日本大百科全書(ニッポニカ) 「水車」の意味・わかりやすい解説
水車
すいしゃ
水の流れを利用して、羽根車を回転させ、機械的動力を得る原動機。
水車の歴史
西洋
水車は、すでに紀元前から使われている。古くから種々の型があり、水車の軸受が縦(たて)型のもの、横型のものがある。水をかける方法も時代とともにさまざまに考えられてきたが、大きく、上射式(水車の上から水をかける)、中射式(水車の中ほどから水をかける)、下射式(水の流れに水車を入れるだけ)の三つの型式に区別される。
水車の起源がどこであるかはさだかでない。西アジア近辺で穀物を粉にする石臼(いしうす)を回すことに使ったのが最初ではないかといわれている。それがヨーロッパに伝わり中世に発達した。アラビア人はティグリス川に平底船を浮かべ、それに下射式水車を取り付けて、粉搗(こなつ)き工場・製紙工場などに動力を供給していたという。ルネサンス期になると水車は飛躍的に発達する。たとえば、鉱山冶金(やきん)書の『デ・レ・メタリカ』をみても、その発達ぶりをかいまみることができる。直径11メートルもの大型の水車が鉱山の排水のために使われた記録が残っている。さらには、鉱石粉砕機・冶金炉用のふいごの動力源などとして広く使われるようになった。
1682年、フランスのセーヌ川に、直径約8メートルの水車を13台使った水力装置が組み立てられ、235台のポンプを動かして163メートルの高さまで水をあげたという。水車は、マニュファクチュア時代の主要な原動機であり、自然力によって動かされる労働用具の普及に大きく貢献した。1759年、スミートンは風車・水車について研究し、水車の場合は上射式がもっとも効率的であることを報告した。さらに、18世紀ごろには、イギリスで溶鉱炉の送風用のふいごを動かすための動力源としても使われるようになり、アークライトは紡績機械の動力源として水車を利用している。しかし、このころから蒸気機関の研究も盛んになり、原動機としての蒸気機関もこのすぐ後に登場してくる。そして、この蒸気機関が発達するとともに、水車は徐々に蒸気機関にとってかわられた。水車の発達は、機械技術の発展に大きく貢献し、歯車、軸、軸受、クランク、リンク装置などの発達を促してきた。
[雀部 晶・木下 忠]
日本
日本に水車が伝わったのは、610年(推古天皇18)のころといわれている。『日本書紀』には、高句麗(こうくり)の僧曇徴(どんちょう)が碾磑(てんがい)(みずうす)をつくったという記録がある。しかし、これがどのような姿・形をしていたかはさだかでない。
日本では、灌漑(かんがい)のための揚水用の水車が奨励され普及した。たとえば絵巻『石山寺縁起』にも、水車を使って水田に水を入れるシステムが描かれている。水車が本格的に精米用に使われるようになったのは、江戸時代中期になってからである。伊丹(いたみ)の酒造業の精米は、18世紀初頭は人力が中心であったが、すぐに水車が使われ始めた。一方、水の利用をめぐってのトラブルも多く、そのために水車の発達が遅れた地域もあったとみられる。1744年(延享1)に初めて水車が設置された河内(かわち)国(大阪府)の今日の南河内郡では、水車の持ち主が村の庄屋(しょうや)・年寄・惣百姓(そうびゃくしょう)に一札入れ、水稲作の時期、すなわち夏の間は水車を回さない約束を取り付けられていた。5月の節供の10日前から秋の彼岸(ひがん)10日過ぎまでは、水車の取水口に錠がかけられ封印されることになっていた。つまり、水路が水田の灌漑用としてつくられたために、農業優先で、農閑期しか水の利用が認められなかった。さらに水車稼動中に用水路が破損した場合には、水車の持ち主が修理代のすべてを負担しなければならなかった。このように水車の持ち主と農民の間には、つねに深刻な争いがあり、水利権についての問題を抱えていた。
