海洋法(読み)カイヨウホウ

デジタル大辞泉 「海洋法」の意味・読み・例文・類語

かいよう‐ほう〔カイヤウハフ〕【海洋法】

海洋に関する国際法領海排他的経済水域などの設定と利用、生物・鉱物資源の保存・開発、環境保護などについて規定したもの。国際関係の長い歴史の中で国際慣習法として発展・成立。第二次大戦後、国連の主導で法典化の作業が進められ、1982年に国連海洋法会議において国連海洋法条約採択された。

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精選版 日本国語大辞典 「海洋法」の意味・読み・例文・類語

かいよう‐ほう カイヤウハフ【海洋法】

〘名〙 海洋に関する国際法。領海などの設定と利用、海洋資源の保存と開発、環境保護などについて定める。一九八二年に国連で海洋法条約が採択、九四年に発効。

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改訂新版 世界大百科事典 「海洋法」の意味・わかりやすい解説

海洋法 (かいようほう)

海洋全体に関して包括的に規律する国際法の一分野。最近の海洋利用は質量ともに目覚ましいものがあるが,それを反映して海洋法の規制する範囲も多岐に及んでいる。すなわち,(1)公海,領海,排他的経済水域などの水域で構成される海洋秩序,(2)海洋や海峡における航行や上空飛行の問題,(3)生物資源や鉱物資源などの開発の問題,これに関連して大陸棚深海底などの新たな法制度,(4)海洋汚染,海洋環境保護の問題,(5)海洋の科学的調査,海洋技術の開発と移転の問題などである。海洋法は,国際法のなかでも最も古い歴史をもつ分野であるが,〈海洋法Law of the Sea〉という言葉が用いられたのはごく最近である。だいたいにおいて,第3次の国連海洋法条約(後出)の起草過程を通じて,この言葉が上記の内容をもつ統一的な用語として一般に定着するに至った。次に,海洋法の発展の歴史を,便宜上3期に分けて概観することにする。

ヨーロッパの中世末期から近世初頭にかけて,まず海洋領有が主張された。当時先進の海洋国家であったスペイン,ポルトガルは,大西洋インド洋,太平洋の領有を主張し,これらの海洋を両国の許可なく航海することを禁じた。これに対して新興海洋国であるオランダ,イギリスなどが激しく反発して海洋の自由を主張した。オランダのグロティウスHugo Grotiusは,1609年に《自由海論 Mare liberum》を出版して,海洋の領有が許されないこと,海洋は自然法によって万人の使用に開放されていることを主張した。一方,この時期になると,イギリスは自国の沖合で操業するオランダ漁船を閉め出すために,一転して,自国に近接する海域の領有を唱え始めた。このイギリスの立場を正当化するために,セルデンJohn Selden(1584-1654)は35年に《閉鎖海論Mare clausum》を著して,自然法および慣行に基づき海の領有が許されることを説き,ここにいわゆる海洋権論争が展開された。

 その後,第一級の海洋国家に成長したイギリスがその態度を改めたことや,航海技術の進歩や国際貿易の進展などが原因となって,海洋自由の観念が一般に認められるに至った。海洋を,国家の海岸に近接する沿岸海とその外側の外洋とに分け,沿岸海は領海としてその国の主権の支配下におかれ,外洋は公海として,いずれの国も領有を主張することができず,すべての国の自由な使用に開放されることとなった。この〈公海自由の原則〉は,19世紀には一般国際法の基本原則として認められ,今日に至っている。

領海の幅の問題を除き比較的に安定していた伝統的海洋法は,第2次大戦後に大きく動揺することになった。戦争直後の1945年9月にアメリカの大統領トルーマンは海洋政策に関する二つの宣言を発表した。その一つは,大陸棚に関する宣言で,アメリカの領海以遠の大陸棚に存在する鉱物資源をアメリカの管轄権におくことを宣言したものである。他の一つは,保存水域に関する宣言で,外国漁船の活動から漁業資源を保護するために,アメリカ沿岸に隣接する公海に保存水域を設定する権利を主張したものであった。

 このトルーマン宣言は,戦後の世界に大きな影響を与えた。多数の国家が大陸棚の主張を行っただけではなく,ブラジルなどのように大陸棚上部の公海についても排他的な管轄権を主張する国や,チリ,ペルーエクアドルのように沿岸から200カイリに及ぶ領海を主張する国も出てきた。こうした主張は公海自由を動揺させ,戦後の海洋法秩序は混乱した。

 こうした状況に歯止めをかけ,海洋法秩序の再建を図る役割を担ったのが,戦後世界に新たに登場した国際連合であった。すでに,国連国際法委員会は49年以来海洋法条約の原案作成に当たっていたが,56年には成案を得て,これを基礎として,58年に国連主催の第1次海洋法会議がジュネーブで開催された。86ヵ国が参加して討議した結果,〈領海及び接続水域に関する条約〉〈公海に関する条約〉〈漁業及び公海の生物資源の保存に関する条約〉〈大陸棚に関する条約〉の4条約が採択された。それは,大陸棚という新しい法制度を認め,公海における漁業資源保存について新たな規制を設けることにより,戦後に発生した問題に対処しつつ,公海と領海については,伝統的な慣習法規則を成文化することにより,基本的にこれまでの海洋法秩序を維持するものであった。

