山口仙二(読み)やまぐちせんじ

百科事典マイペディア 「山口仙二」の意味・わかりやすい解説

山口仙二【やまぐちせんじ】

長崎原爆被爆者・反核平和運動家。長崎県生れ。1945年8月9日,長崎県立長崎工業学校(現,長崎工業高校)1年生として学徒動員学徒勤労動員)中に爆心地から1.4kmの地点で被爆。上半身に大火傷(やけど)を負い,顔や体にケロイドが残った。さらに原爆症と思われる肝機能障害に生涯苦しめられた。第2次世界大戦後は被爆者に対しての偏見に悩まされるが,1955年の長崎原爆青年会の創設皮切りとして,被爆者組織の結成に尽力した。翌1956年の日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の創設にも関わった。1982年にはニューヨークで開かれた国連国際連合)軍縮特別総会で被爆者として初めて演説,〈ノーモア・ヒロシマ,ノーモア・ナガサキ,ノーモア・ヒバクシャ,ノーモア・ウォー〉の発言は多くの人々に感銘を与えた。1984年から1997年まで長崎原爆被災者協議会会長を務めた。なお,2011年の東日本大震災の際の福島第一原発事故においても,放射能の危険性を強調した発言を行っている。→原子爆弾

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山口仙二」の解説

山口仙二 やまぐち-せんじ

1930-2013 昭和後期-平成時代の社会運動家。
昭和5年10月3日生まれ。学徒動員中,三菱兵器長崎製作所で被爆。長崎原爆青少年乙女の会,長崎原爆被災者協議会を組織し,被爆者救援,反核運動にとりくんだ。平成25年7月6日死去。82歳。長崎県出身。長崎工業学校(現・長崎工業高)卒。著作に「115500m2皮膚―被爆43年の自分史」。

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