妙宣寺(読み)みようせんじ

日本歴史地名大系 「妙宣寺」の解説

妙宣寺
みようせんじ

[現在地名]真野町阿仏房

国仲くになか平野を見下ろす竹田たけだ台地上にある。境内は室町時代の地頭の館跡で周囲は土塁がめぐり、空堀の跡なども残る。日蓮宗独立本山で蓮華王院妙宣寺と称すが、阿仏あぶつ房と通称される。本尊は祖師像・薬師・観音像などの木像。日蓮の佐渡配流中に檀越となり、夜中に日蓮配処に食を運んだという阿仏房日得とその妻千日尼の開基。寺伝では日得を順徳帝に仕えた北面の武士遠藤左衛門為盛とするが、実は在地の百姓名主であろう。日得は日蓮配流当時、目黒町めぐろまち(現畑野町)の在家におり、日蓮の配処が一の谷いちのさわ(現佐和田町)に変わったころ新保しんぼ(現金井町)阿仏房屋敷あぶつぼうやしきの地に移った。元禄七年(一六九四)の新保村検地帳(新保区有)には妙宣寺除として二町三反余の水田が載る。佐州阿仏山房縁起には「阿仏房のすみかは、同しき雑太の郡のうち、新保村といふ所にして、祖師のすみ給ふ塚原とは、そのあわひ十里はかりをへたてり」とある。

妙宣寺
みようせんじ

[現在地名]伊丹市大鹿四丁目

江戸時代の伊丹郷町から北へ向かう丹波道の東にある。境内の東方には大鹿おおじかの産土神の西皇大にしこうたい神社があり、神仏習合の名残大覚山と号し、法華宗(本門流)。本尊は十界大曼陀羅。「摂陽群談」は妙泉寺とする。天正一〇年(一五八二)正月日の奥書をもつ法華経巻釈(寺蔵)に「大志賀妙宣寺」とある。尼崎本興ほんこう寺と京都本能寺の両方の末寺だったが、明治四二年(一九〇九)本興寺のみの末寺になった。初め真言宗寺院で、正平年間(一三四六―七〇)西国巡化中の大覚が旱魃に苦しむ村人のために雨乞をしたので村を挙げて法華宗に改宗し、享徳元年(一四五二)本興寺の末寺になったと伝承する。

妙宣寺
みようせんじ

[現在地名]山武町埴谷

埴谷はにや西端のだいに位置する。日蓮宗。大丞山と号し、本尊は大曼荼羅。領主埴谷氏の持仏堂から始まったといわれ、中山法華経寺の日祐が康安元年(一三六一)に書写した曼荼羅本尊に「埴谷左近将監御堂」と脇書され(中山法華経寺文書)、左近将監は埴谷重継(法号日継)をさすと思われる(山武町史)。埴谷氏は関東管領上杉氏家臣であり、同時に日蓮宗中山門流の熱心な信者であったという。

妙宣寺
みようせんじ

[現在地名]大村市福重町

矢上やがみにある。深重山と号し、日蓮宗。本尊は宝塔・多宝如来・釈迦如来。慶長七年(一六〇二)キリスト教の禁令後、日蓮宗に帰依した大村藩初代藩主の大村喜前が日蓮宗寺院の建立を発願、本経ほんきよう寺を創建して菩提寺にするとともに、祈願所として妙宣寺仙乗院を宮小路みやしようじに建立したという。寺地は極楽寺(金泉寺末)跡であったが、同一九年水に恵まれないとして現在地に移り、深重山妙宣寺と号した。この移転に際してキリシタンらが堂宇を破壊するため裏山から大石を投じたといわれ、現在本堂の前に丹投石とよばれる石を置く。本経寺三世の日順を開山とし、三世住職のとき本経寺との間で本末争論が起き、当寺は本経寺末八ヵ寺の執頭になっており、天明六年(一七八六)の法華宗本圀寺派下寺院帳では本経寺末として寺号がみえる。

妙宣寺
みようせんじ

[現在地名]尾道市長江一丁目

善勝ぜんしよう寺の南にあり、本覚山と号し、日蓮宗。本尊法華宝塔。

芸藩通志」に文和三年(一三五四)京都妙顕みようけん寺の大覚妙実の開基で、大覚が近衛経忠の子であるため近衛家より寄付が多かったが、わずかに古磬と紫幕を残すのみとある。

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改訂新版 世界大百科事典 「妙宣寺」の意味・わかりやすい解説

妙宣寺 (みょうせんじ)

新潟県佐渡市の旧真野町にある日蓮宗の寺。蓮華王山と号し,阿仏房と通称する。日蓮の佐渡流謫中その信奉者になった阿仏房日得の旧跡を,その曾孫で日興(につこう)の弟子であった日満が寺としたと伝える。日満は日興から佐渡国の法華衆の棟梁とされており,ここを拠点として弘通(ぐつう)していった。現在地に移ったのは1589年(天正17)で,このとき阿仏房の旧称から妙宣寺に改めたという。日蓮の書状や正中(しようちゆう)の変で佐渡に流謫された日野資朝筆の細字法華経(ともに重要文化財)を蔵する。
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百科事典マイペディア 「妙宣寺」の意味・わかりやすい解説

妙宣寺【みょうせんじ】

新潟県佐渡市真野(まの)にある日蓮宗独立本山。阿仏房(あぶつぼう)と通称。日蓮(にちれん)の佐渡配流中に帰依して,監視の中で夜中に食事を運ぶなど外護した阿仏房日得(にっとく)と妻千日尼が住居を寺としたという。1326年地頭本間氏が居館の隣接地に招き,1589年本間氏滅亡後館跡を寺地とした。土塁・空堀跡が残る。日蓮上人書状3幅・日野資朝写経は重要文化財。

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デジタル大辞泉プラス 「妙宣寺」の解説

妙宣寺

新潟県佐渡市にある日蓮宗の寺院。1825年に建てられた五重塔は国の重要文化財に指定されている。正中の変(1324年)で佐渡配流となった日野資朝(すけとも)の墓がある。

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