参与
さんよ
明治初年の中央政府の役職名。1867年(慶応3)12月、王政復古の政変によって新設された三職の一つ。議定(ぎじょう)が親王、諸侯、上級廷臣から任命されたのに対して、参与は下級廷臣、藩士により構成されていた。また、議定の会議は上議院ないし上の議事所、参与の会議は下議院ないし下の議事所とよばれていた。なお同じく参与でも、廷臣出身のそれは上の参与、藩士いいかえれば徴士(ちょうし)からなる参与は下の参与とよばれた。しかし、下の参与は西南雄藩出身の有力藩士たちであったから、維新政府の実質的な指導部はここにあった。1868年(慶応4)閏(うるう)4月21日、政体書に基づく太政官(だじょうかん)の復興により三職制は廃止されたが、議定、参与は議政官上局の構成員として翌年5月まで存続した。
[井上 勲]
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さん‐よ【参与】
〘名〙
① (━する) ある事にかかわり合うこと。参加。
※日本外史(1827)一「通憲、参二与大議一、多レ所二釐正一」
※社会百面相(1902)〈内田魯庵〉代議士「人民が自家の権利を自覚して自ら国政に参与しやうといふので」 〔漢書‐高五王・斉悼恵伝〕
② 明治新政府の高官の一つ。総裁・議定
(ぎじょう)の位につぐもので、
公卿および五雄藩の藩士をこれにあてた。慶応三年(
一八六七)に設置され、明治二年(
一八六九)廃止。参与職。→
三職。
③ 学識経験者を行政事務にあずからせる時の職名。〔袖珍新聞語辞典(1919)〕
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デジタル大辞泉
「参与」の意味・読み・例文・類語
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参与
さんよ
1867(慶応3)年,王政復古により設置された官職。明治新政府の三職の一つ
初め公卿と尾張・越前・薩摩・安芸 (あき) ・土佐藩士各3人で,つぎに公卿・諸侯・徴士で構成された。翌1868年政体書による官制で議定とともに議政官上局に属し,事務を分担した。'69年の官制改革で廃止され,職務は参議に継承された。
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参与
さんよ
慶応3年 12月9日 (1868年1月3日) の王政復古の大号令とともに設けられた「三職」の一つ。朝政にあずかり,事務を分担した。翌同4年閏4月 21日の「七官両局の制」の採用により廃止された。
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普及版 字通
「参与」の読み・字形・画数・意味
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世界大百科事典内の参与の言及
【三職】より
…明治初年,政府により制定され,太政官制の布告によって廃止されるまで,約6ヵ月間存続した官制。1867年(慶応3)12月,王政復古の大号令により,明治政府が成立するとともに,総裁,議定,参与の三職が設置された。総裁には有栖川宮熾仁(たるひと)親王が任ぜられて,国政を総理した。…
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