黄表紙
きびょうし
草双紙(くさぞうし)の一態。『金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)』(恋川春町(こいかわはるまち)作・画)が刊行された1775年(安永4)から、『雷太郎強悪(いかずちたろうごうあく)物語』(式亭三馬(さんば)作、歌川豊国(とよくに)画)の出版された1806年(文化3)までの草双紙約2000種の総称。名称は表紙が黄色であることによるが、前代の青本の表紙と類似するため、江戸時代は青本の名でよばれた。序文などを除き、全丁絵入りで、中本(ちゅうほん)型、5丁(10ページ)を1巻1冊とし、通常2~3巻(冊)よりなる。
当時の知識人たる武家作者によってその形式が確立されたため、知的で徹底したナンセンスな笑いをその生命としながらも、洒落本(しゃれぼん)同様に、江戸市井の現実生活を踏まえ、きわめて写実的であった点に特徴がある。絵は文と不即不離の関係にあり、絵解きも黄表紙理解の重要な鍵(かぎ)で、当代第一級の浮世絵師(鳥居清長、北尾重政(しげまさ)、喜多川歌麿(きたがわうたまろ)、歌川豊国ら)が筆をとっている。最盛期は安永(あんえい)末年から天明(てんめい)年間(1780年代)で、狂歌を中心とする天明文壇をはじめ、劇壇、画壇、吉原などの遊里と密接に関連して、『無益委記(むだいき)』(春町作・画)、『一流万金談』(朋誠堂喜三二(ほうせいどうきさんじ)作、北尾政演(まさのぶ)(山東京伝)画)、『大悲千禄本(せんろっぽん)』(芝全交作、政演画)、『江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)』(山東京伝作・画)などの傑作を生み出すとともに、全交、京伝らの町人作者を輩出させた。
しかし、田沼意次(おきつぐ)の没落と松平定信(さだのぶ)による寛政(かんせい)の改革政治は、この政変をかっこうの材料として『文武二道万石通(ぶんぶにどうまんごくどおし)』(喜三二作、喜多川行麿画)、『鸚鵡返文武二道(おうむがえしぶんぶのふたみち)』(春町作、北尾政美(まさよし)画)を生み出した黄表紙作者に弾圧を加え、武家作者の総退場という結果を招じ、曲亭馬琴(きょくていばきん)、十返舎一九(じっぺんしゃいっく)、三馬らを新しく作者として迎える。こうした出版取締りの強化によって、草双紙の伝統的な一側面であった教訓性が復活するとともに、伝奇的な敵討(かたきうち)物が盛行し、これが長編化して、次代の合巻を誕生させることとなるのである。
[宇田敏彦]
『水野稔校注『日本古典文学大系 59 黄表紙・洒落本集』(1958・岩波書店)』▽『浜田義一郎他校注『日本古典文学全集 46 黄表紙・川柳・狂歌』(1971・小学館)』▽『小池正胤・宇田敏彦他編『江戸の戯作絵本』全4巻(社会思想社・現代教養文庫)』
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き‐びょうし ‥べウシ【黄表紙】
〘名〙
① 黄色の表紙。
※真俗交談記(1191)「七巻抄 黄表紙 水精軸」
② 草双紙
(くさぞうし)の一つ。江戸後期、安永四年(
一七七五)から文化三年(
一八〇六)頃にかけて多く刊行され、黄色の表紙で、内容はしゃれ、滑稽、
風刺をおりまぜた大人むきの絵入り小説。半紙二つ折本で、一冊五枚から成り、二、三冊で一部とした。代表的な作者として恋川春町、山東京伝らがいる。
※西洋道中膝栗毛(1870‐76)〈仮名垣魯文〉三「京伝は、骨董集に事実を挙
(あげ)典故
(もと)を訂せし、其罪至って軽
(かろ)からねど、黄巻
(キベウシ)茶表紙の
功徳により、相半々々
(ごぶごぶ)にして帳消なり」
[語誌](1)②は、赤本・
黒本・青本と同様、表紙の色による命名。子ども向け草双紙青本は、最初萌葱色の表紙であったが、やがて黄色の表紙をつけるようになる。明和(
一七六四‐七二)頃から大人を対象としたものも現われはじめ、それを黄表紙と呼ぶが、実際にはかなり後まで青本と呼ばれていたようである。
