明器(読み)めいき(英語表記)míng qì

精選版 日本国語大辞典 「明器」の意味・読み・例文・類語

めい‐き【明器】

〘名〙
① (「明」は死者を神明にするの意) 中国で死者とともに埋葬した器物。死者が生前使用していた器具や動物などの模型を木・泥・陶器・金属などで特製し、墓中に副葬した。唐以降は次第に衰退。
※性霊集‐四(835頃)為酒人内公主遺言「明器雑物一従省約。此吾之願也」 〔儀礼‐既夕礼〕
② 中国の殷周時代に諸侯が王室から受け、子孫に伝えたとされる宝器の一種。日本では天皇の位の象徴であった三種の神器。また、そのように尊い器物。
太平記(14C後)二七「さても三種の神器を本朝の宝として神代より伝る璽(しるし)、国を理(おさめ)守るも此神器也。是は伝るを以て詮とす。然るに今の王者此明器を伝る事無て位を践御座(ふみおはします)事、誠に王位共申し難し」 〔春秋左伝‐昭公一五年〕
③ すぐれた人物
滝口入道(1894)〈高山樗牛〉三二「御父重盛卿は智仁勇の三徳を具へられし古今の明器(メイキ)

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デジタル大辞泉 「明器」の意味・読み・例文・類語

めい‐き【明器】

《神明の器の意》中国で、死者とともに墓に納めた器物。死後の世界で用いるため、日用の器物を木や泥・陶磁などで模したもの。代から代にかけて盛行。→泥象でいしょう

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改訂新版 世界大百科事典 「明器」の意味・わかりやすい解説

明器 (めいき)
míng qì

死者に添えて墳墓に納める葬具の一種。器物の外見のみをかたどり実用にたえない品物を,中国では明器と呼んだ。先秦時代の古典でしばしば言及され,現実生活で用いる正器,祭器に対して貌器(ぼうき)(形をかたどるもの),鬼器(死者のための器)と理解され,凶器,蔵器,秘器などとも呼ばれ,現代の中国考古学でも踏襲されている。明器は時代によって内容構成と表現方法を異にしながら,(よう)とともに副葬品として古代から明・清時代まで長く行われた。それには実際の器物が視覚的に表現されており,人や禽獣の形をかたどった俑(動物を土でかたどったものを泥像ともいう)あるいは壁画,画像石などとともに,往時の生活風俗を知るうえで貴重な資料になっている。

 新石器時代後期の竜山文化に属する墓から,一般の陶器とは異なった特殊な形をとる黒陶が多数発見される。埋葬用につくられた可能性が強いが,実用器とはっきりと区別することはできない。次の二里頭文化(夏王朝に比定する説が強い。二里頭遺跡)の墓からは,青銅器とともに青銅器をまねた陶器を出土することがあり,葬送用の明器がこの頃にはじまった可能性を示唆している。

 殷・西周時代では青銅の彝器(いき)(祭祀・儀式用の炊事用器--鼎,鬲(れき),簋(き),あるいは飲食器--尊,爵,觚(こ))をまねた玉器,鉛器,陶器があり,また玉や鉛でかたどった戈や矛などの武器がある。玉製品が実用品を超越する貴重品であることを別にすれば,明器としての鉛器,陶器は,王や貴族の墓に比定され青銅器を副葬する大・中型墓よりも一段格式の低い小型墓に副葬される。つまり,階層や身分を規制する手段の一環として明器が存在したようである。同じ陶製明器であっても銅器を忠実にまねたものと,粗い表現で形のみを簡単に表現するものがあり,これも墓の格式の違いを示しているようである。一方,明器を所持せず実用陶器のみを副葬する墓は,さらに多い。

