烏丸(読み)うがん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「烏丸」の意味・わかりやすい解説

烏丸
うがん

―北(ほくぎ)間の中国北方にいたアルタイ語系遊牧民族烏桓とも書く。古くは東胡(とうこ)とよばれ、東胡が紀元前3世紀末に匈奴(きょうど)に撃破されると残部は2部に分かれ、北方シラムレン川流域を根拠地としたのが鮮卑(せんぴ)、南方ラオハ川流域に根拠地を置いたのが丸とよばれた。中国正史によれば、狩猟、交易のほか、季節的農耕の痕跡(こんせき)もある。シャーマニズムを信仰し、初め統一勢力はなく、非世襲の大人(たいじん)に統率されて地域ごとに分立し、匈奴に服属していたが、のち漢にも朝貢し、漢の匈奴抑制策の一翼を担い、両者に属するようになった。後漢(ごかん)末に至り、大人が世襲化し、蹋頓(とうとん)が柳城を拠点として大部分を統一する勢力を形成したが、河北を平定した魏の曹操(そうそう)(155―220)により壊滅させられた。残部は多く鮮卑に従い、のち4世紀にかけて鮮卑とともに中国内地に移入して農耕民化し、北魏以降、漢民族と融合の度合いを深めていった。

片桐 功]

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精選版 日本国語大辞典 「烏丸」の意味・読み・例文・類語

からすまる【烏丸】

[1] 烏丸小路のこと。現在の京都市烏丸(からすま)通りにほぼ同じ。
※金刀比羅本平治(1220頃か)下「宿は三条烏丸(カラスマル)なり。主の男といひけるは」
[2] 〘名〙
① 暑気払いの薬、枇杷葉湯(びわようとう)の異称。本舗が京都烏丸にあったところからいう。
※雑俳・柳多留‐五六(1811)「真黒になって売のは烏丸」
② (夏になると、宣伝のために、①の釜を店先にすえ、道行く人のだれにでも飲ませたところから) だれにでもふるまうこと。転じて、尻の軽い女、多情な女をいう。
※黄表紙・天道浮世出星操(1794)「なるほどあの女郎は手のあるやつだぞ。せんじゅくんおんはだしまいりだ。しかしおへねえからすまるだす」

からすま【烏丸】

[一] 「からすまる(烏丸)」の京都での言いならわし。

からすまる【烏丸】

姓氏の一つ。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「烏丸」の意味・わかりやすい解説

烏丸
うがん
Wu-wan

烏桓 Wu-huanとも写す。漢代から三国初頭にかけて,内モンゴル東部を中心に活躍した遊牧民族。その言語については記録がほとんどないが,同種鮮卑族の言語がトルコ語またはモンゴル語で解釈されるところから,トルコ民族かモンゴル民族であろうとされている。ラオハ川流域を本拠とし,匈奴に服属していたが,匈奴が南北に分裂すると (48) ,族長たちは後漢に下ってその北辺を防備。後漢が衰えると独立し,一時強大になったが,魏の曹操に敗れて (207) ,中国の北辺,内地に移住させられた。北魏の華北統一以後,次第に漢民族に融合していった。

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デジタル大辞泉 「烏丸」の意味・読み・例文・類語

うがん〔ウグワン〕【×烏丸/××桓】

代に、中国北方にいたアルタイ語系遊牧民族。前3世紀に匈奴きょうどに敗れた東胡の後裔。後漢末期に勢力を強め、中国北辺を侵したが、207年に曹操そうそうに滅ぼされた。

からすまる【烏丸】

平安京の南北の小路。現在の烏丸からすま通りにあたる。

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普及版 字通 「烏丸」の読み・字形・画数・意味

【烏丸】うがん

字通「烏」の項目を見る

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世界大百科事典内の烏丸の言及

【烏桓】より

…前2~後3世紀初,内モンゴルのラオハ川流域を中心に活動した遊牧民族。烏丸とも記され,前206年ころ匈奴の冒頓単于(ぼくとつぜんう)に滅ぼされた東胡の一派。族名については,蒙古語ukhaghan(賢),unagan(奴隷)などとする説がある。…

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