(2)文化頃から敵討物などの
流行による長編化に伴い、何部かを合冊して出版するようになった。文化三年(
一八〇六)「雷太郎強悪物語」以降「合巻
(ごうかん)」へと移行する。
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黄表紙
きびょうし
江戸時代後期に行われた草双紙の一種。青本から発展,成人向きに仕立てられたもの。名称は表紙の色に由来し,5丁を1冊として2冊ないし3冊程度で1編をなす。恋川春町作画『金々先生栄花夢』 (1775) を先駆とし,当世風の写実をもっぱら用い,諧謔と風刺を目的とする。天明5 (85) 年には山東京伝作画『江戸生艶気樺焼 (えどうまれうわきのかばやき) 』が出て代表作としての地位を得るが,寛政の改革を風刺した作品が春町,京伝らの筆禍事件を招き,発禁が相次いで作風は一変した。京伝作『心学早染草』 (90) などの教訓物が流行,さらに南杣笑楚満人 (そまひと) 作『敵討義女英 (かたきうちぎじょのはなぶさ) 』 (95) をはじめとするかたき討ち物の全盛を迎えて,風刺と諧謔はまったく姿を消し,話の複雑化は冊数の増加を招き,文化3 (1806) 年以後合巻へ変貌する。代表作者はほかに朋誠堂喜三二 (手柄岡持 ) ,芝全交,唐来三和,市場通笑,式亭三馬など。
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デジタル大辞泉
「黄表紙」の意味・読み・例文・類語
き‐びょうし〔‐ベウシ〕【黄表紙】
《表紙が黄色であったところから》江戸後期の草双紙の一。しゃれと風刺に特色をもち、絵を主として余白に文章をつづった大人向きの絵物語。安永(1772~1781)から文化(1804~1818)にわたり流行。二つ折りの半紙5枚で1巻1冊として2、3冊で1部としたが、しだいに長編化して合巻に変わった。恋川春町・山東京伝などが代表的な作者。
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黄表紙
きびょうし
江戸中期以後の草双紙の一つ
表紙が黄色。短期間しか出なかった黒本・青本に続き,洒落・風刺・滑稽味を加えて風俗を描出した。天明期(1781〜89)が最盛。恋川春町『金々先生栄花夢』,山東京伝『江戸生艶気樺焼 (えどうまれうわきのかばやき) 』など著名な作品が多い。のち合巻 (ごうかん) へと発展した。
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きびょうし【黄表紙】
江戸時代中期以後数多く出版された,絵を主とする小説である〈草双紙(くさぞうし)〉の一様式をいう。草双紙の〈黒本・青本〉のあとを受けて,外形は青本と同じく黄色表紙であるが,内容は当世の世相,風俗,事件などを流行語をまじえて写実的に描写するとともに,ことさらに常識に反し理屈を排除して,荒唐無稽な構想・表現による滑稽をもっぱらねらったもので,1775年(安永4)刊の恋川春町(こいかわはるまち)画作《金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)》から始まるとされる。
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世界大百科事典内の黄表紙の言及
【戯作】より
…江戸中期に知識人の余技として作られはじめた新しい俗文芸をいう。具体的には享保(1716‐36)以降に興った談義本,洒落本(しやれぼん)や読本,黄表紙,さらに寛政(1789‐1801)を過ぎて滑稽本(こつけいぼん),人情本,合巻(ごうかん)などを派生して盛行するそのすべてをいう。またその作者を戯作者と称する。…
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