 地方の王国が実力を増強する春秋・戦国時代になると,陶製明器が中国の各地でそれぞれの発達を遂げることになる。地方色に富む青銅彝器の形態を率直に写しながら,紅白の彩色で繊細な文様を描いたり,一般的な灰陶にかえて黒陶を用いるなど,陶器の特性を生かした独自の様式をつくりだしていく。とくに黒陶は篦(へら)で動物文や幾何学文を施し,漆黒の光沢と斬新な文様とで三晋,中山国を代表する明器である。こうした陶製明器を副葬する墓が前代に比べて多くなるのもこの時代の特色であり,礼制度の可及範囲がしだいに拡大していく状況がうかがわれる。一方,明器の種類が彝器や武器類にとどまらず,楽器や車にも及ぶ。楽器は編鐘などを陶器にかたどったもの,車は金属部品をつけない白木づくりの実物大模型である。秦国では他国に例をみない穀倉の明器が戦国時代初期に出現し,統一時代には竈(かまど)や璧(へき),あるいは小型の馬車が加わる。この新しい傾向は,人の殉葬が激減し,俑が増加していく過程とよく一致し,現実と同じような生活環境を地下に再現している。そして,冥界での食生活を重視する新しい死生観の出現を意味している。

 秦の始皇陵では陵園の周囲に兵馬俑坑,殉葬墓,従葬坑をめぐらしたことが,近年の調査で明らかになっている。兵馬俑坑の等身大の兵馬俑とともに配列される戦車は,実物大につくられた木造の明器である。墳丘の西辺,墓道口付近で発見された2両の銅車馬は,始皇帝の棺を運んだ葬礼用の車馬にあてられている。それは馬,御者,車を実物の約2分の1大に縮小した精巧なスケールモデルで,木,皮革,布などの部品を鋳造や鍛造でつくり,溶接,鑞付け,鋲留などの技法を駆使して組み立て,表面には極彩色の文様を施していた。

 前漢初期の長沙馬王堆3号墓(馬王堆漢墓)は,戦国様式を濃厚にとどめる木槨墓で,普通なら腐食して消失する有機質の遺物を完全な形でとどめていた。副葬品のうち,明器としては次のようなものがある。行李に荷造りされた副葬品のうち,布の切れ端を巻きつけた反物,木の象牙,木の犀角,土の璧(本物は玉),土の郢称(楚国の金貨),土の半両銭(秦・漢の銅銭)。黄・緑・スズ箔などで彩色する陶器類,実用にたえない特製の瑟(しつ)と竽(う)(ともに楽器),このほか,本来なら青銅でつくるべき鼎,鈁を漆器でつくっているのも一種の明器とみてよいであろう。前漢の葬制は秦をうけており,食生活に不可欠な穀倉,竈,井戸などと,祭器としての鼎,鈁,壺,豆,酒尊などが明器の中心となり,俑の行列には銅,木,土などの車馬が不可欠となる。華北地方では陶製の明器が一般的だが,華南地方では木製の穀倉や船,車馬などがつくられ,長沙などでは滑石製の明器も発見されている。

 後漢になると明器は全盛期を迎え,その範囲が一段と拡大する。実物の銅器や漆器を副葬した風習がしだいにすたれて陶器ないしは銅器でつくる明器に交代していく。穀倉,竈,井戸などはいっそう写実的なものとなり,それに加えて家屋の明器が増加する。住宅,豚小屋(猪圏),作業小屋,楼閣などがある。他方水田,池,牛耕などの生産の情景を彫塑する明器が加わり,農村の景観をパノラマ的に描きだしているようである。灰陶の明器の細部を彩色で描写したり,釉薬をかけることも一般化する。たとえば,広州地方では板葺き屋根に網代壁をつけた高床式建築を表すなど,地方の実情に即した写実的な表現をとるものが多い。このような状況は,農村で財力を蓄積した後漢代の豪族の実力を誇示しているのであって,建物をまとめて城壁をめぐらした塢壁や,望楼に弩(ど)をかまえる武士を配置して自衛する明器に彼らのしたたかさが表現されている。