日本で水車の発達と普及が遅かったのは、食生活の関係もあったのではないかという指摘もある。諸外国の食生活は、粉食が発達していたから大量の製粉設備が必要となり、水車が多く利用されるようになった。一方、日本の場合、穀物を粉にして食することは少なく、そのため水車などの強力なエネルギーを用いなくても、人力で十分であった、とする説である。確かに諸外国では、粉食ということもあったであろうが、水車が飛躍的に発展する時期は、鉱工業に水車が利用されるようになってからである。幕末から明治時代には、日本でも水車が大きな動力源として活躍している事実をみれば、食生活という問題よりも、ヨーロッパに比べて鉱工業が決定的に遅れていたことが、水車(機械)の発達の遅れを招いたといえるのである。
江戸時代後期には、日本でも菜種(なたね)や綿実の油絞りにも水車が使用されるようになった。さらに、薬種粉末、胡粉(ごふん)などの絵の具、線香の粉末などの製造に水車が利用される。そして桐生(きりゅう)地方では、水力(水車)を利用する撚糸(ねんし)機が発明され、佐賀藩、水戸藩では洋式の反射炉技術をヨーロッパから導入し、その反射炉への送風に水車を利用したり、砲身を削るための機械の動力源を水車に求めるようになった。『佐渡金山絵巻』のなかには、金鉱石の粉砕に水車を利用している描写があり、また鹿児島藩ではヨーロッパから導入した紡績機械の動力源に水車を利用した。
明治時代になって、ようやく機械工業のなかでも本格的に動力源として水車が使われるようになった。明治初年に広島綿糸紡績所の動力として水車が設置されたのをはじめ、その後の富国強兵・殖産興業政策の下で近代日本を築くためとして、相次いで技術導入が行われ、それとともに水車を動力源として使用する事業所が増大していった。そして1909年(明治42)には、農業用の水車を除き、5人以上の職工を有する工場での水車台数は2390台(『工場統計表』による)になっていた。しかし、日本ではヨーロッパに比べてやや遅れただけで電気事業が始まったため、工業原動力として電力を使うことも早く、ために水車がヨーロッパのように長い年月にわたって機械工業の動力源の主流となることはなかった。
日本の電気事業は、諸外国と同様に、電灯需要を主流として出発したが、1913年(大正2)には電力総需要の56%が工業用電力(工場内電灯分も含まれる)として使われるようになっている。すなわち、工場で使われる動力源に電動機も使われ始めたことを示している。そして、この電力を発生させる手段として水車が使われていったのである。現代の水車は、水力発電用として活躍している。
なお、水力発電用以外に、精米・製粉・製材・揚水用として、今日もまだ水車を利用しているところも少なくない。
[雀部 晶・木下 忠]
現代の水車
現在用いられているプロペラ水車、フランシス水車、ペルトン水車は19世紀に発明されたもので、水力発電用に用いられる。水力タービンともよばれており、水車の軸は発電機に直結され、これを回転させる。1891年にドイツのフランクフルト・アム・マインで開かれた博覧会で電力の長距離送電の可能性が実証されて以来、水車は近代工業発達の原動力となった。
また、1960年代からは、電力に余裕のある夜間や週末にポンプを使って水を高所の貯水池に揚水し、電力需要のピーク時にその水を使って水車を回して発電する揚水発電が行われるようになり、揚水と発電機の駆動とを一つの機械で行うためにポンプ水車が開発された。
今日では水車の利用できる水の落差は数メートルから1800メートルに及ぶものがあり、1台の水車の出力も700メガワット程度の大きなものがある。また、ポンプ水車では、揚程、落差が700メートル、1台の出力が400メガワット程度のものまで製作されている。貯水池の水面と放流河川の水面との高さの差を全落差または自然落差とよび、それから貯水池と水車入口との間の損失などを差し引いた、水車が有効に利用できる落差を有効落差という。
[池尾 茂]
種類
