東磐井郡(読み)ひがしいわいぐん

日本歴史地名大系 「東磐井郡」の解説

東磐井郡
ひがしいわいぐん

面積:七一七・六一平方キロ
藤沢ふじさわ町・室根むろね村・千厩せんまや町・川崎かわさき村・東山ひがしやま町・大東だいとう

県南東部、北上高地の種山たねやま高原に続く傾斜面にあり、東は北より原台はらだい山・黒森くろもり山・君が鼻きみがはな山・大森おおもり山など標高七〇〇―八〇〇メートルの山々、南は東より高城たかぎ山・蚕飼こかい山などの三〇〇―四〇〇メートルの山々、北は東より鷹ノ巣たかのす山・阿原あばら山・蓬莱ほうらい山・大鉢森おおはちもり山などの七〇〇メートル前後の山々、北西部は束稲たばしね山を中心とした山々、南西部は南流する北上川に限られる。東端には郡内最高の室根山がそびえ、中央部には三〇〇―四〇〇メートル前後の弓折ゆみおり山・大峰おおみね山・三島みしま山などの丘陵が起伏する。北境に源を発する砂鉄さてつ川は南西流して北上川に注ぎ、その南でいずれも東部の山に発する千厩川・黄海きのみ川が西流して北上川に合流する。北は気仙けせん郡・江刺市、南は宮城県登米とめ東和とうわ町、東は陸前高田りくぜんたかた市・宮城県気仙沼けせんぬま市・同県本吉もとよし郡本吉町、西は胆沢いさわ前沢まえさわ町・一関市・西磐井郡平泉町・花泉はないずみ町。ほぼ中央部の南寄りを国道二八四号、北寄りを国道三四三号が東西に走り、JR大船渡おおふなと線は陸中門崎りくちゆうかんざき駅から大きく北に迂回して千厩駅へ至り、国道二八四号沿いに東へ向かう。明治一二年(一八七九)磐井郡が北上川を境に東西に分轄され、東磐井郡が成立した。

〔原始・古代〕

原始からの遺跡は砂鉄川黄海川などとその支流沿いにある。砂鉄川流域には石炭紀・二畳紀の長坂石灰岩が発達し、急峻な断崖をつくっている。この石灰岩地帯にうがたれた洞窟を利用した洞窟遺跡の存在が特徴の一つで、川崎村の布佐ふさ洞窟遺跡・東山町熊穴くまあな洞穴など一〇ヵ所を超える遺跡が知られる。旧石器時代の遺物は発見されていない。

縄文時代以降の遺跡は発掘調査された例が少なく、不明な部分が多い。縄文時代早期の遺物が出土した遺跡としては、千厩町奥玉沢前おくたまざわまえ遺跡・藤沢七日町なのかまち遺跡・室根村折壁中学校おりかべちゆうがつこう遺跡があり、出土土器は貝殻文を中心とした尖底深鉢形で早期中葉から末葉にかけてのもの。前・中期の遺跡は各河川流域で数を増し、千厩町沢前さわまい遺跡・松倉まつくら遺跡・萩生田おぎゆうだ遺跡、藤沢町相の沢あいのさわ遺跡・嶺沢みねざわ遺跡、東山町西本町にしもとまち遺跡、川崎村金山沢かねやまざわ遺跡などがある。前・中期とも大木式土器系、前期土器は胎土に繊維を含む深鉢形で平底。中期土器は渦巻文・竹管文・貼付文などがみられる。東山町の熊穴洞穴から約二〇体の人骨、西本町遺跡から一〇八点の石鏃と数点の石匙・石篦・石槍、一点の状耳飾、金山沢遺跡からは土器のほか石鏃・石斧・石匙・石錐・石棒・石剣などが出土している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報