いられる。この地域には数万年前の太古にさかのぼる人類の居住址(し)があり、紀元前5000~前4000年には農耕を伴う定住民が現れた。そののちシュメール人が南部の川沿いにウル、ウルク、ニップールなどの都市を建設し、文字使用を含む高度の初期文明を発達させた。ついでセム人が南からきてシュメール人を圧倒し、南方にバビロニア、北方にアッシリアの二大帝国を樹立して強大な勢力を誇った。

 ペルシア人の来襲、ギリシアによるヘレニズム化を経て、後7世紀後半からアラブ人によるイスラム化が進み、言語もシュメール語、アッカド語、アラム語を経て今日では大多数がアラビア語を使用している。この地域は文明発祥の地として、また多様な文明の十字路として知られる。

矢島文夫

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百科事典マイペディア 「メソポタミア」の意味・わかりやすい解説

メソポタミア

西アジアのティグリスユーフラテス両河の流域地方の総称。ほぼ現在のイラクの中心部にあたる。名は元来〈両河の間の土地〉を意味するギリシア語で,〈肥沃な三日月地帯〉の東端にあり,世界最古の文明の発祥地。前3000年ころ,高度の都市文明(シュメール)が興り,前2000年ころからバビロニアアッシリアの文明(メソポタミア文明とも)が興った。現在も穀倉地帯として重要。
→関連項目イラクバグダッドパルミュラマリ(遺跡)

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旺文社世界史事典 三訂版 「メソポタミア」の解説

メソポタミア
Mesopotamia

ティグリス・ユーフラテス両川の流域
ギリシア語で「川の間の土地」の意。エジプトとともに世界最古の文明の発祥地で,前3000年ごろシュメール人が都市国家を築いて以来,バビロニア・アッシリアなど多くの国家が興亡した。現在イラク共和国がある地域。

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精選版 日本国語大辞典 「メソポタミア」の意味・読み・例文・類語

メソポタミア

(Mesopotamia 二つの川にはさまれた土地の意) 西アジアのチグリス、ユーフラテス両川の流域地方。イラクとシリア東部・イラン南西部が含まれる。バグダード付近を境に北部はアッシリア、南部はバビロニアと呼ばれた。四大文明発祥地の一つ。

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デジタル大辞泉 「メソポタミア」の意味・読み・例文・類語

メソポタミア(Mesopotamia)

《二つの川の間の土地の意》西アジアのチグリス川ユーフラテス川の流域地方。大部分イラクに属する。バグダッド付近を境に、北部の台地アッシリア、南部の平野バビロニアと呼ばれる。メソポタミア文明の発祥地。

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世界大百科事典 第2版 「メソポタミア」の意味・わかりやすい解説

メソポタミア【Mesopotamia】

イラク,シリアのティグリス,ユーフラテス両河流域地方を指す歴史的呼称で,〈(両)河の間〉を表すギリシア語に由来する。この地域に人類最古の文明が繁栄した。
[地域と風土]
 メソポタミアは,本来的にはバグダード以北の両河流域地方(ほぼアッシリアに対応)を指し,以南を示すバビロニアと対立的に用いられたようである。アラブは狭義のメソポタミアをジャジーラal‐Jazīraと呼んだ。のちにはメソポタミアはザーグロス山脈以西,アラビア台地以東,トロス(タウルス)山脈よりペルシア湾岸に至るまでの両河流域を指すようになった。

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世界大百科事典内のメソポタミアの言及

【シリア】より

…古代地理では,北はイスケンデルン(アレクサンドレッタ)湾周辺ないしトロス山脈以南から,南はシナイ半島までを含み,現在のトルコ共和国南東端からレバノン共和国,シリア・アラブ共和国,イスラエル,ヨルダン・ハーシム王国にまたがる地域にほぼ相当した。ギリシア人はシリアに〈山あいの(くぼ地の)koilē〉という形容詞をつけ,〈両河potamosの間meso〉のシリアすなわちメソポタミアと対比させた。 地形は全体として縦割りで,それぞれ,しばしば非常に狭まる海岸平野,その東側の丘陵・山岳地帯,そして,オロンテス川流域,ティベリアス(ガリラヤ)湖,ヨルダン川,死海,アラバ涸れ河などからなる,海面下に達する深い地溝,さらにその東側のシリア砂漠に続く高原地帯を特徴とする。…

※「メソポタミア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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