水車は、羽根車に対する水の作用上から衝動水車と反動水車に分けられる。衝動水車は水の運動エネルギーだけを利用するもので、ペルトン水車がこの形式である。反動水車は水の運動エネルギーと圧力エネルギーの両方を利用するもので、フランシス水車、プロペラ水車、斜流水車がこの形式に属する。これらの水車は落差と水量に応じて選定される。20世紀終盤からは、地球温暖化に関連して再生可能エネルギーが注目されているが、水力エネルギーも再生可能エネルギーの一つである。日本では、大規模な水力発電に適したところはすでに開発されており、今後水力エネルギーを増やしていくためには、小規模の水力発電を推し進めていく必要がある。1000キロワット以下の小水力発電用水車として、衝動水車と反動水車の中間に位置するクロスフロー水車が用いられている。
(1)ペルトン水車 落差が大きく(500~1500メートル)水量が少ない場合に用いられる。1870年にアメリカのペルトンLester Allen Pelton(1829―1908)によって開発された。羽根車の外周上に18~30個の椀形(わんがた)のバケット(水受け)が取り付けられ、ノズルから噴出する水が羽根車の外周接線方向からバケットに当たってその方向を反転し、そのときの衝動力で羽根車が回転する。通常、横軸型でノズルの数は1~2本であるが、水量の多いときには縦軸型を使用し、ノズルの数は4~6本とする。負荷の変動により回転数が変化するが、その調節はノズル内のニードル弁を動かして水量を調整して行う。代表的なペルトン水車としては、日本では関西電力黒部川第四発電所の落差580メートル、出力95.8メガワットの縦軸型6ノズルのものがあり、外国ではスイスのビュードロン発電所の落差1883メートル、出力420メガワットの縦軸型6ノズルのものがある。現在では、日本にはペルトン水車の設置に適した場所はほとんどなくなってきている。
(2)フランシス水車 ペルトン水車に比べて落差が小さく、40~500メートルの中落差で水量の多い場合に用いられる。技術開発による適用落差範囲の拡大のためフランシス水車が多く製作されるようになっている。1849年にアメリカのJ・B・フランシスによりつくられたもので、水は渦形室から可動翼をもつ案内羽根(ガイドベーン)を通って、羽根車の多数の羽根の間へ流入する。羽根車において、流れの運動エネルギーと圧力エネルギーは機械的エネルギーに変換され、動力として主軸に伝えられる。流れはこのようにして羽根車を回転させ、最後に吸出し管から放水路に出ていく。案内羽根は羽根の取付け軸を回転させることにより、羽根車に流入する水の方向を変化させ、水車の負荷変動に応じて水量の調節を行うことができる。また、吸出し管を取り付けることにより、羽根車出口と放水面との間の高さを有効に利用することができる。大容量のフランシス水車としては、日本では北陸電力有峰第一発電所(ありみねだいいちはつでんしょ)(富山県)のもの(落差430メートル、出力266メガワット)、外国ではベネズエラのグリⅡ発電所のもの(146メートル、730メガワット)がある。
(3)プロペラ水車 プロペラ水車およびその改良型であるカプラン水車は、20~40メートルの低落差で大水量の場合に用いられる。羽根車の形は船のプロペラに似ており、水は案内羽根を出たのち、軸に平行に流れて羽根車に入る。羽根車はボス(羽根の取付け部品で、回転軸と直結している)に4~8枚の羽根を取り付けたもので、固定羽根のものを単にプロペラ水車といい、羽根のボスへの取付け軸が回転でき、角度を変えることのできるものをカプラン水車という。後者は1912年にオーストリアのカプランViktor Kaplan(1876―1934)が考案したもので、羽根を動かす機構はボスの中にあり、調速機からの信号により油圧機構を用いて羽根の取付け軸を回転させるようになっている。水量が変わると水流の方向も変化するが、それに応じて羽根は自動的に適切な傾きをとることができる。そのため固定翼のプロペラ水車に比べて、広い範囲の水量に対して効率よく働く特徴があり、大型のものはほとんどこの形式となっている。落差がさらに小さく、カプラン水車が適当でないときに横軸で円筒形ケーシングをもつチューブラ水車が用いられる。この場合、発電機も羽根車と直結して円筒形ケーシング内に設けられている。代表的なものとしては、只見(ただみ)川上流にある電源開発(Jパワー)大鳥発電所(福島県)の落差51メートル、出力100メガワットの縦軸カプラン水車、インドのコシ発電所の落差6.1メートル、出力5.6メガワットのチューブラ水車がある。
