国際連合(読み)こくさいれんごう(英語表記)The United Nations

日本大百科全書(ニッポニカ) 「国際連合」の意味・わかりやすい解説

国際連合
こくさいれんごう
The United Nations

国際連合(以下国連略称)は、国際連盟The League of Nationsの後を受けて、第二次世界大戦直後に設立され、国際平和と安全の維持をおもな目的とする、普遍的な平和機構である。一般的には、この名称は、国連憲章Charter of the United Nationsに基づいて設立された国連機構(本部)をさすが、憲章で定められた手続に従ってこの機構と連携関係をもつ専門機関をも含めた国連ファミリー全体をさすこともある。国連は、全世界に開かれ目的が多岐にわたるいわゆる普遍的一般的国際機構であるが、同時に主権国家の集合体であり、各加盟国の主権は平等である。したがって、国連は世界国家のような強い統制力をもった機構ではない。そして、その発足以降における国際環境の進展と変貌(へんぼう)のため、その機構も機能も逐次拡大するとともに著しい変容を遂げてきた。

[斎藤鎮男・黒神直純 2022年12月12日]

成立

1943年10月、モスクワで開かれたアメリカ、イギリス、ソ連三国外相会議において第二次世界大戦後の平和維持機構設立問題が正式に取り上げられた。その結果、この3か国に中国を加えた4か国が、「国際平和と安全の維持のために、すべての平和愛好国の主権平等の原則に基づく世界的国際機構の設立を必要と認める」とうたったモスクワ共同宣言を発して、新機構設立の連合国の意向を明らかにした。翌1944年、アメリカのダンバートン・オークスで開かれた前述4か国代表の会議において新機構に関する具体案が練られ、その結果ダンバートン・オークス提案が生まれた。これが「一般的国際機関の設立に関する提案」で、この提案は今日の国連憲章の原案となったものである。

 さらに翌年の1945年2月の米英ソ三国首脳によるヤルタ会談において、安全保障理事会の表決方法や信託統治制度など未決事項についての合意が成立し、同年4月、連合国の全体会議が50か国の代表を集めてサンフランシスコで開かれ、2か月にわたる審議を経て、前記ダンバートン・オークス提案を修正・追加して憲章草案ができあがった。この草案は同年6月26日、参加国全部の50か国によって署名され、10月24日、所定の批准数を満たしたので、国際連合が正式に発足することとなった。毎年10月24日は「国連の日」(国連デー)として記念され、世界各国で各種行事が催されている。発足時に加盟国となった国を原加盟国とよぶ。ポーランドは、国連発足時に新政府が成立していなかったので会議に出席できなかったが、のちに原加盟国に加えられ、全部で51か国となった。中立国、日本を含む旧敵国、旧敵国の援助を受けていた政権の支配するスペインなどは国連のなかに入れられなかった。以上の経緯をたどって成立した国連は、大戦中の五大国(アメリカ、イギリス、ソ連、中国、フランス)のイニシアティブと特権のうえに築かれ、1946年1月1日、その第1回総会ロンドンで開催した。

[斎藤鎮男・黒神直純 2022年12月12日]

発足時の特徴

国連の特徴の最大のものは、旧連合国重視ということである。発足時には、前述のごとく、多くの国が原加盟国たることから排除され、旧連合国から成立していた。そのなかでも五大国は、常任理事国としての特権(拒否権)を与えられ、特別扱いされた。第二の特徴は、それにもかかわらず、51か国という多数の国が加盟し、そのなかにはアメリカ、ソ連を含む五大国がいずれも最初から参加していたことである。そして第三の特徴は、国際連盟の教訓を尊重して、その欠点であったヨーロッパ的性格、すなわち加盟国のヨーロッパ中心主義、活動にあたっての法律主義や手続偏重を排し、普遍的加盟、実際的処理を重視し、全会一致制を変えて多数決制を原則としたことである。最後に、国際連盟が平和と安全の維持を目的としたことに加え、国連は経済、社会、人権などの分野における国際協力を独立してその目的のなかに加えたことがあげられる。

[斎藤鎮男]

主要機関

国連は六つの主要機関からなっている。総会、安全保障、経済社会および信託統治の3理事会、国際司法裁判所ならびに事務局がそれである。国連は、これらの主要機関のほかに補助機関を設けることができることになっている。

〔1〕総会General Assembly 主要機関のうちで最高の機関は総会で、国連機能の全般にわたって討議し、加盟国、安全保障理事会に対して勧告を行うことができる。総会は全国連加盟国(2022年10月時点で193か国)で構成する。また総会の決定は、出席しかつ投票する構成国の過半数の賛成により、重要問題については3分の2の多数の賛成によって行われる。

 総会(通常会期)は毎年1回(9月の第3火曜日から)開かれることになっているが、必要があれば特別会期Special Sessionを開くことができる。また、安全保障理事会が国際の平和と安全の維持に関する主要な責任の遂行に失敗したときには、国際の平和と安全を維持しまたは回復するための集団的措置を加盟国に勧告するために、総会の会期中でないときには、安全保障理事会の要請(9理事国の多数によって)か、加盟国の要請(過半数によって)があってから24時間以内に、緊急特別会期Emergency Special Sessionを開くことができる(1950年11月3日に成立した「平和のための結集」決議による)。

〔2〕安全保障理事会Security Council 安全保障理事会は、国際の平和と安全の維持に関して第一次的責任を負う機関である。国連加盟国は、安全保障理事会の決定を受諾し履行しなければならないから、この責任遂行のために、総会よりも強い権限を有しているわけである。理事会は、常任理事国5か国(アメリカ、イギリス、ロシア、フランス、中国)と非常任理事国(発足当初は6か国。1965年に4か国増員され10か国となった。任期は2年だが引き続いて再選されない)で構成する。また理事会の決定は、手続事項については9理事国(いかなる理事国であってもよい)の賛成投票によって、その他の事項(非手続事項や実質事項とよばれる)の決定については、常任理事国の同意投票を含む9理事国の賛成投票によって行われる。したがって、実質事項の決定では常任理事国の反対投票は拒否権vetoの行使となる(ただし、常任理事国の棄権や欠席は拒否権の行使と認められないことが慣行として確立している)。

