院内村(読み)いんないむら

日本歴史地名大系 「院内村」の解説

院内村
いんないむら

[現在地名]能都町瑞穂みずほ

山田やまだ川中流に位置し、北は西安寺さいあんじ村。「三州志」に垣内として柱山はしらやままちがみえる。かつて霊山りようぜん寺の院内であったのが村名由来とされる(能登名跡志)。天正一五年(一五八七)五月二八日の前田利家奉行人の今井彦七書状(能登国古文書)によると、「山田院内村百姓中」に上納する山銭に応じた山地が分与されている。同一七年六月二六日には「諸橋組山田之内院内」に対し、川の付替えによる代償として一九町八段余が打渡されている(「検地目録」同文書)。同年九月一四日の前年分の年貢皆済状(同文書)では高四八〇俵余。当村は初め加賀藩領。土方雄久知行目録に村名がみえ、慶長一一年(一六〇六)から高五九六俵余が土方領、うち荒一五俵で、残高四割が百姓得分。

院内村
いんないむら

[現在地名]北条市院内

高縄たかなわ山の西斜面中腹、院内川流域の山村。東は滝本たきもと村・猪木いのき村、南は横谷よこだに村、西は善応寺ぜんおうじ村・寺谷てらだに村、北は寺谷村・波田はだ村・滝本村に接する。

慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)風早かざはや郡の項に「院内村 林少有、芝山有」とみえ、村高は一六九石六斗九升五合、うち田方一四二石二斗七升、畑方二七石四斗二升五合とある。

院内村
いんないむら

[現在地名]岩美町院内

長郷ちようごう村の南東、小田おだ川とその支流荒金あらかね川の合流点東方に位置する。正保期(一六四四―四八)作成と推定される因幡国絵図(県立博物館蔵)などに印内村とみえるが、元禄郷帳作成時に院内村に改められている(元禄一四年「変地其外相改目録」県立博物館蔵)。拝領高は二八二石余、本免は五ツ二分。東館家家臣可児氏、武田氏・前川氏・宮崎氏の給地があった(給人所付帳)。「因幡志」では家数二四で、土産は苧。安政五年(一八五八)の村々生高竈数取調帳では生高三七三石余、竈数二三。

院内村
いんないむら

[現在地名]仁賀保町院内

冬師とうし山の西麓、寒沢さむさわ川下流に位置し、北はむろさわ村、南は小国おぐに村、西は浜杉山はますぎやま村・田抓たつかみ村に接する。

由利郡中慶長年中比見出検地帳(由利郡中世史考)に仁賀保郷の一村として村名がある。村の沿革は平沢ひらさわ村と同じで、寛永元年(一六二四)仁賀保家の分知以来、内膳誠政(二千石家)領となる。

元和九年(一六二三)の高は四五六石一斗四升六合(「仁賀保総高改」渡辺文書)。元禄一一年(一六九八)の出羽国由理郡之内村高帳でも「仁賀保孫九郎拝地」として四五六石余。

院内村
いんないむら

[現在地名]大内町深沢ふかさわ

深沢村の西隣にあり、その西は海岸山地となる。

慶長一七年(一六一二)の由利郡御検地帳(本荘市立図書館蔵)内越うてつ郷の一村として村名があり、村高は本田高二千六八〇束刈、出高九五束刈、石高にして三四石四斗八升二合とある。最上検地の記載は貢納高を示すとされるから、半途物成として生産高は八〇石余と考えられる。

院内村
いんないむら

[現在地名]会津若松市東山町ひがしやままち石山いしやま

川流域にあり、北西は天寧てんねい村、南東は湯本ゆもと村。昔羽黒神社の別当東光寺の院内であったための村名で、竹林院・地蔵屋敷・大仙坊などの地名が残るという(新編会津風土記)。天寧村からの分村という(会津鑑)。寛文六年(一六六六)の「会津風土記」に「増院内」と記される。南青木組に属し、文化一五年(一八一八)の村日記では高二六六石余。

院内村
いんないむら

[現在地名]田沢湖町岡崎おかざき 院内

田沢湖の外輪山の院内岳から流れる院内川の両岸に狭い田地が開ける。

正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に一四二石とある。享保一五年(一七三〇)の「六郡郡邑記」に「院内村 惣名唱也」とあり、支郷に神成沢かんなりさわ村二軒、坂野下村二軒、大乗坊村六軒、鳥居野とりいの村一六軒が記される。寛政六年(一七九四)の当高は一六九石六斗三合(六郡惣高村附帳)

院内村
いんないむら

[現在地名]田原町豊島としま 院内

谷熊やぐま村の西に位置する。「神鳳鈔」にある院内御薗とはこの地である。「田原記」(愛知教育大学蔵)によれば古来長仙ちようせん寺の院内であり、同寺の山門があったという。

院内村
いんないむら

[現在地名]下田村院内

五十嵐いからし川上流右岸の段丘上、北五百川きたいもがわ村の西に位置する。正保国絵図では高二二石余。正保(一六四四―四八)初年の物成高を記した「初免石」(「村松小史」渡辺芳江氏蔵)では一〇石七斗余・家三戸である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の院内村の言及

【幸若舞】より

…この地の近くの八坂神社の嘉慶元年(1387)の記録に,同社の神事舞の役を勤めたことが見える。西田中は江戸中期まで院内村と呼ばれたが,これらからすると,幸若舞はもと地方の寺社に奉仕する唱門師系の舞であったと思われる。 幸若流は15世紀中ごろから京都に進出して,武将たちの愛顧を受け,領地を安堵されるようになり,八郎九郎,小八郎,弥次郎の3家に分かれて盛行した。…

※「院内村」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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