(4)斜流水車 1960年代に入って実用化された水車で、落差50~150メートル、比較的大水量のときに用いられる。渦形室から案内羽根までの構造はフランシス水車と同じであるが、羽根車の羽根が斜めの流路にある点が異なる。羽根車上の羽根枚数は8~10枚で、軸と45~70度の傾斜角をもつ。案内羽根の開閉に伴い水量と水流の方向が変化するとき、対応して羽根車羽根の角度も変化させ、広い負荷範囲で高い効率が得られるようにしたものをデリア水車という。羽根車羽根はカプラン水車と同様な方法で動かされる。代表的なデリア水車として、九州電力松原発電所(大分県)の落差84メートル、出力54.6メガワットのものがある。
(5)ポンプ水車 一つの羽根車を正逆回転させることにより、水車とポンプの作用を兼用させ、揚水発電を行うための機械。実用化されているポンプ水車には、フランシス型、デリア型、カプラン型があるが、現在では経済性や運転保守の容易さからフランシス型が大部分である。フランシス型ポンプ水車は、高揚程、高落差用に適し、大容量のものとしては、日本では東京電力神流川発電所(かんながわはつでんしょ)(群馬県・長野県)の落差675メートル、出力482メガワットのもの、外国ではアメリカのヘルムス発電所の541メートル、414メガワットのものがある。デリア型ポンプ水車は約30~150メートルの中揚程、中落差の所に適する。カプラン型ポンプ水車は低揚程、低落差に適し、主として潮の干満を利用する潮力発電所に利用されるが、適当な発電地点がないため、日本ではまだ実用例はない。
(6)クロスフロー水車 貫流水車ともいう。羽根車は円筒籠(かご)形で1対(つい)の主板の円周上に円弧上の羽根が20~30枚挟んである。案内羽根を通過した水が横型の羽根車の上部から中心に流れ込み、その後下部で中心から外に流れ出る。通常、案内羽根は軸方向に2分割されており、負荷に応じて切換運転することにより、広い負荷範囲にわたって良好な効率を保つことができる。落差5~100メートルで比較的小流量の地点で用いられ、出力は1000キロワット以下である。
[池尾 茂]
『加茂儀一著『技術発達史』(1943・高山書院)』▽『天野元之助著『中国農業史研究』(1962・御茶の水書房)』▽『石井安男著『水車とポンプ水車』(1962・電気書院)』▽『黒岩俊郎・玉置正美・前田清志編『日本の水車』(1980・ダイヤモンド社)』▽『大場利三郎・神山新一著『流体機械』(1980・丸善)』▽『国立科学博物館編『日本の稼動水車――実態調査報告書』(1983・クオリ)』▽『佐藤清史著『水力発電』(1987・東京電機大学出版局)』▽『出水力著『水車の技術史』(1988・思文閣出版)』▽『T・S・レイノルズ著、末尾至行他訳『水車の歴史――西欧の工業化と水力利用』(1989・平凡社)』▽『須藤浩三・山崎慎三・大坂英雄・林農著『現代機械工学シリーズ3 流体機械』(1990・朝倉書店)』▽『前田清志著『日本の水車と文化』(1992・玉川大学出版部)』▽『産業考古学会・前田清志他編『日本の産業遺産300選2 風・水車 原動機 工作機械 電力 電気・通信 応用化学・醸造 精密・産業機械』(1994・同文舘出版)』▽『河野裕昭著『日本列島現役水車の旅』(1997・小学館)』▽『高橋徹著『機械工学入門シリーズ 流体のエネルギーと流体機械』(1998・理工学社)』▽『末尾至行著『中近東の水車・風車』(1999・関西大学出版部)』▽『平岡昭利編『水車と風土』(2001・古今書院)』▽『ターボ機械協会編『ハイドロタービン』新改訂版(2007・日本工業出版)』