〔3〕経済社会理事会Economic and Social Council 経済社会理事会は、経済的、社会的、文化的、教育的および保健的国際問題について、研究、報告、発議を行い、総会、国連加盟国および関係専門機関に対し勧告を行うことができる。理事会はこのほかに、専門機関Specialized Agenciesとの連携関係を設定する協定を締結し、その活動の調整を行う。また、NGO(非政府組織)と協議を行い、そのための取決めを行う権限をもっている。理事会は54の加盟国で構成する。その決定は、出席しかつ投票する理事国の過半数の賛成によって行われる。

〔4〕信託統治理事会Trusteeship Council 信託統治理事会は、信託統治地域について統治国を監督するための機関である。この理事会は、旧委任統治地域を取り扱うための信託統治協定に基づき活動してきたが、1994年のパラオを最後に管轄下の11の地域すべてが独立したため任務をほぼ終了したものとみなされている。そのため信託統治理事会は手続を改正し、今後は必要が生じた場合のみ会議を開くことになった。

〔5〕国際司法裁判所International Court of Justice 国際司法裁判所は、国際連盟時代の常設国際司法裁判所を引き継いだもので、15人の裁判官(任期9年)よりなる、国連の主要な司法機関である。この裁判所は、国連憲章と不可分の一体をなす国際司法裁判所規程に従ってその任務を行うことになっており、すべての国連加盟国はこの規程の当事国である。また、すべての国連加盟国は、自国が当事者であるいかなる事件においても、その裁判に従わなければならない。なお、総会、安全保障理事会、あるいは、その他の国連機関や専門機関で総会の許可を得るものは、法律問題についてこの裁判所の勧告的意見を求めることができる。この勧告的意見には法的拘束力はない。

〔6〕事務局Secretariat 事務局は、事務総長Secretary Generalと職員からなる。事務総長は、安全保障理事会の勧告に基づいて総会が任命する。事務総長は、各会議に出席し、委託された任務を遂行し、年次報告を行うなど事務機能を統率しているが、同時に国際の平和と安全の問題について安全保障理事会の注意を促したり、総会に年次報告をするなど、政治的機能も担う。歴代事務総長は、初代のトリグブ・リー以下、ダグ・ハマーショルド、ウ・タント、クルト・ワルトハイム、ハビエル・ペレス・デクエヤル、ブートロス・ブートロス・ガリ、コフィ・アナン、潘基文(ばんきぶん/パンギムン)、アントニオ・グテーレスである。事務局の職員は、総会が設ける規則に従って事務総長が任命する。

〔7〕補助機関Subsidiary Organs 総会および各理事会は補助機関を設けることが認められている。総会関係では、人権理事会(UNHRC)、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、国連開発計画(UNDP)、国連環境計画(UNEP)などがあり、安全保障理事会関係では旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所(ICTY、1993~2017)やルワンダ国際刑事裁判所(ICTR、1994~2015)などがあげられる。また、総会と安全保障理事会の両方の下に、国連平和構築委員会(PBC)がある。経済社会理事会関係では、麻薬委員会や女性の地位委員会などの機能委員会と、地域委員会(5地域)がある。

〔8〕専門機関Specialized Agencies 専門機関は次の19の国際組織からなる(2022年10月時点)。国際労働機関(ILO)、国連食糧農業機関(FAO)、国連教育科学文化機関(UNESCO)、世界保健機関(WHO)、国際民間航空機関(ICAO)、万国郵便連合(UPU)、国際電気通信連合(ITU)、世界気象機関(WMO)、国際海事機関(IMO)、国際通貨基金(IMF)、世界銀行グループ(国際復興開発銀行=IBRD、国際開発協会=IDA、国際金融公社=IFC、多数国間投資保証機関=MIGA、投資紛争解決国際センター=ICSID)、世界知的所有権機関(WIPO)、国際農業開発基金(IFAD)、国連工業開発機関(UNIDO)、世界観光機関(UNWTO)。なお、国際原子力機関(IAEA)は専門機関に類するものであるが、性質上、経済社会理事会のみならず総会、安全保障理事会とも関係をもっているので専門機関には入らない。また、世界貿易機関(WTO)も専門機関と類似するが、連携協定は締結されていない。

[斎藤鎮男・黒神直純 2022年12月12日]

成立以後の歴史と現状

国連はその発足後、多くの試練を経て今日に至っている。

〔1〕東西関係 第二次世界大戦を通じて保たれた東西間の協調は、国連の発足後まもなく、レバノン、シリア、ギリシアにおける外国軍隊の撤退を主張したソ連の第1回拒否権行使によって動揺を始め、これに対応してなされた1947年のトルーマン・ドクトリン発表やマーシャル・プランの成立のために、冷戦Cold Warによって置き換えられるに至った。この冷戦期間は、1953年のスターリンの死まで続き、東西ともに国連を自己に有利に活用しようとしたが、拒否権の乱発によって国連は麻痺(まひ)状態になった。スターリンの死後平和共存の時代に入り、さらに米ソ間のいわゆるデタント時代がこれに続くに及び、米ソ両国による国連の共同管理の様相を呈するに至った。

