最明寺(読み)サイミョウジ

デジタル大辞泉 「最明寺」の意味・読み・例文・類語

さいみょう‐じ〔サイミヤウ‐〕【最明寺】

神奈川県鎌倉市山ノ内にあった寺。北条時頼創建し、出家隠棲いんせいした所。現在は塔頭たっちゅう明月院のみが残る。

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精選版 日本国語大辞典 「最明寺」の意味・読み・例文・類語

さいみょう‐じ サイミャウ‥【最明寺】

[一] 鎌倉市山ノ内にあった寺。北条時頼が出家し、隠棲した所。現在はその塔頭(たっちゅう)の一つの明月院だけが残る。
[二] 北条時頼のこと。最明寺殿。

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日本歴史地名大系 「最明寺」の解説

最明寺
さいみようじ

[現在地名]大井町金子

金子かねこの北、和田わだ堰左岸にある。東寺真言宗、如意山蓮華王院と号し、本尊善光寺如来。別称は善光ぜんこう寺。古くは西明寺と記した。鎌倉初期、開山源延が松田まつだ(現松田町)の山中に一宇を建て、建長年間(一二四九―五六)に北条時頼が堂宇を造立し西明寺と名付け、その後退廃して文明元年(一四六九)に賢昌が不便な松田より移し再興したと伝える(風土記稿)。もと京都東寺菩提院末。

最明寺
さいみようじ

[現在地名]川崎村門崎 石蔵

石蔵いしくら山の東山裾にある。石蔵山と号し天台宗、本尊は毘沙門天。養老年間(七一七―七二四)大野東人が石蔵山に熊野大権現本地の弥陀・薬師・観音を祀ったのが始まりで、嘉祥年間(八四八―八五一)慈覚大師の開基により天台宗寺院となり、蓮華谷峯寿れんげだにほうじゆ庵と命名されたと伝える。その後藤原氏・葛西氏の崇敬を受け、鎌倉時代北条時頼(最明寺入道)が当寺で休息したので、山号・寺号を石蔵山最明寺と改めたという。

最明寺
さいみようじ

[現在地名]御宿町須賀

須賀すかの東端、盛松さかりまつにある。もとは西明寺と記された。岩井山と号し、天台宗。本尊阿弥陀如来。弘仁年間(八一〇―八二四)伝教の開基で、建保五年(一二一七)頃は紫雲山と称する庵室であったという。暦仁元年(一二三八、一説には康元―正嘉年間とも)に北条時頼が諸国巡察の際当寺に泊まり「御宿せしそのときよりと人問はば網代の海と夕影の松」と詠んだとの伝承(御宿の地名譚として江戸期の創作とされる)を受け、最明寺と改めたという。寛永四年(一六二七)および元禄一六年(一七〇三)の大津波により旧記を流失したという。

最明寺
さいみようじ

[現在地名]下田村院内 山ノ下

五十嵐いからし右岸段丘上、袴腰はかまごし山の南麓にあり、院内いんないの北、字やましたに位置する。森町組往来(森町中学校蔵)に「境内広々たり、大樹竹林森々として(中略)日々夜々詣拝の貴賤老若群集にて大門に充満せり」とある。真言宗智山派、明白山千手院と号し、本尊は大日如来。寛延三年(一七五〇)の村松領各宗由緒帳(北方文化博物館蔵)によると、天平元年(七二九)甚諦の開山。初め法相宗、千手観音を本尊とするという。

最明寺
さいみようじ

[現在地名]塩江町安原下 音川

香東こうとう川の右岸にある。真言宗御室派。福寿山来迎院と号する。本尊は薬師如来。西の萩原はぎわら(現三豊郡大野原町)に対し、東の萩の名所として知られ、秋には参拝客・見物客で賑う。創建年代などは不明であるが、「御領分中寺々由来」には、北条時頼が廻国の折に一国ごとに建立した最明寺の一で、弘長元年(一二六一)の創建と伝え、唐絵の涅槃像、唐鉢、唐絵の十三仏があると記す。また「安原記」には大宝元年(七〇一)行基が薬師如来を彫り、伽藍を建て福寿山如意輪寺と号し、弘仁一二年(八二一)弘法大師が白檀で千手観音を彫り安置したといい、文応元年(一二六〇)頃に北条時頼が千手観音の開帳を願って来山、その後伽藍を建立し最明寺と号したという。

最明寺
さいみようじ

[現在地名]脇町猪尻 西上野

猪尻いのしりの北部に位置する。弥天山と号し、真言宗大覚寺派。本尊は聖観音。草創の経緯は不詳であるが、「粟の落穂」などには行基の開創で、初め西光寺と号し、最明寺入道北条時頼が訪れたのを機に最明寺と改めたという当寺の縁起が載る。寛政三年(一七九一)の古義真言宗本末牒には「西明寺」とみえ、古くは西明寺とも記した。また「阿波志」によると明暦元年(一六五五)稲田氏が貢租を免除したという。

最明寺
さいみようじ

[現在地名]北条市上難波 福生寺

大雄山と号し、臨済宗妙心寺派。本尊は薬師如来。明治一一年(一八七八)の「伊予国風早郡地誌」に、境内は東西三〇間、南北八間、面積五四〇坪とある。

寺伝では弘長元年(一二六一)月庵を開山とし、北条時頼が創営し、行基作の薬師像を安置したという(伊予温故録、新編温泉郡誌、伊予古蹟志)。その後衰微し、康応元年(一三八九)但馬国大明寺の開基である大祖が再興したが長続きせず、無住の寺となった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「最明寺」の意味・わかりやすい解説

最明寺
さいみょうじ

明月院

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