レンガー・パッチュ(読み)れんがーぱっちゅ(英語表記)Albert Renger-Patzsch

日本大百科全書(ニッポニカ) 「レンガー・パッチュ」の意味・わかりやすい解説

レンガー・パッチュ
れんがーぱっちゅ
Albert Renger-Patzsch
(1897―1966)

ドイツの写真家。ウュルツブルク生まれ。子供のころから独学で写真を始める。第一次世界大戦での徴兵を経て、戦後、1922年までドレスデン工科大学化学を学ぶ。在学中の20年より写真家としての仕事を始める。卒業後22年から23年まで、エッセンのフォルクバング資料室で、写真家エルンスト・フールマンErnst Fuhrmann(1886―1950)とともに働く。その後いくつかの職業を経た後、25年にバート・ハルツブルクにスタジオを開き、ドキュメンタリーや報道の仕事を手がける。

 28年、写真集『世界は美しい』Die Welt ist schönを発表。同書は、トーマス・マンが、『ベルリン画報』Berliner Illustrierte Zeitungで取り上げて論評するなど世の注目を集め、一躍レンガー・パッチュを国民的な写真家にした。100点の写真からなる『世界は美しい』は、主題的には、植物、動物と人間、風景、物質、建築、テクノロジーシンボルといった内容で構成されている。この写真集によって、レンガー・パッチュは、対象がいかなるものであれ、世界に存在するすべての事物のなかに、カメラの純粋で即物的な眼を通して初めて明るみに出る美の領域があることを示そうとした。例えば、工場や煙突などそれまで美的なものとして芸術家に顧慮されなかった工業建築物すらも、純化した写真のまなざしを介すると、植物のクローズ・アップや海の風景と同様に「美しい」。その精緻でクールなイメージは、当時の絵画の動向の一つであったノイエ・ザハリヒカイト(新即物主義)の精神とも共鳴するものであり、彼の名はこの傾向の代表的写真家として知られるようになった。

 レンガー・パッチュの仕事に指針を得た多くの写真家たちは、さまざまな事物にレンズ向け始め、事物の独自の価値や形態を発見することに熱狂し始める。そのために、旧来の慣習的な表現法を打ち破るべく、大胆なクローズ・アップ、思い切ったフレーミング、極端なパースペクティブ(真上からの視角、真下からの視角)などのいくつかの特徴的な撮影方法が試みられ、流行にすらなった。さらに、ワイマール共和国期に進んだ技術革新と大量生産、いわゆる機械時代の急進展による、生活環境を構成する新たな事物や生産物、産業施設や都市景観の広がりによって、ノイエ・ザハリヒカイトの写真の撮影領域は拡大し、時代精神と深く響きあう表現となった。

 レンガー・パッチュを代表とするノイエ・ザハリヒカイトの写真は、ドイツが一つの発信源となった「新興写真」の運動の重要な側面として国内外に広がりを見せた。29年にバウハウスに設置された写真部門の責任者となったワルター・ペーターハンスWalter Peterhans(1897―1960)もこの動向の代表的写真家だった。レンガー・パッチュの名と作品は、日本でも先取的な写真家や評論家により紹介され、当時の日本のモダニズムの写真運動の発展にも影響を与えた。その明晰でグラフィカルな写真の描写は、商業写真の領域にも深く浸透していく。

 他方、すでに同時代において「世界は美しい」とするノイエ・ザハリヒカイトの写真の危険性を指摘する声もあった。批評家のワルター・ベンヤミンは、そうした写真を「創作的」であるとし、美化することで事の本質を覆い隠す魔術的な力をもつとして批判している。対象の形式美が優位にたつ瞬間、「世界は美しい」という精神で撮られた写真は、事物を人間的な文脈、社会的・歴史的な文脈から切り離してしまう危険性があったのだ。広告写真はいち早くこの手法を取り入れ、そして政権をとったナチスもこの魔術を見逃さなかった。戦闘機も戦艦も機関銃も、写真においては、花と同じほどに「美しく」ありうるのだ。レンガー・パッチュが切り拓いた写真美学には、光と影の両面が含まれていた。第三帝国が成立した33年、レンガー・パッチュはエッセンにあるフォルクバング校の絵画的写真部門の部長として招聘される。翌年、早々に学校をやめるが、第三帝国の時代、「ドイツ帝国の重要な写真家」として国内各地の風物をテーマにした数冊の写真集も出している。

 第二次世界大戦後も撮影を続け、いくつかの写真集を発刊している。その撮影姿勢は、戦前も戦後も一貫している。没年の66年に発表された最後の仕事は、石を即物的に撮影した作品であった。1957年に、その功績によりデビッド・オクタビアス・ヒル賞を受賞している。

[深川雅文]

『Die Halligen (1927, Albertus-Verlag, Berlin)』『Die Welt ist schön (1928, Kurt Wolff Verlag, München. New Edition 1992, Harenburg, Dortmund)』『Eisen und Stahl (1931, Reckendorf, Berlin)』『Bäume (1962 , Bäume, Ingelheim am Rhein)』『Gestein (1966, Bä, Ingelheim am Rhein)』『Albert Renger-Patzsch (1979, Scürmann & Kicken, Köln/Boston)』『A. & J. Wilde, Albert Renger-PatzschRuhrgebiet-Landschaften 1927-1935 (1982, DuMont, Köln)』『Albert Renger-Patzsch (catalog, 1997, Museum Folkwang, Essen)』

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