〔2〕第三世界諸国の大量加盟 冷戦構造がなお続く1955年、アジア・アフリカ新興諸国は、バンドン会議における反帝反植民地のスローガンのもとに16か国が一括加盟に成功した。それ以後も第三世界の新加盟が続き、第三世界の全加盟国数に占める比率は、35%(1956年末)、50%(1964年初頭)と増大し、今日では3分の2を超えている。強烈な民族主義と非同盟主義に支えられたアジア・アフリカ勢力の国連における台頭は、当然に西欧体制下の国連の勢力関係に変化をもたらした。そのうえソ連や新しく国連に席を占めた中国はこれを支援し、アメリカをはじめとする西欧諸国は、その数の力にフラストレーションを覚えるようになった。このことは、米ソ両国の主導下にあった国連の勢力関係が多極化し、超大国の自由にならなくなったことを意味した。

〔3〕国連主要機関の役割の消長 東西関係が冷戦下にあった国連史の最初の10年は、安全保障理事会の機能が麻痺して総会の役割が上昇したが、それに続く10年間は安全保障における事務総長の機能を高め、さらにその後の10年間では、第三世界の総会における勢力増大の影響を避けようとする西欧側の態度を反映して、安全保障理事会の比重が高まった時代ということができる。中東問題や南ア(南アフリカ共和国)問題に関する総会の決議の無視、安全保障理事会におけるアメリカを含む拒否権行使の頻発がその好例である。

〔4〕安全保障理事会の活性化 冷戦後安全保障理事会が以前と比較して機能するようになった。安全保障理事会は、1990年代初頭の湾岸危機を契機として、国連憲章第7章に基づいて、多国籍軍や地域的機関に強制措置を授権するようになった。また、各地で内戦が頻発し、平和維持活動の派遣件数が飛躍的に増大した。さらに、1992年に国連事務総長ブートロス・ガリによって提出された報告書「平和への課題」では、紛争予防および平和維持活動と並び、紛争後の復興を支援するいわゆる平和構築の重要性が唱えられた。その後平和構築委員会(PBC)が設置され、紛争後の地域においては、平和維持活動以外に国連政治・平和構築ミッションとよばれる新たな活動が展開している。また、紛争後の地域での司法機関による法の秩序の確立として、1990年代に起きたユーゴスラビアとルワンダの内戦において、国際人道法上で違反したものを裁くために、安全保障理事会のもと国際刑事裁判所がそれぞれ設けられた。

〔5〕改革機運の高まり アナン事務総長の在任中(1997~2006)、世紀の変わり目には「国連ミレニアム宣言」、また国連創立60周年には「世界サミット成果文書」と、大きな節目に重要な文書が採択された。これらにおいて国連の目標や原則が再確認されるとともに、あらゆる活動分野における提案が多く盛り込まれ、アナンは積極的に国連改革を推進した。1997年7月の報告書「国連を刷新する」には、副事務総長の新設、部局の統廃合や職員の大幅な削減など斬新な考えを盛り込み、設立以来もっとも包括的かつ大胆と評された。2002年9月の報告書でうたわれた「国連を強化する」との目的のもとに人権理事会の設置が決定され、事務局の改革も提案された。

〔6〕世界的目標設定の試み 近年国連は、世界を巻き込む形で開発や発展に関する達成目標を設定し、各国の自発的な行動を促進することに力を入れてきた。その代表的なものとして、「ミレニアム開発目標Millennium Development Goals:MDGs」と、「持続可能な開発目標Sustainable Development Goals:SDGs」があげられる。前者は、2000年9月にニューヨークで開催された国連ミレニアム・サミットで採択された。これは、極度の貧困と飢餓の撲滅など八つの目標をうたった開発分野における国際社会共通の目標であった。事務総長の潘基文は、目標の最終年にあたる2015年7月に「ミレニアム開発目標報告2015」を発表し成果を強調した。

 SDGsは、開発のみならず経済、社会および環境にも広がるもので、2015年の国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」の一部を構成した。17のゴール・169のターゲットからなるこの目標は、2030年までの達成を目ざす。これら一連の目標は、世界各国における国レベルから市民レベルまで浸透し一定の効果を示してきた。

[斎藤鎮男・黒神直純 2022年12月12日]

制度上の発展

複雑な国際環境に直面して機構面でも機能面でも行き詰まったかにみえる国連においても、制度上、種々打開策が試みられてきた。先にあげた「平和のための結集」決議以外に重要なものを次にあげる。

〔1〕意思決定におけるコンセンサス制の採用 国連においては、意思決定は投票によって行われるのが原則である。しかし、投票によるときは、より広い賛同が得られないまま投票に付されるから、賛否が大きく分かれ、のちにしこりを残すばかりでなく、せっかくの決定が実施されない場合が多い。コンセンサス制consensusは、投票によることなく、議長などが、異議がなければこれを採択したいと宣言して表決にかえるのである。コンセンサス案が成立するためには十分な事前協議がなされねばならない。コンセンサスは全員が満足するものとは限らないから、満場一致とは異なるが、反対しないということで総意となったものであるから実施に移しやすい。したがって、コンセンサス制は投票にかわる意思決定方式として定着してきたといえる。

〔2〕平和維持活動の展開 国連は、冷戦に拒まれて本来の国連軍を編成することに失敗したが、これにかわる平和維持活動Peace-keeping Operations(PKO)を展開し、平和維持の重要な役割の一端を担わせることができた。PKOは、安全保障理事会または総会の勧告に基づき、武力行使を目的とせずに、紛争当事国間に介在して停戦の確立、治安維持などにあたることにより、戦火の拡大、再発を防止することを任務とする予防的警察行為である。したがって、侵略の防止や軍事制裁などの軍事行動を目的とするものとは異なっている。冷戦後は、1992年にカンボジアに派遣された国連カンボジア暫定機構(UNTAC)のように、従来の兵力引き離しや停戦監視以外の、選挙監視や文民警察機能などを備えた大規模かつ包括的な目的を帯びたPKOが奏功した。他方、1993年に、国連事務総長ブートロス・ガリの報告書「平和への課題」のもとでソマリアに派遣された第二次国連ソマリア活動(UNOSOMⅡ)のように、武装しかつ紛争当事者の同意なく介入するものは、失敗に終わった。その後、憲章第7章のもとで、自衛力を強化されたPKOが派遣されるようになり、また、スーダンのダルフール地域における国連アフリカ連合合同ミッション(UNAMID)のように地域的機関の軍と連携したハイブリッド型の活動も見受けられ、PKOは新時代を迎えている。