 魏晋南北朝時代,基本的には後漢の陶製明器が受け継がれていくが,時を経るにしたがって矮小化し種類が少なくなる。銅製祭器のなかには,極端に小型化し数個の器物をセットにした玩具のようなものもある。南朝では轆轤(ろくろ)挽きでつくる青磁製の明器が加わってくるが,一般に表現が粗雑で類型的なものへと変化していく。北朝では灰陶の彩色明器が中心となる。しかし,この時期には人物や動物の俑が主流となり,たとえば豚,鶏,羊のみをつくって小屋を省略するように,俑群の点景として明器が用いられるにすぎない。

 隋・唐時代でも依然として明器は俑の脇役であるが,家屋,櫃,竈,井戸,石臼,碓などがあり,ときには数棟の建物で院子を表すものもある。隋では紅陶,灰陶のほか白磁の明器もあるが,唐代の官営工房の製品では三彩陶器(唐三彩)が中心となり,華麗なものになる。その後も明器は存続し,河南省塩店宋墓で出土した石製の机,椅子,簞笥,台座,上海で発見された明代の潘允澂(はんいんちよう)墓(1589)から出土した机,椅子,簞笥,寝台などの木製家具類は有名である。

 中国の明器は後漢代に朝鮮の楽浪郡に伝えられ,平壌付近の漢墓や晋墓からしばしば発見される。さらに高句麗の墓制にも組み入れられ,4,5世紀の墓には陶製の家屋や竈が副葬されている。しかし,百済や新羅には伝播した形跡はない。日本の古墳時代の埴輪は一見明器的な様相を示すが,埴輪が墳丘に樹立し聖域を囲むものとして出現する点において異なる。
副葬品
執筆者:

明器を副葬する風習の起りは,人間の霊魂は不滅であり,死者は冥府において生前と同様の生活を営むものと信じたところから発している。古来とくに漢民族の間で,葬儀は特別に重要視され,盛大に執り行うのが務めとされ,庶民までが棺材,明器などに身分不相応なまでの費用をかけた。唐代に明器使用は頂点に達し,他方明器の数量,華美に対して制限が加えられた。陶製明器は宋代以後しだいに衰退し,取って代わって紙製明器(冥器,冥具ともいう)が流行し始めたのは明代ころからと思われる。紙製明器は一部を棺内に入れる場合もままみられるが,墳墓には収めず,御霊(みたま)送り,出棺,埋葬などの際に街頭や墓前で焼く。焼いて冥界に送り,死者の使用に備え冥福を祈るためのものである。北方では俗にこの紙冥器を総称して,焼活,白活と呼び,高粱がらを骨として色紙,金紙,銀紙でのりづけした精巧な細工の模型である。布製のものもあった。また〈冥衣〉といって,多数の衣服,帽子,靴,靴下などの絵を木版刷りにした紙を焼いた。

 種類は家屋,衣裳,衣裳箱,銭箱,什器,馬蹄銀,金銀の山,冥途の旅行用でもある牛,馬,ロバ,車,輿(こし),船や,かつぎ人夫,従僕など生活全般にわたる。生前の死者の愛用品,例えば,文房具,楽器,将棋,アヘン吸飲具などや,近代では舶来の人力車,自転車,自動車,電気製品,ピアノ,バイオリン,チェスといった類の目新しい品物も特に注文して作らせた。紙冥器の製作販売は葬儀屋すなわち冥衣舗,槓房が行った。葬儀に焼く買路銭とも呼ぶ紙銭(しせん)も,古くすでに漢代に副葬した実物の銭が起源と考えられ,冥途の路銀,小遣いまた贈賄の意味をもち,冥器の一種といえよう。紙製明器を焼く風習は新中国成立時まで伝えられた。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「明器」の意味・わかりやすい解説

