明器
めいき
神明の器の意味で、中国で墓やそれの付属施設に入れるための土、木、玉、石、銅でつくった仮器。人物、動物の場合を俑(よう)という。殷(いん)・周時代の銅武器の、玉や石による模倣や、殉死代用の人物俑、動物俑の製作に始まった。戦国時代には銅、陶、木製の俑葬がみられる。秦(しん)の始皇帝陵の兵馬俑坑出土の加彩武人・馬は硬い表現であるが、実物大でリアルさがあり、明器の画期をなす。漢代には加彩陶質灰陶や緑釉(りょくゆう)で騎兵、男女俑、牛、羊、楼閣、家屋、農舎、水田、貯水池、倉、竈(そう)(かまど)、井戸、家畜小屋、雑技俑など豊富な題材の明器がつくられる。北朝には漢の伝統を引いた緑釉、黒褐釉の騎兵、武士、ラクダ、鎮墓獣が盛行し、南朝には青磁の鼓吹儀仗(ぎじょう)俑などが盛行する。唐代には三彩の馬、騎馬、ラクダ、女子、神将、鎮墓獣や加彩貼金(てんきん)騎兵が現れ、明器の圧巻を迎える。明器は明(みん)時代まで続くが、紙製明器の流行によって陶俑は衰退する。
[下條信行]
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めい‐き【明器】
〘名〙
① (「明」は
死者を神明にするの意) 中国で死者とともに埋葬した
器物。死者が
生前使用していた
器具や動物などの模型を木・泥・陶器・金属などで特製し、墓中に副葬した。唐以降は次第に衰退。
※性霊集‐四(835頃)為酒人内公主遺言「明器雑物一従
二省約一。此吾之願也」 〔儀礼‐既夕礼〕
② 中国の殷周時代に
諸侯が王室から受け、子孫に伝えたとされる宝器の一種。日本では天皇の位の象徴であった三種の神器。また、そのように尊い器物。
※太平記(14C後)二七「さても三種の神器を本朝の宝として神代より伝る璽(しるし)、国を理(おさめ)守るも此神器也。是は伝るを以て詮とす。然るに今の王者此明器を伝る事無て位を践御座(ふみおはします)事、誠に王位共申し難し」 〔春秋左伝‐昭公一五年〕
③ すぐれた人物。
※滝口入道(1894)〈高山樗牛〉三二「御父重盛卿は智仁勇の
三徳を具へられし古今の明器
(メイキ)」
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明器
めいき
ming qi
中国で,副葬品として遺骸とともに埋葬した器具。鬼器,仮器ともいう。死者が生前使用していた器具,人物,動物などを模造し,神明の器として墳墓に納めた。殷・周時代の墓から出土する青銅彝器,およびそれを模造した陶質の器も明器と考えられ,戦国時代の墓から出土する黒陶俑,陶質の鼎,壺,豆などはすべて明器として専門的につくられたものである。漢代明器には彼らの日常生活を示す楼閣,竈,井戸,豚舎,鼎,壺などがあり,南北朝の土偶には仏教の影響が認められる。三彩釉を施した写実性のある馬,らくだ,人物などの明器は唐代芸術を代表するもので,唐代の特色を示している。明器の使用は唐代以降,明代を経て近世まで知られている。
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明器
めいき
中国で死者とともに墓中に埋めた生活用具などの模造品
土製のほか,木・石・角・銅製もあり,人物を俑 (よう) という。殷 (いん) 代にすでに行われ,漢以後は井戸・かまど・門・家屋など種類がふえ,唐代には陶磁器の発達に伴ってより写実化し,三彩釉を使ったものもある。宋・元以後は衰退した。20世紀初頭,洛陽付近で鉄道敷設工事中に多数発見され,芸術品として多く海外に流出した。
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明器【めいき】
中国で死者とともに埋めた器物の模型や土偶類。副葬品の一種。人像を特に俑(よう)という。土,陶,木,青銅などで作られ,器物の模型では家屋,井戸,馬車などが多い。明器の制は,漢代から唐代を最盛期とし,清代まで残存した。
→関連項目営城子壁画墓|永泰公主墓|焼溝漢墓|馬王堆漢墓
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デジタル大辞泉
「明器」の意味・読み・例文・類語
めい‐き【明器】
《神明の器の意》中国で、死者とともに墓に納めた器物。死後の世界で用いるため、日用の器物を木や泥・陶磁などで模したもの。漢代から唐代にかけて盛行。→泥象
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めいき【明器 míng qì】
死者に添えて墳墓に納める葬具の一種。器物の外見のみをかたどり実用にたえない品物を,中国では明器と呼んだ。先秦時代の古典でしばしば言及され,現実生活で用いる正器,祭器に対して貌器(ぼうき)(形をかたどるもの),鬼器(死者のための器)と理解され,凶器,蔵器,秘器などとも呼ばれ,現代の中国考古学でも踏襲されている。明器は時代によって内容構成と表現方法を異にしながら,俑(よう)とともに副葬品として古代から明・清時代まで長く行われた。
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普及版 字通
「明器」の読み・字形・画数・意味
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世界大百科事典内の明器の言及
【唐三彩】より
…その後,則天武后の没後に彼女の犠牲となった皇族の名誉回復がはかられ706年(神竜2)には大墓の経営がおこなわれ,大量の三彩陶が焼造された。盛唐の三彩は明器(めいき)として貴紳の墓に副葬するのが重要な役割であったため,器形も飲食器のほか,人物,動物をはじめ家具,文房具,建築物などのミニチュアが製作され,ゆたかな造形領域をほこった。そこには世界帝国唐の面目がよくうかがえ,ペルシア系の文物の強い影響が器形や装飾図案に示されている。…
【遼三彩】より
…赤土に白化粧して,透明釉・褐釉・緑釉がほどこされた遼三彩は独特のひなびた鮮やかな釉色にくっきりと焼きあがり,魅力が深い。鶏冠壺,長頸瓶,水注,盤,碗,暖盤など,器種もゆたかであるが,実用というよりはおもに有力者の墓葬に副葬された明器(めいき)であったと推測される。遼における三彩づくりは1060年代から1100年前後に沸騰するように量産され,金によって1125年に滅ぼされるとまったく絶えてしまったと思われる。…
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