〔3〕NGO活動の重視 主権国家の集合体である国連にとって、NGOの活動は有意義であることが認められ、憲章もそのため1か条(憲章71条)を割いている。NGOが注意を払われるようになったのは、その数のおびただしい増大とともにその政治的重要性が高まったこと、通信技術の発達によって、経済・社会分野における国境を越えた民間の活動が活発化したことのためである。国連は、これら組織の特殊な地位を認めて国連活動への協力を望んできた。国連の主要機関の一つである経済社会理事会と協議する関係にあるNGOを、一般に国連NGOとよぶ。なお近年の国連では、しばしばNGOのことを市民社会civil societyとよぶ。

[斎藤鎮男・黒神直純 2022年12月12日]

安全保障理事会の改革

冷戦後、ソ連からロシアへと安全保障理事会の議席がスムーズに承継され、また、湾岸危機の際、五大国の意見の一致により安全保障理事会が機能するようになった。このことは、他の加盟国に対して、大国による安全保障理事会支配という不信感を喚起し、安全保障理事会の構成を再考する契機となった。1991年の総会で改組の議論が始まり、1993年12月には、安全保障理事会改組作業部会が設置された。改革問題の争点は、主に、(1)安全保障理事会拡大の範囲と(2)拒否権の問題であった。

 1997年3月には、作業部会から、安全保障理事会の拡大の幅を常任理事国5か国(そのうち2か国は先進国)とし、新規常任理事国には拒否権を認めないことなどを盛り込んだ提案(議長の名をとって「ラザリ案」とよばれる)が出された。日本とドイツ、さらに地域の大国であるブラジルとインドにとっては、常任理事国入りが目前に迫ったが、同年10月にイタリア、カナダ、エジプト、メキシコ、パキスタンなどの反対により、ラザリ案は採択されなかった。

 2001年9月11日にアメリカを襲ったテロを契機とし、2003年9月には、総会で事務総長アナンが国際社会の新たな脅威に対処するための改革を検討する「ハイレベル・パネル」の設置を提唱した。翌年12月には同パネルが報告書を提出した。ここでは、二つの方策、すなわち、常任理事国(拒否権なし)6か国と非常任理事国(2年任期)3か国の増加(A案)と、準常任理事国(任期4年で再選可)8か国と非常任理事国2か国の増加(B案)が提案された。日本、ドイツ、ブラジルおよびインド(G4)は歩調をあわせて、A案を推進すべく、アフリカ連合(AU)との交渉を進めたが時間がかかり、安全保障理事会の改革は、暗礁に乗り上げた。

[黒神直純 2022年12月12日]

国連の財政

国連の通常予算は2年ごとに編成されてきたが、2020年から単年度予算(1月1日~12月31日)が導入されている。2022年の通常予算は、約31億ドルである。国連の経費は加盟国の分担金によってまかなわれる。分担金は、総会が任命し個人資格で勤務する18名の委員から構成される分担金委員会の助言に基づいて、総会が決定する分担率に従って加盟国が支払うことになっている。分担率は、加盟国の国民総所得などに基づいて決められ、原則として3年に1回改定される。2022~2024年の基準では、1位アメリカ(22.000%)、2位中国(15.254%)、3位日本(8.033%)、4位ドイツ(6.111%)、5位イギリス(4.375%)である。国連には、通常予算のほかに、自発的拠出金その他の特別勘定または信託基金などがある。なお、PKOの経費は別の分担方式によりまかなわれる。2022年時点で、PKO予算はアメリカが全体の26.9493%を負担しており、以下、中国18.6857%、日本8.0330%、ドイツ6.1110%、イギリス5.3592%と続いている。

[黒神直純 2022年12月12日]

国連と日本

日本は戦後、独立を回復するとまもなく、1952年(昭和27)6月23日、国連加盟の申請を行った。しかし、米ソ対立の激しいなか、ソ連はアメリカの推す国は日本をはじめどの国の加盟も拒否権をもって阻止した。1955年になって、日本を含む18か国の一括加盟案が上程されたが、国民政府(中華民国)がモンゴル人民共和国の加盟に反対したため、ソ連は日本にのみ拒否権を行使し、モンゴルとともにこのときも日本は加盟の機を逸した。結局日本の加盟は、翌1956年の12月、日ソ国交正常化交渉の成立をまって実現することができた。なお、日本は国連加盟前に、すでに国際司法裁判所とすべての専門機関に加盟していた。

 日本は、平和国家として国連重視の立場をとり、今日までその立場を堅持してきた。日本政府は、国連加盟直後、自由と正義に基づく平和の確立と維持という外交の根本目標に従い、外交活動の基調として、国連中心、自由主義諸国との協調、アジアの一員としての立場堅持、の三原則をあげた。その後、日本は安全保障理事会の非常任理事国、経済社会理事会の理事国にしばしば当選し、また、分担金負担率も逐次増大して高額負担をすることになった。しかし、日本はその憲法のたてまえ上、軍事力の行使を伴う国連活動に参加することができず、PKOにも経費負担以外の協力を控えてきた。1992年のカンボジアへ派遣されたPKO(UNTAC)を機に自衛隊をはじめ要員を派遣するようにはなってきたが、依然、日本の人的貢献度は低い。