明器
めいき

神明の器の意味で、中国で墓やそれの付属施設に入れるための土、木、玉、石、銅でつくった仮器。人物、動物の場合を俑(よう)という。殷(いん)・周時代の銅武器の、玉や石による模倣や、殉死代用の人物俑、動物俑の製作に始まった。戦国時代には銅、陶、木製の俑葬がみられる。秦(しん)の始皇帝陵の兵馬俑坑出土の加彩武人・馬は硬い表現であるが、実物大でリアルさがあり、明器の画期をなす。漢代には加彩陶質灰陶や緑釉(りょくゆう)で騎兵、男女俑、牛、羊、楼閣、家屋、農舎、水田、貯水池、倉、竈(そう)(かまど)、井戸、家畜小屋、雑技俑など豊富な題材の明器がつくられる。北朝には漢の伝統を引いた緑釉、黒褐釉の騎兵、武士、ラクダ、鎮墓獣が盛行し、南朝には青磁の鼓吹儀仗(ぎじょう)俑などが盛行する。唐代には三彩の馬、騎馬、ラクダ、女子、神将、鎮墓獣や加彩貼金(てんきん)騎兵が現れ、明器の圧巻を迎える。明器は明(みん)時代まで続くが、紙製明器の流行によって陶俑は衰退する。

[下條信行]


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百科事典マイペディア 「明器」の意味・わかりやすい解説

明器【めいき】

中国で死者とともに埋めた器物の模型や土偶類。副葬品の一種。人像を特に俑(よう)という。土,陶,木,青銅などで作られ,器物の模型では家屋,井戸,馬車などが多い。明器の制は,漢代から唐代を最盛期とし,清代まで残存した。
→関連項目営城子壁画墓永泰公主墓焼溝漢墓馬王堆漢墓

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「明器」の意味・わかりやすい解説

明器
めいき
ming qi

中国で,副葬品として遺骸とともに埋葬した器具。鬼器,仮器ともいう。死者が生前使用していた器具,人物,動物などを模造し,神明の器として墳墓に納めた。殷・周時代の墓から出土する青銅彝器,およびそれを模造した陶質の器も明器と考えられ,戦国時代の墓から出土する黒陶俑,陶質の鼎,壺,豆などはすべて明器として専門的につくられたものである。漢代明器には彼らの日常生活を示す楼閣,竈,井戸,豚舎,鼎,壺などがあり,南北朝の土偶には仏教の影響が認められる。三彩釉を施した写実性のある馬,らくだ,人物などの明器は唐代芸術を代表するもので,唐代の特色を示している。明器の使用は唐代以降,明代を経て近世まで知られている。

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旺文社世界史事典 三訂版 「明器」の解説

明器
めいき

中国で死者とともに墓中に埋めた生活用具などの模造品
土製のほか,木・石・角・銅製もあり,人物を俑 (よう) という。殷 (いん) 代にすでに行われ,漢以後は井戸・かまど・門・家屋など種類がふえ,唐代には陶磁器の発達に伴ってより写実化し,三彩釉を使ったものもある。宋・元以後は衰退した。20世紀初頭,洛陽付近で鉄道敷設工事中に多数発見され,芸術品として多く海外に流出した。

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普及版 字通 「明器」の読み・字形・画数・意味

【明器】めいき

送葬の器。

字通「明」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内の明器の言及

【唐三彩】より

…その後,則天武后の没後に彼女の犠牲となった皇族の名誉回復がはかられ706年(神竜2)には大墓の経営がおこなわれ,大量の三彩陶が焼造された。盛唐の三彩は明器(めいき)として貴紳の墓に副葬するのが重要な役割であったため,器形も飲食器のほか,人物,動物をはじめ家具,文房具,建築物などのミニチュアが製作され,ゆたかな造形領域をほこった。そこには世界帝国唐の面目がよくうかがえ,ペルシア系の文物の強い影響が器形や装飾図案に示されている。…

【遼三彩】より

…赤土に白化粧して,透明釉・褐釉・緑釉がほどこされた遼三彩は独特のひなびた鮮やかな釉色にくっきりと焼きあがり,魅力が深い。鶏冠壺,長頸瓶,水注,盤,碗,暖盤など,器種もゆたかであるが,実用というよりはおもに有力者の墓葬に副葬された明器(めいき)であったと推測される。遼における三彩づくりは1060年代から1100年前後に沸騰するように量産され,金によって1125年に滅ぼされるとまったく絶えてしまったと思われる。…

※「明器」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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