しゃ‐よう ‥ヤウ【斜陽】
[1] 〘名〙
※和漢朗詠(1018頃)下「山は向背を成す斜陽の裏 水は廻流に似たり
迅瀬の間〈大江朝綱〉」 〔劉滄‐秋日登醴泉県楼詩〕
② (転じて)
新興のものに圧倒されて、しだいに没落していくこと。また、そのもの。
※旅‐昭和二六年(1951)六月号・加越二国のお湯からお湯へ〈
戸塚文子〉「
海鳴りの響きの中に空しくまどろむ斜陽
(シャヨウ)の町だ」
[2]
小説。
太宰治作。昭和二二年(
一九四七)発表。没落
貴族の娘
かず子の一人称の語りを軸に日記・
手記・手紙を織りまぜた形で構成。第二次世界大戦後の既成秩序の崩壊を、かず子の母、弟直治、小説家上原の
滅亡と、「道徳革命」を夢見て生きぬくかず子の姿の中にとらえた。作者の代表作として話題を呼び、「
斜陽族」ということばを生んだ。
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斜陽
しゃよう
太宰治(だざいおさむ)の中編小説。敗戦後の1947年(昭和22)に発表され、ベストセラーとなり、敗戦によって没落した貴族をよぶ「斜陽族」という流行語を生んだ。母は最後の貴婦人として美しく死に、弟直治は生きる基盤のない貴族であることを嘆きつつ自殺する。1人残ったヒロインかず子は「人間は恋と革命のために生れて来たのだ」と、画家上原の私生児を身ごもり、道徳革命の完成を目ざして生きる。戦後の農地改革による太宰の生家津島家の没落が、日本の『桜の園(その)』を書こうという動機となったが、さらに太田静子のノートを手に入れて構想が定まった。滅亡への挽歌(ばんか)が第一主題で、それに比べて第二主題のかず子の道徳革命は観念的で弱いとされている。
[鳥居邦朗]
『『斜陽』(旺文社文庫・角川文庫・講談社文庫・新潮文庫)』
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斜陽
しゃよう
太宰治の長編小説。 1947年発表。敗戦後の没落貴族の家庭を舞台に,貴族の誇りを守る母,混迷した社会に対応できず自殺する弟,既成道徳を乗越えて生きようとする姉という三者三様の生き方に背徳の作家をからませ,さまざまな「滅び」の姿を独特の抒情とともに描いた作品。日本の『桜の園』といわれ「斜陽族」の流行語を生んだ。
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斜陽【しゃよう】
太宰治の小説。1947年雑誌《新潮》に発表された中編小説。没落貴族の娘の告白という形式で,滅びゆくものの悲哀と憧憬(どうけい)を描き,不安な第2次大戦後の社会の中に新しい生き方を探った作品。作者の自殺の前年に書かれ,没落階級を意味する《斜陽族》という流行語を生むほど広く読まれた。
→関連項目新潮
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デジタル大辞泉
「斜陽」の意味・読み・例文・類語
しゃよう【斜陽】[書名]
太宰治の小説。昭和22年(1947)発表。第二次大戦後の没落貴族として伊豆の山荘で母と暮らす娘かず子の、古いものへの反逆の生活と心情を描く。
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しゃよう【斜陽】
太宰治の長編小説。1947年《新潮》に連載され,同年新潮社から刊行。敗戦によって没落してゆく貴族の家庭を中心に,母,姉,弟,そして姉の恋人である無頼の作家の姿が主として姉の独白や手紙を通して語られるロマネスクな作品。特に滅びゆく高貴なものの美しさが〈日本で最後の貴婦人〉ともいうべき母の像を通して描かれている。人間と人間が争わなければ生きてゆけない社会に絶望しデカダンな生活を送っていた弟は,その母の死に殉じて自殺するが,姉は母にひかれながらも,生きることの汚れに耐え,小説家の私生児を生むことによって〈道徳革命〉をめざそうとする。
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普及版 字通
「斜陽」の読み・字形・画数・意味
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