 ところで、日本に関連する憲章上の問題として、旧敵国条項削除問題がある。国連憲章上には明文の説明はないものの、第二次世界大戦時に連合国と交戦していた旧「敵国」という語が53条、77条1項bおよび107条の3か所にある。これらの規定を総称して旧敵国条項とよぶ。日本は、1970年の外務大臣愛知揆一(あいちきいち)(1907―1973)の総会演説以降、戦後国際社会に復帰した日本にこのような規定の適用の余地はないものとして、一貫してこれら規定の削除を主張した。この問題に関しては、1994年(平成6)の第49回総会で削除の検討を含む国連憲章特別委員会の報告に関する総会決議が賛成多数で可決され、翌年の総会決議では、108条に基づいて、旧敵国条項を削除するための憲章の改正手続を将来のもっとも早い適当な時期に開始する意思が表明された。

[斎藤鎮男・黒神直純 2022年12月12日]

『斎藤鎮男著『国際連合論序説』改訂3版(1981・新有堂)』『斎藤鎮男著『国際連合の新しい潮流』改訂増補版(1984・東京新有堂)』『桐山孝信ほか編『国際機構』第4版(2009・世界思想社)』『明石康著『国際連合―軌跡と展望―』(岩波新書)』『北岡伸一著『国連の政治力学 日本はどこにいるのか』(中公新書)』


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百科事典マイペディア 「国際連合」の意味・わかりやすい解説

