シュタイナート(読み)しゅたいなーと(英語表記)Otto Steinert

日本大百科全書(ニッポニカ) 「シュタイナート」の意味・わかりやすい解説

シュタイナート
しゅたいなーと
Otto Steinert
(1915―1978)

ドイツの写真家。ザールブリュッケン生まれ。1950年代にドイツを中心に国際的な広がりをもった写真運動「主観的写真」Subjektife Fotografieの中心人物。1939年まで医学を学び、第二次世界大戦後、1948年まで医師として働く。写真は独学であったが、1947年から生まれ故郷のザールブリュッケンで肖像写真の仕事を開始する。1948年に同地の国立美術工芸学校で写真科の主任となる。1950年に写真家集団フォトフォルムを、トニ・シュナイダースToni Schneiders(1920―2006)、ペーター・ケートマンPeter Keetman(1916―2005)、ハインツ・ハエク・ハルケHeinz Hajek-Halke(1899―1983)らと結成する。翌1951年にザールブリュッケン州立工芸大学で最初の「主観的写真」展を企画・開催した。同展には自らの作品とフォトフォルムの作家の作品に加え、ラズロ・モホリナギやマン・レイなど戦前のモダニズム運動の担い手の写真も展示した。この展覧会は、1954年に第2回が開催され、さらに1958年の第3回まで続けられた。シュタイナートは、この展覧会の重要な出品作家であるとともに、一連の展覧会のオーガナイザーとして、1950年代ドイツにおける最も影響力のある写真家となり、国際的にも認められることとなった。

 この運動の背景には、戦争の生々しい傷跡を抱えながらも全体主義への勝利と自由の復活に光明を見いだそうとしていたドイツならびにヨーロッパ諸国の復興という時代状況があった。ドイツでは、両大戦間に、モホリ・ナギやアルベルト・レンガー・パッチュらを中心に写真のモダニズム運動ノイエ・フォトグラフィ(新しい写真)が起こり、実験と創造性に満ちた写真表現の革新が進んだ。この運動は国際的にも大きな影響をもたらしたが、1933年ナチス政権が成立すると、モダニズム芸術はナチスからの弾圧を受け、一時その追求を中断せざるをえなくなった。シュタイナートが唱道した主観的写真は、回復された表現の自由と個人の解放という時代精神を背景に、中断されたノイエ・フォトグラフィの実験的精神を復興し、さらに発展させることを目指した。写真の内容としては、フォトグラムの造形的な作品から社会的なルポルタージュにいたるまで、写真のさまざまな可能性を包括するものであり、自由で主体的な作家個人のまなざしの創造性を重視した写真運動という意味での「主観的写真」であった。シュタイナート自身、ポートレートから風景やフォトグラムにいたるまで、多様なテクニックで作品を制作した。作家としての彼の写真の主調となったのは、シュルレアリスムの精神に通じる、日常を非日常へと転換させる光と影の不可思議なイメージだった。

 主観的写真の運動は、ドイツを中心にヨーロッパ諸国、そして日本も巻き込んだ国際的な広がりをみせるが、1950年代末、東西冷戦の深刻さが増すなかで、社会全体で戦後の解放感がしだいに抑圧されてくるのに歩調を合わせるように、運動としては急速に退潮していった。個人的な視点が強まったとはいえ、戦前のモダニズム写真運動の焼き直しの部分も多く、次第にマニエリスムに陥っていったのも大きな原因であった。日本では1956年(昭和31)に批評家の滝口修造、写真家の本庄光郎(ほんじょうこうろう)らにより日本主観主義写真連盟が結成され、同年12月、東京で第1回「国際主観主義写真展」が開催された。翌1957年1月には福岡でも開催され、話題にはなったものの、大きな展開をみることなく終息していった。

 シュタイナートは、1959年にエッセンの芸術学校フォルクバング校に招聘(しょうへい)され、写真部門の教授および主任となった。主観的写真運動以降の彼の重要な業績としては、優れた写真教育の実践により後進を育成したこととともに、写真作品を文化的財産として公的機関で収集し保存することの重要性を訴えたことがある。現在、フォルクバング美術館の写真部門は、ドイツ屈指の写真コレクションを有する施設として知られるが、シュタイナートはその基礎を築くのに多大な寄与をした。

[深川雅文]

『Subjektive Fotografie; Bildband Moderner Europäischer Fotografie (catalog, 1952, Brüder Auer Verlag, Bonn)』『Subjektive Fotografie 2; Bildband Moderner Europäischer Fotografie (catalog, 1955, Brüder Auer Verlag, München)』『Otto Steinert Der Initiator einer fotografischen Bewegung, exhibition (catalog, 1976, Museum Folkwang, Essen)』『Subjektive Fotografie (catalog, 1984, Museum Folkwang, Essen)』『Ute EskildsenDer Fotograf Otto Steinert (1999, Steidl, Göttingen)』

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