 このように海洋法の立法化に画期的な成功を収めたこの会議も,領海の幅については合意に達することができなかった。当時の趨勢として,伝統的な3カイリを超える主張をする国が増加しつつあり,解決が迫られていた。そこで,国連は60年にふたたびジュネーブで第2次海洋法会議を開催し,この問題だけを討議することとした。会議では,領海の幅を6カイリとし,その外側にさらに6カイリの漁業専管水域の設定を認めるという妥協案が最有力であったが,採択に必要な多数にわずかに達せず,否決されてしまった。2度にわたる大規模な国際会議にもかかわらず,領海の幅については合意に到達することができなかったのである。

ジュネーブ4条約の成立により海洋法秩序は一応安定したかにみえたが,その後の事態の進展は予想外に急速であり,短時日のうちに海洋法につき再検討を迫られることとなった。その理由は,第1に,領海の幅が未決定のままに放置されたこと,さらに,海底資源開発の科学技術の急速な発展に対して,ジュネーブ条約で定められた大陸棚制度が対応できず時代遅れとなったことである。その結果として,沿岸国の海洋及び海底に対する管轄権の主張が無秩序に拡大される傾向があった。このほかにも,海洋汚染の問題や,深海底資源の開発といった新しい問題が登場してきた。このような事態に対応して,従来の海洋法条約を改定して新たな海洋秩序を樹立することが求められたのである。

 1967年の国連総会におけるマルタ代表の提案が口火となって,まず,深海底資源開発の問題を討議し研究するために,国連に海底平和利用委員会が設置されることになった。次いで,70年に国連総会は,たんに海底資源の問題に限らず広く海洋法全般について再検討するために,73年に第3次海洋法会議を開催することを決議した。第3次海洋法会議は73年に開催され,会議の組織と議事手続を定めた。翌年6月のカラカスでの第2会期以後実質審議に入り,以後82年の第11会期まで毎年会議が開催された。会議は,海洋先進国と後発のアジア・アフリカ諸国との対立を主軸として,そのほかにも各種の利害が錯綜し難渋を極めたが,ようやく82年に妥結に至った。会議では,冒頭,海洋法全般を包括的に扱った単一の条約を作成することが合意され,非公式草案,単一草案,統合草案などの段階を経て,1981年の第10会期で〈海洋法条約草案〉(最終草案)が作成された。次いで翌年春の第11会期で,〈海洋法に関する国際連合条約(以下,国連海洋法条約)〉の最終的な条約本文の採択が行われ(1982年4月30日),さらに12月10日には,ジャマイカのモンテゴ・ベイで条約への署名が117ヵ国によってなされ,同時に他の国家による署名のために開放された。同条約は,60ヵ国の批准により効力が発生することとされた。しかしアメリカを中心とした先進諸国は,先進諸国に対して重い負担を課し,先進国の意見が制度の運営に十分に反映されない国連海洋法条約第11部の深海底制度に不満を持ち,同条約への参加を差し控えた。

 1990年以降,深海底制度をめぐる先進国と開発途上国の見解対立を解消するため,非公式協議が開催されていたが,93年11月にガイアナが60番目の批准書を寄託したことにより,国連海洋法条約は,翌年11月16日から発効することとなった。実施協定は,海洋法条約の発効の日から暫定的に適用され,1996年7月に正式に発効した。

条約は本文320ヵ条のほかに9の付属書をもつ非常に大部なもので,その内容も海洋法の広範な領域を単一の条約の中にまとめたものであり,国際法の立法の歴史のなかでも注目すべき成果であるといえる。条約の内容は,伝統的海洋法を抜本的に修正するものであり,これによって海洋法の構造的変化がもたらされたといっても過言ではない。新しい海洋法の基本的枠組みは,海洋については,12カイリの領海,その外側に距岸200カイリの排他的経済水域,さらにその外側の公海という三元的構造である。海底制度も整備され,沿岸国の管轄権に属する大陸棚の外側の限界は明確に定義され,その外側には深海底という国際制度が設定された。深海底は,〈人類の共同の遺産〉とされ,国際機構の管理に服し,開発利益は国際社会に衡平に分配されることとされたが,実施協定によって,主として先進国に課されていた義務のいくつかが,緩和ないし撤廃された。そのほかにも,(1)紛争解決につき義務的な司法的解決の導入,(2)国際海峡,群島水域といった新たな領水制度,(3)海洋汚染の防止,海洋の科学的調査,海洋技術の開発および移転といった新たな規定が新設された。
漁業専管水域 →公海 →深海底 →大陸棚 →排他的経済水域 →接続水域 →領海
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「海洋法」の意味・わかりやすい解説

海洋法
かいようほう
law of the sea

海に関する国際法の規則の総称。従来の国際法上では,海洋は領海公海に分けられていた。領海は,外国船の無害航行の場合を除いて沿岸国の主権が及び,公海はいずれの国も領有を主張しえず (公海自由の原則 ) ,国際法の規則に従って自由に利用できる (公海使用自由の原則) とされていた。海洋法はおもに慣習国際法として成立したが,近年その成文化が進み,さらに海洋資源の開発,保存,海洋汚染の防止の観点から種々な問題が提起されている。海洋の新しい利用をめぐる種々な問題を含めて,新しい海洋法を作るための努力が国連で続けられ,1982年国連海洋法条約が採択された。これにより,公海は内水,領海,排他的経済水域と群島水域を除く部分とされるなど,新しい海洋秩序が生れた。

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