国際連合【こくさいれんごう】

United Nations。略称は国連,UN。国際連盟の活動を受けつぎ,1945年10月24日発足した史上最大の国際平和機構。本部ニューヨーク。事務総長潘基文(2007年就任)。2012年現在の加盟国は193。〔成立経過〕 設立の構想は第2次世界大戦初期から連合国(枢軸国と交戦した米,英,ソなど)の間で高まっていた。1941年の大西洋憲章,1942年の連合国共同宣言などにそのきざしがみられるが,1943年米・英・ソ・中4ヵ国の発したモスクワ宣言の中で初めて具体的に提起され,1944年ダンバートン・オークス会議で国際連合憲章の草案が採択された。1945年ヤルタ会談をへて同年サンフランシスコ会議で正式に憲章が採択され,10月24日(国連の日)正式に発足した。→国際連合旗国際連合本館〔目的と原則〕 国連の目的と活動原則は国際連合憲章の前文および第1章に規定されている。目的は国際平和と安全の維持のために集団的保障措置を講じ,経済・社会・文化など非政治的分野での国際的協力による問題解決を図ることなどである。行動原則は国連およびその加盟国が遵守(じゅんしゅ)すべきものとして,加盟国の法的主権の平等,憲章に基づく義務の履行,紛争の平和的解決,他国の領土主権に対する武力行使の禁止,国連の行動に対する加盟国の協力と援助,加盟国の国内問題に対する国連の干渉禁止,および非加盟国もこれら諸原則に従って行動するよう国連が努力することを規定している。〔加盟国〕 憲章の定める義務を承認し,その義務を遂行する意思と能力があると国連によって認められた平和愛好国はすべて加盟国となりうる。加盟希望国は事務総長を経由して安全保障理事会に申請し,同理事会の承認と勧告に基づき,国連総会が決定する。脱退については特別の規定はなく,自己の意思により行われることが了解されている。憲章違反国に対する除名・権利停止などの措置は,安全保障理事会の勧告に基づき総会が決定する。加盟国のうち,国連発足時に憲章に署名し,批准をすませていた51ヵ国を原加盟国といい,これは第2次大戦中の連合国に限られていた。原加盟国はアルゼンチン,オーストラリア,ベルギー,ボリビア,ブラジル,白ロシア(現,ベラルーシ),カナダ,チリ,中国,コロンビア,コスタリカ,キューバ,チェコスロバキア(現,チェコ,スロバキア),デンマーク,ドミニカ共和国,エクアドル,エジプト,エルサルバドル,エチオピア,フランス,ギリシア,グアテマラ,ハイチ,ホンジュラス,インド,イラン,イラク,レバノン,リベリア,ルクセンブルク,メキシコ,オランダ,ニュージーランド,ニカラグア,ノルウェー,パナマ,パラグアイ,ペルー,フィリピン,ポーランド,サウジアラビア,シリア,トルコ,ウクライナ,南アフリカ連邦(現,南アフリカ共和国),ソ連(現,ロシア),英国,米国,ウルグアイ,ベネズエラ,ユーゴスラビア。その後冷戦が影を落とし,10年間は米ソが互いに相手陣営の国の加盟を妨害したため加盟数は伸び悩んだが,1955年東西間の妥協の結果,16ヵ国が加盟。ここにはイタリアも含まれ,さらに1956年に日本,1973年に東西両ドイツと,第2次大戦の敗戦国もすべて加盟した。また,とくに1960年代以降,植民地から独立した多くのアジア・アフリカ諸国が加盟し,国連の普遍性は高められた。なお,中国に関しては1949年中華人民共和国の成立をみるが,国連では台湾の国民政府が代表権を維持,1971年に台湾政府から中華人民共和国政府に代表権の交代が認められた。1990年には南北イエメンの統一,東西ドイツの統一により,それぞれ単一加盟となった。1991年には南北両朝鮮が加盟するととともに,ソ連や旧ユーゴスラビアなどの解体の結果,バルト三国(1991年),独立国家共同体(CIS)8ヵ国,クロアチア,ボスニア・ヘルツェゴビナ(1992年)などが次々と加盟,2002年にはスイス,東ティモールが加盟した。2006年には,セルビア・モンテネグロから分離独立したモンテネグロが,2011年には南スーダンが加盟した。バチカン市国,パレスティナなどはオブサーバーとして参加。世界の大部分が加盟し,2011年時点の加盟国数は193ヵ国となっている。〔機構〕 主要機関には国連総会,安全保障理事会,経済社会理事会信託統治理事会国際司法裁判所国連事務局がある。これら主要機関にはそれぞれ多くの補助機関が付置され,さらに外部には国連と密接な連携を保っている協力機関,国際団体,各国政府機関がある。総会は国連の最高機関で全加盟国で構成され,三つの理事会の中では安全保障理事会が総会と並ぶ重要な地位を占めて実質的に国連の中枢となっている。経済社会理事会は経済,文化,教育などの事項について,各種専門機関の政策・活動を調整する機関。国連創立以前の組織を継承した国際労働機関(ILO),万国郵便連合(UPU)や,世界保健機関(WHO),ユネスコ(UNESCO)など17の専門機関を付置している。各専門機関は独立した自治体で,特別の協定で国連と関係をもつ一種の外郭団体ともいうべきもので,それぞれが独自の活動を行っているため,経済社会理事会の役割は相対的に低下している。しかし,〈国連NGO〉の多くはこの理事会に登録されるなど,広範な領域を連動・調整する機能をもっている。このほか総会・三理事会には国連難民高等弁務官事務所国連大学,国連児童基金(ユニセフ),国連開発計画など,多数の特別機関が付設されている。国際司法裁判所は国連の司法機関で法律的な国際紛争の審理に当たる常設機関である。事務局を統括する国連事務総長の役割が大きくなりつつあり,ガリからアナンへの交代(1997年)にみられたように,その選任自体が争点となる。職員は2万5000人を超え,国際公務員と呼ばれる。〔財政〕 通常経費の大半は,加盟国がそれぞれの国民所得を基礎として算定された比率に応じて支払う分担金でまかなわれている。しかしスエズ動乱コンゴ動乱などの際の平和維持活動(PKO)費についてはフランス,共産圏諸国が特別分担金支払いを拒否したため財政危機を招き,各国の寄金募集や国連債発行を余儀なくされたこともある。その後も財政負担能力の弱い小国の加盟が多く,またアメリカをはじめとして国連分担金の支払いが滞っている国が多いため,財政難に陥っている。〔活動の歴史〕 1946年以降,毎年定期総会が開催されている。国連は当初より,1946年の国連憲章採択,1948年の世界人権宣言採択,1955年の戦争防止・永久平和達成宣言採択などにより基本的姿勢を明らかにしてきた。具体的な平和維持活動(PKO)としては,1949年インド・パキスタン戦争中東戦争(第1次)の停戦実現,1950年朝鮮戦争,1956年スエズ動乱,1959年コンゴ動乱,1964年キプロスの民族紛争,1967年から1973年にかけて断続的に戦闘があった中東戦争,1978年イスラエルのレバノン侵攻などに際しての国連軍の派兵,1960年カシミール紛争の停戦実現,1988年アフガニスタン和平協定調印,イラン・イラク戦争の停戦実現,また近年では1992年―1993年のUNTAC(カンボジア暫定行政機構)の活動,旧ユーゴスラビア内戦,ソマリア内戦への派兵などがある。1988年には国連平和維持軍(PKF)がノーベル平和賞を受賞。しかし,平和維持活動については,冷戦終結を境に民族紛争あるいは非西欧地域の国家間紛争が多くなり,これまでの西欧中心的国際ルールの強制では対応しきれなくなってきており,今後のあり方が問われている。2003年のイラク戦争は国連決議なしで開戦され,国連の意義が問われるものとなった。軍縮・核兵器問題では,1952年から国連軍縮委員会が活動しており,1954年原子力平和利用決議採択,1957年国際原子力機関設置,1959年完全軍縮に関する全加盟国共同決議採択,1968年核拡散防止条約推進決議採択,1972年生物・毒素兵器禁止条約採択,1977年環境改変技術使用禁止条約採択,1992年化学兵器禁止条約採択などがある。その他1949年パレスティナ難民救済機関設置,1956年ハンガリー国民救援決議採択,1960年植民地独立付与宣言採択,1960年人種差別撤廃宣言採択(1965年人種差別撤廃条約採択),1964年発展途上国援助のための国連貿易開発会議(UNCTAD)開催,1968年宇宙平和利用会議主催など多方面の活動を行ってきた。1960代年以降は〈南北問題〉が一つの大きな主題になっており,国連の果たした役割は大きい。また,1972年国連人間環境会議(ストックホルム会議)開催,1974年以降の世界人口会議開催,1979年女子差別撤廃条約採択,1989年子どもの権利条約採択,1992年国連環境環境会議開催,1993年の国連世界人権会議開催,1993年の国際先住民年実施,1995年北京世界女性会議(国際婦人年)開催など,環境や人権,人口,女性といった国家を超えた問題にも取り組んでいる。北京世界女性会議では女性団体など多くのNGO(非政府組織)間で有意義な議論がなされ,また政府間会議にも参加するなど活発な活動が展開された。最近は,こうしたNGOの主張や提言を取り入れつつ国際的合意を形成することが,国連の重要な役割として求められている。2001年ノーベル平和賞が与えられた。〔日本と国連〕 日本は第2次大戦後,未加盟時代から国連中心主義を外交政策の基調とし,サンフランシスコ講和条約の前文でも国連憲章の遵守と将来の国連加盟をうたっていた。1952年主権回復後毎年加盟を申請していたが,安全保障理事会におけるソ連・台湾政府の反対で実現せず,1956年ようやく加盟が認められた。以後各種理事会・機関においてしばしば理事国に選出され,財政的にも大きく寄与してきた。その結果,国連における日本の地位は次第に重要性を増し,PKOなどにおいても経済面だけでなく人的・物的貢献が望まれるようになり,1992年カンボジアにはじめて自衛隊が派遣された。しかし自衛隊のPKO参加は憲法に抵触するとの声もあり,日本国内でもいまだに議論が分かれている。1993年日本は常任理事国入りを表明,2005年からそのために活発に活動を開始したが,常任理事国になれば国連の軍事活動に関する姿勢も問われることとなり,ほかにも常任理事国入りのための重要課題は多い。
→関連項目安全保障FAO国際警察軍国際難民機関国際世論国際連合行政裁判所国際連合特別基金児童の権利に関する条約集団安全保障ジュネーブ軍縮委員会信託統治スマッツ難民条約武器輸出山口仙二ワルトハイム

