越後獅子(読み)えちごじし

精選版 日本国語大辞典 「越後獅子」の意味・読み・例文・類語

えちご‐じし ヱチゴ‥【越後獅子】

[1]
① 越後国(新潟県)西蒲原郡の神社の里神楽の獅子舞
② 越後国西蒲原郡、月潟(つきがた)地方から出る獅子舞。正月などに、子供が小さい獅子頭(がしら)をかぶり、高足駄をはき、身をそらせ、さか立ちして、手で歩くなどの芸をしながら、銭を請い歩く。角兵衛獅子蒲原獅子。月潟獅子。《季・新年》
※雑俳・銀の月(1740)「大坂へ来て声がわり越後獅子」
[2]
[一] 地唄。生田流(山田流でも演奏)。手事物(てごともの)天明年間(一七八一‐八九峰崎勾当(みねざきこうとう)作曲。のちに市浦検校(けんぎょう)八重崎検校が手を加えたものもある。歌詞は、越後蒲原の「角兵衛獅子」に越後名物をよみこんだもの。
[二] 歌舞伎所作事。長唄。九世杵屋六左衛門作詞・作曲。本名題「遅桜手爾葉七字(おそざくらてにはのななもじ)」。文化八年(一八一一江戸中村座初演。越後の角兵衛獅子の舞踊化。三世中村歌右衛門が好敵手三世坂東三津五郎に対抗して作った七変化(へんげ)の一つ。

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デジタル大辞泉 「越後獅子」の意味・読み・例文・類語

えちご‐じし〔ヱチゴ‐〕【越後×獅子】

越後国西蒲原にしかんばら月潟つきがた村(現、新潟市)から出て諸国を回っていた一人立ちの獅子舞獅子頭ししがしらをかぶった子供が、親方の笛・太鼓に合わせて曲芸をして、銭を請うた。江戸中期から後期に盛行。角兵衛獅子。蒲原獅子。 新年》

地歌手事物てごともの。天明年間(1781~1789)に峰崎勾当みねざきこうとうが作曲。市浦検校や八重崎検校が手を加えたものもある。歌詞はを題材にして越後名物をよみ込む。
歌舞伎舞踊長唄。篠田金次作詞、9世杵屋六左衛門きねやろくざえもん作曲。七変化遅桜手爾葉七字おそざくらてにはのななもじ」の一つとして、文化8年(1811)江戸中村座で3世中村歌右衛門が初演。

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改訂新版 世界大百科事典 「越後獅子」の意味・わかりやすい解説

越後獅子 (えちごじし)

(1)越後の蒲原を本拠として諸国を歩いて角兵衛獅子扮装で踊りや軽業を行う大道芸およびその芸人をいう。(2)地歌およびそれを地とする舞。1788年(天明8)ごろ峰崎勾当作曲。三下り手事物。(1)を主題とする。箏の手が付けられて,箏曲として扱われることが多いが,その手付は,地域・流派によって異なる。京都の平調子のものは八重崎検校の手付。大阪の雲井調子のものは〈雲井越後〉ともいい,市浦検校の手付で,替手風。三弦の替手もあって本調子。手事は3段あってちらしが付くが,舞地の場合は縮約され,流派によっては,〈四季に咲きそふ……〉の胡蝶のくだりに代えられることもある。舞は,井上流では古くは初世井上八千代の振付,現行は3世八千代の振付。山村流では初世山村友五郎の振付。着流しと衣装付きとあり,二人立ちのこともある。
執筆者:(3)歌舞伎舞踊。長唄。本名題《遅桜手爾葉七字(おそざくらてにはのななもじ)》。作詞篠田金治。作曲9世杵屋(きねや)六左衛門。振付初世市山七十郎。1811年(文化8)3月江戸中村座初演。3世中村歌右衛門が踊った七変化の一つ。家族と別れ,越後から出稼ぎに来た角兵衛獅子の風俗を題材としたもの。そこはかとなき哀感と,テンポの速いリズムを踊りわけるのが難しく,最後の下駄をはいての布晒しが最大の見どころである。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「越後獅子」の意味・わかりやすい解説

