足柄上郡(読み)あしがらかみぐん

日本歴史地名大系 「足柄上郡」の解説

足柄上郡
あしがらかみぐん

面積:三〇二・二七平方キロ
中井なかい町・大井おおい町・松田まつだ町・開成かいせい町・山北やまきた

神奈川県の西部に位置し、東は愛甲あいこう清川きよかわ村・秦野はだの市・平塚市・中郡二宮町、西は静岡県駿東すんとう郡、北は津久井つくい津久井町・山梨県南都留みなみつる郡、南は小田原市・南足柄みなみあしがら市に接する。松田町・山北町の北部は丹沢大山たんざわおおやま国定公園に含まれる。松田町から山北町へ国道二四六号が旧矢倉沢やぐらさわ往還と並行して通過、バイパスも建設された。大井町から松田町へは国道二五五号が北上し同二四六号に接続する。

東部の大磯丘陵西端から裾野にかけて中井町・大井町、北部の丹沢山塊南西部に松田町・山北町、中央部の酒匂さかわ川流域に山北町・開成町・松田町・大井町があり、昭和四七年(一九七二)の市制施行まで南足柄市域が含まれていた。同市を含めて地域をみると、近年までは農村地帯であり、足柄平野の米作と微高地での果樹栽培、山地での製炭および製材・薪採取が行われていた。

〔原始・古代〕

山北町から南足柄市にかけての丘陵地には縄文早期から古墳前期までの遺跡が散在するが、出土品は少なく、大井町には祭祀遺構を伴う縄文中期・後期の金子台かねこだい遺跡が存在し、松田町松田庶子まつだそしから古代のからさわ瓦窯跡が発見された。

「続日本紀」霊亀元年(七一五)三月二五日条に「相模国足上郡人丈部造智積・君子尺麻呂並表閭里、終身勿事、旌孝行也」とあり、「和名抄」郡郷にも「足上郡」とあるが、同書国郡は「足上足辛乃加美」と訓じている。「和名抄」に記す郡内の郷には高家たかや桜井さくらい岡本おかもと伴群ともべ(部か)余戸あまるべ駅家うまやがあった。天平七年(七三五)の相模国封戸租交易帳(正倉院文書)によれば、舎人親王食封のなかに「足上郡岡本郷伍拾戸」の田一二三町余があり、また摂津四天王寺の来歴を記した荒陵寺御手印縁起には、同寺食封に「相模国足上郡大伴郷五拾烟」と記す。これらの地は現在地を比定することは困難である。「伴部」(大伴郷)を小田原市東大友ひがしおおども・西大友の地とすれば、後には足柄下郡に属しており、郡境に移動があったとみられる。延喜式内社として足上郡には寒田神社一座があるが、「風土記稿」は松田町松田惣領の寒田まつだそうりようのさむた神社とする。古代の官道は西から足柄峠を越えて当郡に入り、坂本さかもと(現南足柄市関本)を経て郡内を東進して南行し、足柄下郡に向かった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報