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「国際連合」の意味・わかりやすい解説

国際連合
こくさいれんごう
United Nations

国際連盟に代わって,1945年10月24日の国連憲章に基づき設立された国際機構。国際間の平和と安全を維持し,平等と民族自決の原則に基づく諸国間の友好関係の発展を育成し,国際間の経済・社会・文化・人道的問題を解決するうえでの国際協力を奨励することを目的としている。本部所在地はアメリカ合衆国ニューヨーク。国際連合ということばは,もともと第2次世界大戦において枢軸国(ドイツ,イタリア,日本)に対抗して連合した諸国を表すために用いられた。1944年8月21日から 10月7日まで四大国(イギリス,アメリカ,ソビエト連邦,中国)が出席してワシントンD.C.のダンバートンオークスで開かれた会議で,国連憲章の原案となるものが採択された(→ダンバートンオークス提案)。これは 1945年2月のヤルタ会談で,ウィンストン・チャーチル,ヨシフ・スターリン,フランクリン・D.ルーズベルトによってさらに討議された。2ヵ月後にサンフランシスコで開かれた「国際機構に関する連合国会議」は,この 3人が補足した提案を基礎として国連憲章を起草した。国連憲章は同年 6月に採択され,10月に発効した。
主要機関は,総会,安全保障理事会,経済社会理事会,信託統治理事会,国際司法裁判所,事務局の 6機関である。国連総会は国連の全加盟国の代表者からなる。総会は毎年開催されるが,必要があれば特別会期を招集することもできる。安全保障理事会は常任理事国 5ヵ国(アメリカ,ロシア,イギリス,フランス,中国)と,非常任理事国 10ヵ国(1965年以前は 6ヵ国)で構成される。国際間の平和と安全の維持を主要な責務とし,理事会の決定は 9理事国以上の賛成投票によって行なわれるが,常任理事国はいずれも,実質事項についての拒否権をもつ。経済社会理事会は国連の経済的,社会的,人道的,および文化的活動に関与し,経済・社会の発展のために研究と勧告を行なう。国際司法裁判所は国家間の争いを裁き,総会や安全保障理事会に対して裁決や意見を言い渡す。国連事務局は国連の管理部門であり,国連事務総長を長とする。国連事務総長は重要な政治的任務をもち,任期は 5年で,安全保障理事会の勧告に基づいて総会が任命する。
国連はこれまでに国際間の,あるいは国家内の紛争を解決するために,いくたびか平和維持活動を行なってきた(国連平和維持活動は 1988年ノーベル平和賞を受賞)。国連の監督下にある機関としてはほかに,国際復興開発銀行 IBRD(世界銀行),国際通貨基金 IMF,国際労働機関 ILO(1969年ノーベル平和賞),国連食糧農業機関 FAO,世界保健機関 WHO,国際連合教育科学文化機関 UNESCO,国連児童基金 UNICEF(1965年ノーベル平和賞)などがある。日本は 1956年12月加盟を認められた。国連は 2001年,コフィ・アナン国連事務総長とともにノーベル平和賞を受賞。2011年に南スーダンが加盟し,加盟国総数は 193となった。

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知恵蔵 「国際連合」の解説

国際連合

1945年に発足した、ニューヨークに本部を置く国際機構。第1次世界大戦後に設立された国際連盟が米ソという2大国を欠き(ソ連は37年に加盟)、主に安全保障に主眼が置かれていたのに比べ、加盟国(2006年8月現在192カ国)の普遍性、活動分野の総合性のいずれをとっても、史上類を見ない代表的な世界的機構。主要な機関として、国連総会、安全保障理事会(安保理)、経済社会理事会、信託統治理事会、事務局、国際司法裁判所(ICJ)を持つが、それ以外にも、女性の地位委員会、社会開発委員会など、数多くの委員会を設けている。公用語は中国、英、仏、ロシア、スペイン語だが、総会、安保理、経済社会理事会ではこれにアラビア語が加わる。現在は世界の大多数の国家が加盟するに至っているが、the United Nationsという名称の起源が第2次世界大戦時の「連合国」だったことからも明らかなように、戦勝国による戦後世界管理機構として構想された。原加盟国は連合国側の51カ国で、機構設立の誓約である国連憲章の調印も、45年6月26日、大戦終了前に行われた。そのためもあって、国連の大きな目的の1つは連盟と同じく平和の維持にあるが、国際経済の諸問題の解決や人権保障の推進などを、平和の建設に密接にかかわるものとして活動目的に掲げている点が連盟と異なる。とはいえ国連は世界政府ではなく、加盟国に命令を発する権限は持たない(例えば総会決議なども、内容的にいかに重要であれ、加盟国が順守の義務を負う国際法規だとはみなされていない)。あくまでも加盟国の主権を尊重した上で、諸国の行動を調和させるための中心となることが目的。国際社会の相互依存度が高まる中、国連の存在はいまや不可欠になっている。ただ、主権平等原則に基づき、総会では国の大小・強弱にかかわらず一国一票制をとっている結果、財政の分担率の低い国々が主導権を握っているとして、一部先進国の間には根強い不満もみられる。2006・2007年分通常予算は38億9000万ドル強。ニューヨークに本部を置く国連本体のほか、ユネスコなどの専門機関、国際原子力機関(IAEA)などの自治機関、ユニセフなどの国連総会設立機関も数多くあり、それらを総称して国連システムと呼ぶ。

