日本大百科全書(ニッポニカ) 「車」の意味・わかりやすい解説
車
くるま
古代の哲学者は、斜面、ねじ、くさび、てこおよび車輪の5種類の単一機械を「五つの力ある業」the mighty fiveとよんだ。古代から今日に至る多くの機械の運動する部分は、これらの単一機械の組合せでつくられている。古代人は、てこに加わる力と重さが支点を中心としてその周りに円を描くことを知り、360度の円が描くてこ、つまり車輪と車軸を発明したのである。
[内田 謙]
回転運動
人間の歴史は、火の使用と道具の製作に始まる。火を燃やすときのきりもみ、物を加工するときのボーリングなど、いずれも回転運動である。ドイツの哲学者ノワレLudwig Noiré(1829―1889)は、動物のくちばしや前肢を作業器官に、人間の手を道具器官に位置づけて、「手が道具器官としてのその資格をかちえたのは、最高度に完全なつかむことやとらえることの働きのためである」と述べているが、おそらく、人類の初期においては、その手は作業器官として働いていたであろう。人類を含めて狭鼻類下目の霊長類の手は、母指の対立運動も前腕の回内・回外運動も可能である。
人差し指を伸ばし、前腕の回内・回外運動を適用して地面に穴をあける行為は、握斧(あくふ)を使った木の根などを掘る作業に置き換えられ、さらに、両掌の間で摩擦して棒を回すハンドドリルや、水平運動を回転運動に変換する弓ドリルなどの使用に変わっていったが、これらの回転運動はいずれも完全な連続的回転運動ではなかった。
[内田 謙]
車輪
少なくとも、車輪を除いた4種類の単一機械は旧石器時代に使われていたであろうし、てこは道具をつくる人間が最初に用いた道具であろう。しかし連続的な回転運動である車輪は特別の歴史が必要であった。つまり、ある種の車輪、円盤をつくるには、まず円を描くことが必要である。古代人がどのようにして円を描いたかという考古学上の記録は残されていないが、紀元前3000年以前の、正確な円が描かれている骨や粘土が出土し、また前2500年ころのインダス川流域で出土した陶器やれんがに、金属で刻まれた痕跡(こんせき)に円周やその中心が認められるという。
1本の固定した軸で自由に回転する円盤、あるいは軸受をもって自由に回転する車軸を備えた円盤は、運搬具と陶工用のろくろに用いられている。運搬具は、食物生産の共同体が生まれ都市が形成されるに伴って、食物の運搬に用いられた。車輪のついた運搬具のもっとも古い資料は、前3000年よりさかのぼる時代に、メソポタミアのシュメールの都市ウルクに残されている絵文字で書かれた文書にみられる記号である。絵文字には、そりを表す記号と、そりに小さな丸を二つ付け加えた四輪車の記号が認められる。実際に、車輪付き運搬車が使用されたのはさらに古く、発掘されたもっとも古い証拠の年代は、前四千年紀の最後の数世紀にさかのぼるともいわれる。
ろくろは、土器の製作を初めて機械化し、工業化した回転運動をもった道具である。ろくろはほとんど木製であったため、古代のろくろとして完全な形で残っているものはなく、ごくわずかに残されている石製の軸受と陶製の円盤から推測するにすぎない。現存する最古のろくろは、シュメールの都市ウルクで発掘された前3250年ころの粘土製の円盤とその部分である。車輪をどのように分類するかにもよるが、初期のろくろである尖軸(せんじく)円盤ろくろは連続的な回転によるものではなく、連続的に回転するろくろの出現は前700年以後のことである。
[内田 謙]
車輪付きの乗り物
初期の車輪付き乗り物の特徴は、車輪が中実車輪といわれる、いわゆる3枚の木製の厚い板を円となるように切り取って木製の筋かいで留めたものが使われ、動力には対をなす動物(主としてウシ)に乗り物を引かせたことである。現在知られている最古の乗り物は、国王の遺体を墳墓まで運ぶ霊柩車(れいきゅうしゃ)であり、国威を宣揚した戦車である。前2500年以前、メソポタミアの国王は霊柩車とともに埋葬されることを習わしとした。それらが当時の車輪の存在を教えてくれる。
車輪の発展に寄与したのは戦車である。当時、戦車は欠くことのできない存在で、戦力を増すためにすこしでも速く、操縦しやすい戦車を必要とした。中実車輪から輻(や)(スポーク)のついた車輪への発展は、こうした背景のなかでなされた。最初の輻のある車輪は前2000年ころのもので、北メソポタミアで出土した彩色粘土模型や中央トルコで出土した印章などにみられる。輻の大半は4本で、なかには6本や8本のものもあったが、今日にみられる放射状の輻の出現は中世の後期までまたなければならなかった。輻のついた車輪の出現とともに重要なできごとは、戦車をウマに引かせたことであり、動力源としてのウマの使用は蒸気機関などの新しい動力が発明されるまで続いた。
車輪が軌道に使われたのは15世紀の後期ドイツの鉱山の坑道である。車輪は木製のつばのついたもので、レールも木製である。軌道による内陸交通の開発が進んだのは18世紀以降である。
[内田 謙]
機械要素としての車輪
車輪の原理に基づく最古の形態の機械は、前述のように陶工用のろくろである。ドイツの機械学者ルーローは「回転の基本的法則は、機械の魂であり、運動そのものを支配するものであり、同時に理解しやすく表現するものである」と述べているが、車輪の原理を利用した機械や機械要素は古代から使われている。
もっとも基本的な工作機械は旋盤である。旋盤は鉄器時代の初期に発明されたといわれるが、今日知られている最古の旋盤は、エジプトのプトレマイオス王朝の墳墓に描かれている絵である。旋盤の着想は、陶工が乾燥した窯器をろくろ上でそぐことに由来している。垂直の回転運動は、リムを取り付けた車輪を組み合わせることによって水平の回転運動に転換されている。旋盤の出現は木工術や金工術の発展に寄与したが、旋盤の大きな進歩は18世紀以降である。このほか回転運動や車輪の原理を利用したものに、滑車や揚水機などがある。
[内田 謙]