デジタル大辞泉
「論」の意味・読み・例文・類語
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ろん【論】
〘名〙
① 物事の道理を述べること。述べ語ること。
※俳諧・
去来抄(1702‐04)修行「句に勢ひといふ有。文は文勢、論は論勢也」 〔後漢書‐馮衍伝〕
② 言い争うこと。議論すること。また、文句を言うこと。
※菅家文草(900頃)四・読家書有所歎「児病先悲為二遠吏一、論危更喜不二通儒一」
※大鏡(12C前)二「御うれへの所は、ながく、論あるまじく、この人の領にてあるべきよし」 〔史記‐張儀伝〕
③ 意見。見解。考え。また、それらを系統立てて述べたもの。
※玉葉‐承安三年(1173)二月二三日「答二此旨一、定房不レ語、頗有レ論」
※
史記抄(1477)三「此等の論がちっと聖人とちがうたぞ」 〔
呂氏春秋‐孟秋紀・振乱〕
④ 仏教で、三蔵の一つ。論蔵
(ろんぞう)のこと。また、仏教論師の著わした論書、すなわち教義の綱要書、あるいは十二分経中の
優婆提舎(うばだいしゃ)など。〔性霊集‐二(835頃)〕 〔
勝鬘経‐摂受章〕
⑤ 漢文の文体の一つ。自己の意見を述べ主張する文。
ろん‐・ずる【論】
〘他サ変〙 ろん・ず 〘他サ変〙
① 物事をすじみちたてて説明する。解き明かして述べる。また、物事の是非をただす。あげつらう。
※
三代実録‐貞観二年(860)閏一〇月二三日「論
二之暦術
一、理若当
レ然」
※
日葡辞書(1603‐04)「ゼヒヲ ronzuru
(ロンズル)」
② 自説を主張し、たがいに言いあう。言い争う。〔
新撰字鏡(898‐901頃)〕
③ とりあげて
問題とする。そのことをとりたてていう。
※
徒然草(1331頃)二〇九「人の田を論ずるもの、訴へにまけて」
あげ‐つら・う ‥つらふ【論】
〘他ワ五(ハ四)〙 物事の善悪、理非などを議論する。物事の是非をただす。また、ささいな非などをことさらにとりたてて言う。
※書紀(720)推古一二年四月(岩崎本訓)「論(アケツラフ)に諧(かな)ふときは、則ち事理(こと)自らに通(かよ)ふ」
※
滑稽本・八笑人(1820‐49)三「昼夜をわかたぬ種々の、見せもの茶見せ諸商人、あげつらふにいとまはあらねど」
[語誌]「あげ」は「挙げ」、「つらふ」は「言いずらう」「引こずらう」などの「つらふ」で
動作や状態が強く長くつづくことを表わし、本来はマイナスのイメージはない。古く、書紀古訓の外には、古辞書や
訓点資料に見られるだけであるが、
漢文訓読によって後世に伝わった。
ろん・じる【論】
〘他ザ上一〙 (サ変動詞「ろんずる(論)」の上一段化したもの) =
ろんずる(論)※竹沢先生と云ふ人(1924‐25)〈
長与善郎〉竹沢先生の散歩「思ひがけなく大問題を論じる事が出来て、今日は大へん愉快でした」
ろう‐・ず【論】
〘他サ変〙 (「ろう」は「ろん」の「ん」を「う」と表記したもの) =
ろんず(論)※公任集(1044頃)「もろともに詠みて、おとり増りろうじける」
あげ‐つらい ‥つらひ【論】
〘名〙 (動詞「あげつらう(論)」の
連用形の
名詞化) 物事の善悪などを論ずること。議論。また、ささいな非などをことさらにとりたてて言うこと。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
論
ろん
仏教の術語。サンスクリット語でアビダルマabhidharma、パーリ語でアビダンマabhidhammaという。部派仏教の個々の教義、教義体系、または論書を示す語。原始仏教において創始者釈尊の教説は法(教え)と律(教団規則)の二つに分類されていた。釈尊の滅後約100年して仏教教団は18~20の部派に分裂し、各部派は釈尊の法と律を分析・総合し詳細な研究を行い、膨大な論(アビダルマ)をつくり、互いに煩瑣(はんさ)な論争に従事した。ここに至り、法・律・論はそれぞれ経蔵(きょうぞう)・律蔵・論蔵にまとめられ三蔵(トリ・ピタカtri-piaka)が成立した。このうち論蔵(アビダルマ・ピタカ)こそが部派仏教のつくりあげたものであり、その特徴をよく示すものなのである。しかし釈尊の教説を分析・総合する傾向はすでに原始仏教経典のなかにみられ、そのうちとくにアビダルマカターabhidharma-kathā(法に関する議論の意)の語や、マートリカーmātkā(研究の題目の列記の意)などが、後のアビダルマの萌芽(ほうが)と考えられている。