(最上敏樹 国際基督教大学教授 / 2007年)

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旺文社世界史事典 三訂版 「国際連合」の解説

国際連合
こくさいれんごう
United Nations

第二次世界大戦後に国際連盟に代わって設立された国際機関,本部はニューヨーク
1945年10月に憲章が採択され,翌年1月にロンドンで第1回総会が開かれた。初めはヨーロッパと南・北両アメリカの第二次世界大戦戦勝国が中心の平和維持機関であり,原加盟国は51か国であったが,やがて敗戦国やアジア・アフリカの新興独立国も加わり,現在の加盟国は180を超えている。総会・安全保障理事会・経済社会理事会・信託統治理事会(1994年以降活動を停止)・国際司法裁判所・事務局の6機関があり,補助機関としてユネスコ・国際労働機関(ILO)・国際通貨基金(IMF)などがある。国際連合の大きな目的の一つは平和の維持だが,これに密接に関わる問題として,国際経済の諸問題の解決や,人権保障の推進なども活動の目的に加えている。ただし,国際連合は,加盟国の主権を尊重することを基本に,各国の活動の調和をはかる機関である。また,国際連合は世界政府ではなく,加盟国に対して命令を発することはできない。しかし,それでも,相互依存の度合いを深める今日の国際社会において,国連は不可欠の存在となっている。

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デジタル大辞泉 「国際連合」の意味・読み・例文・類語

こくさい‐れんごう〔‐レンガフ〕【国際連合】

第二次大戦後、国際平和と安全の維持、国際協力の達成のために設立された国際機構。国際連盟の欠点を補正し強化・発展させた組織で、国連憲章に基づき、1945年10月24日発足。本部はニューヨーク。総会安全保障理事会経済社会理事会信託統治理事会国際司法裁判所事務局の六つの主要機関からなり、15の専門機関をもつ。日本は1956年(昭和31)に加盟。国連。UN(United Nations)。UNOユノー(United Nations Organization)。
[補説]国連の専門機関には、FAO(国連食糧農業機関)、ICAO(国際民間航空機関)、IFAD(国際農業開発基金)、ILO(国際労働機関)、IMF(国際通貨基金)、IMO(国際海事機関)、ITU(国際電気通信連合)、UNESCO(国連教育科学文化機関)、UNIDO(国連工業開発機関)、UPU(万国郵便連合)、WHO(世界保健機関)、WIPO(世界知的所有権機関)、WMO(世界気象機関)、世界銀行グループがある。

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旺文社日本史事典 三訂版 「国際連合」の解説

国際連合
こくさいれんごう
United Nations

第二次世界大戦後設立された常設の国際平和機構
略称「国連」,UN。1945年4〜6月のサンフランシスコ講和会議において,国際連合憲章を採択,同年10月正式発足した。国際平和と安全の維持,福祉増進のための国際協力などを目的とし,本部をニューヨークに置き,総会,事務局,安全保障・経済社会・信託統治の3理事会,国際司法裁判所など多くの機関がある。加盟国は188〈‘99年現在〉に達し,日本は,日ソ国交回復が成立した'56(昭和31)年に80番目の国として加盟した。

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精選版 日本国語大辞典 「国際連合」の意味・読み・例文・類語

こくさい‐れんごう ‥レンガフ【国際連合】

(The United Nations の訳語) 第二次大戦後、国際平和と安全の維持、諸国間の友好と協力を目的として成立した国際機構。一九四五年設立。本部ニューヨーク。国際連盟の精神を受けつぎ、さらに強化。総会、安全保障理事会、経済社会理事会、信託統治理事会、国際司法裁判所、事務局の六つの主要機関と各種委員会、専門機関などから成る。日本は昭和三一年(一九五六)に加盟。略称UN。国連。

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世界大百科事典 第2版 「国際連合」の意味・わかりやすい解説

こくさいれんごう【国際連合 United Nations】

第2次世界大戦の勃発によって事実上解体した国際連盟に代わって,戦後新たに設立された国際平和機構。国連,UNと略称。本部所在地ニューヨーク。世界平和の実現と諸国民の福祉増進を主たる目的とする一般的世界機構という点では,戦前の国際連盟と本質的に異ならない。しかし,成立の事情も,構造や機能においても,二つの国際機構には少なからぬ相違点がみられる。また今日の国際連合は,設立の当初と比べてかなりの変容を遂げている点も見逃せない。

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世界大百科事典内の国際連合の言及

【安全保障】より

…後者は,多数国家の合意によって戦争その他の武力行使を集団的に協力して防止または排除しようとするものである。国際連盟や第2次大戦後の国際連合がその例であるが,これらはそれまでも存在した協商あるいは同盟とは国家主権のあり方において本質的に異なる。主権国家の絶対性を前提とする個別的安全保障のもとでは,国家利益の衝突や同盟間の勢力均衡のための闘争が避けられず,その帰結として第1次大戦が起こったため,その不備を補うべく国際連盟が生まれたといえよう。…

【第2次世界大戦】より

…戦後構想は,1943年に入りイギリス,アメリカ間で考えられはじめた。問題はソ連が参戦以来要求してきた〈第二戦線〉であり,またソ連とポーランドの国境画定であり,イギリス,アメリカ側はソ連をつなぎとめるためにも,また〈国際連合〉として実現される新しい国際秩序への同意を得るためにもソ連の同意を必要としていた。43年10月モスクワで3国外相会談が開かれ,44年に〈第二戦線〉を開くことを伝え,国際連合の設置に同意する中国をも含めた〈四国共同宣言〉が出された。…

※「国際連合」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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