越後獅子【えちごじし】

長唄の曲名。七変化舞踊《遅桜手爾葉七字(おそざくらてにはのななもじ)》の第4曲。9世杵屋六左衛門作曲。1811年初演。全曲三下り。市村座で大当りをとっていた3世坂東三津五郎の《汐汲》への対抗策として,3世中村歌右衛門が作らせて,中村座で上演し,ついに三津五郎の人気を圧倒したという曲。一夜づけの作曲と伝えられ,そのためか富本節や地歌など他の邦楽から借用した部分がほとんどであるが,それら原曲をはるかにしのぐ人気を得,邦楽を通じて最もポピュラーな曲の一つとなった。また大道芸の角兵衛獅子の別名。
→関連項目長唄峰崎勾当

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「越後獅子」の意味・わかりやすい解説

越後獅子
えちごじし

越後出身の角兵衛獅子(かくべえじし)に取材した地歌、および歌舞伎(かぶき)舞踊。

(1)地歌。天明(てんめい)・寛政(かんせい)期(1781~1801)に大坂の峰崎勾当(みねさきこうとう)が作曲。のち、箏曲(そうきょく)に編曲され、生田(いくた)、山田の両流で行われている。

(2)歌舞伎舞踊。長唄(ながうた)。篠田(しのだ)金次作詞、9世杵屋(きねや)六左衛門作曲、2世市山七十郎(なそろう)振付け。1811年(文化8)3月江戸・中村座で3世中村歌右衛門(うたえもん)が初演した七変化舞踊『遅桜手爾葉七字(おそざくらてにはのななもじ)』の一つで、江戸市中を歩く角兵衛獅子の姿を描く。歌右衛門が好敵手3世坂東(ばんどう)三津五郎に張り合って創作を急いだため、地歌の『越後獅子』『晒(さらし)』や民謡などから歌詞、旋律を取り入れたのがかえって好評をよび、現代でも流行している。とくに、ひなびた俚謡(りよう)気分の浜唄(はまうた)の箇所が曲と踊りの眼目。

[松井俊諭]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「越後獅子」の意味・わかりやすい解説

越後獅子
えちごじし

門付 (かどづけ) 芸およびそれを題材とした音楽および舞踊。 (1) 越後 (新潟県) 蒲原を本拠として諸国を歩いて角兵衛獅子の扮装で踊りや軽業 (かるわざ) を見せる門付芸およびその芸人。 (2) 地歌箏曲およびその地による地歌舞。峰崎勾当作曲。三下り手事曲。箏の手は流派,地域により異なる。 (3) 歌舞伎舞踊曲。長唄。文化8 (1811) 年江戸中村座において3世中村歌右衛門の七変化舞踊『遅桜手爾葉七字 (おそざくらてにはのななもじ) 』のうちの一つとして作られた。篠田金次,9世杵屋六左衛門作 (後者は曲も) 。市山七十郎振付。軽業を披露する越後 (角兵衛) 獅子を題材に,地歌『越後獅子』,『さらし』,民謡などを取入れ,うまく江戸ふうに仕立ててある。浜唄,踊り地,布ざらしなどが有名。プッチーニの歌劇『蝶々夫人』にその旋律が取入れられているほか,浜唄を山田耕筰が独奏曲に編曲。

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「越後獅子」の解説

越後獅子
〔長唄〕
えちごじし

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
作者
松井幸三
演者
杵屋六左衛門(9代)
初演
文化8.3(江戸・中村座)

越後獅子
(通称)
えちごじし

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
元の外題
遅桜手爾葉七文字
初演
文化8.3(江戸・中村座)

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世界大百科事典(旧版)内の越後獅子の言及

【長唄】より

…文化・文政期(1804‐30)は江戸趣味的な拍子本位の舞踊曲の全盛期である。この期には俳優にも3世坂東三津五郎,3世中村歌右衛門など兼ねる役者に名人が現れ,変化物(へんげもの)舞踊が流行した結果,長唄も短編ではあるが変化物に《越後獅子》《汐汲(しおくみ)》《小原女(おはらめ)》などの傑作が生まれた。また,伴奏音楽の面でも変化の妙を示そうとして豊後節系浄瑠璃(常磐津,富本,清元)と長唄との掛合が流行したのもこのころで,《舌出三番叟(しただしさんばそう)》《晒女(さらしめ)》《角兵衛》などが掛合で上演された。…

※「越後獅子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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