アビダルマの原義はabhi(に対して)+dharma(釈尊の教え)より「釈尊の説いた法に関する研究」の意味であり、それゆえ「対法」とも漢訳される。しかしほかにabhi(優れた)+dharma(法)より「優れた法」という語義も現れるが、これはアビダルマが成立したのちにその優位性を示すために行われた解釈であろう。しかしこの第二の解釈は部派仏教の学匠たちが一般に抱いていた自信と情熱を示しているものらしく、『倶舎論(くしゃろん)』によれば「悟りを得るための無漏(むろ)の(汚れない)智慧(ちえ)こそが勝義のアビダルマであり、この智慧を得るための教えなどは世俗のアビダルマにすぎない」といっている。
論書としてのアビダルマは、説一切有部(せついっさいうぶ)とパーリ上座部のものが多く現存する。他の部派もおのおのの三蔵を伝持していたと思われるので論蔵も備えていたであろうが、上記2部派ほど整備されたものではなかったであろう。有部の現存する論書は、集異門足(しゅういもんそく)論、法蘊足(ほううんそく)論、施設(せせつ)論、識身足論、界身足論、品類足論、発智(ほっち)論の7論、その後成立した大毘婆沙(だいびばしゃ)論、雑心論、倶舎論などである。パーリ上座部のものとしては、法集論、分別論、論事、人施設論、界説論、双対論、発趣論の7論、その後成立のアッタサーリニーAtthasālinī、ビスッディマッガVisuddhimagga、アビダンマッタサンガハAbhidhammatthasangahaなどがある。これらは成立順序に従って内容の発展が認められる。なお他部派のものとしては舎利弗阿毘曇(しゃりほつあびどん)論、三弥底部(さんみていぶ)論、成実(じょうじつ)論などきわめてわずかであり、他部派の思想は上記2部派の論書の引用からうかがえるのみである。
なお、書名に付される論(たとえば倶舎論、大智度論などの論)はサンスクリット語でシャーストラśāstraといい、大乗仏教の論書にもつねに用いられる語であるから、いま問題としている論(アビダルマ)とは別のものであることは注意されねばならない。
[加藤純章]
『桜部建著『倶舎論の研究』(1969・法蔵館)』
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論 (ろん)
lùn
中国の文の一つ。多くの言説を比較検討して,論理的に自己の求める真理を究明する文章を言い,〈論〉と〈史論〉に分かれる。論は言と侖(りん)よりなり,侖は理,すなわち筋道のことで,筋道を正して言うのが論の原義である。〈論〉を書名とする《論語》が名付けられた理由を,後漢の鄭玄(じようげん)は〈論は綸なり,輪なり,理なり,次なり,撰なり〉と説く。綸は世務を経綸すること,輪は円転無窮の意,理は万理を蘊令(つつ)むこと,次は論述に秩序あること,撰は群賢が定稿を編集する意,というのが鄭玄の解釈であるが,この解釈は文体としての〈論〉にそのまま適用できる。曹丕(そうひ)の《典論》論文は〈書・論は宜(よろ)しく理なるべし〉と言い,陸機の《文賦》は〈論は精微にして朗暢〉と言い,劉勰(りゆうきよう)の《文心雕竜(ぶんしんちようりよう)》論説篇には,聖人の教えを経と言い,〈経を述べ理を叙するを論と曰う〉と説く。劉勰はまた論を,是非を弁別する為のものであり,具象を究明し,抽象を追求し,障害を克服して理解し,深淵の中から真理を捜し出すこと,換言すれば,多数の意見を正しく導く手段であり,多くの事物の価値を量る計器であるとも説明し,班彪(はんぴよう)の《王命論》,王粲(おうさん)の《去伐論》,嵆康(けいこう)の《声無哀楽論》などを優れた作と推奨する。論は唐代の進士科の試験科目の一つであったし,《唐宋八家文》の中にも,韓愈《原道》,欧陽修《朋党論》などの秀作が見える。
執筆者:伊藤 正文
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