今昔物語集
こんじゃくものがたりしゅう
平安後期の説話集。1059話(うち本文を欠くもの19話)を31巻(うち巻8、18、21は欠)に編成する。
[森 正人]
1120年(保安1)以降まもなく、白河(しらかわ)院政のころ成るか。編者未詳。中心的編者のもとで複数の人の協同作業であったか、1人の手に成ったかについても、説は分かれている。ただ、構成、素材、文体などを総合的に判断して、仏教界に属する者の編であろう。すべての説話に文献資料があったとみられる。中国の仏教説話集『三宝(さんぼう)感応要略録』『冥報記(めいほうき)』『弘賛法華伝(ぐざんほっけでん)』および船橋家本系『孝子伝』、日本の『日本霊異記(りょういき)』『三宝絵詞(さんぼうえことば)』『日本往生極楽記』『本朝法華験記(ほっけげんき)』『俊頼髄脳(としよりずいのう)』が主要な確実な資料である。また、現在伝わらない源隆国(たかくに)作の『宇治大納言(うじだいなごん)物語』や、いくつかの仏教説話集も有力な資料となったと考えられる。こうして、本書は、それまでの説話集のさまざまの系統を集大成するものとなっている。
[森 正人]
巻1~5を天竺(てんじく)(インド)、巻6~10を震旦(しんたん)(中国)、巻11~31を本朝(日本)のごとく3部に分け、各部をそれぞれ仏法、世俗の2篇(へん)に分ける。各部、篇は、主題、素材によって説話を分類配列し、全体が緻密(ちみつ)に構成されている。各説話は、「今ハ昔」の冒頭句、「トナム語リ伝ヘタルトヤ」の末尾句をもって、形式的統一が図られている。また、各部冒頭から、創始を語る説話が年代順に配列されているから、3国の仏法と王法の歴史を示す基本構想のあったことが認められる。こうして本書は、当時考えられる全世界を説話によって描き出し、すべての事柄とできごとに統一と秩序を与えようとする試みであった。その構想は、古代末期の価値観の動揺、社会的行き詰まりが、意識的にも無意識的にも影響して生まれたと考えられる。説話の舞台は中央から辺境に及び、登場人物も国王や貴族から下層の老若男女、妖怪(ようかい)、動物と多様である。編者はおおむね旧(ふる)い価値観にたちながらも、従来の文学が目を向けることのなかった新しい世界を取り上げ、とくに、山林修行民間布教の聖(ひじり)、武士、盗賊などの精神と行動を具体的に描き出している。したがって、その文学精神は古代的であると同時に、中世文学の出発を予感させる作品ともなっている。また、即物的な漢字片仮名交じり文体は、叙情や人間の微妙な内面を表現するには適していなかったけれども、非伝統的、非貴族的な対象に対しては十分効果を発揮している。『平家物語』などの和漢混交文の先駆とみなされる。
[森 正人]
伝本のほとんどが江戸時代の書写で、それらはすべて、鎌倉時代中期を下らない鈴鹿(すずか)本を祖本とするから、中世にはほとんど流布しなかったらしい。中世文学に直接的な影響を与えた形跡もない。江戸時代に本朝部世俗篇の一部が刊行されている。近代に入って、芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)がその説話を素材に『羅生門(らしょうもん)』『芋粥(いもがゆ)』などの小説を書き、そのころからようやく文学的価値が注目されるようになった。
[森 正人]
『山田孝雄他校注『日本古典文学大系22~26 今昔物語集1~5』(1959~63・岩波書店)』▽『馬淵和夫他校注・訳『日本古典文学全集21~24 今昔物語集1~4』(1971~76・小学館)』▽『『日本文学研究資料叢書 今昔物語集』(1970・有精堂出版)』▽『坂口勉著『今昔物語の世界』(教育社歴史新書)』▽『池上洵一著『今昔物語集の世界 中世のあけぼの』(1983・筑摩書房)』
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今昔物語集
こんじゃくものがたりしゅう
平安時代後期の日本最大の説話集。作者未詳。 31巻。 1040話。天永~保安 (1110~24) 頃成立か。天竺 (インド) ,震旦 (中国) ,本朝仏法,本朝世俗の4部に分けられ,説話の内容によって整然と分類配列される。天竺,震旦部では,仏典や漢籍の翻訳翻案がほとんどで,本朝仏法部では『日本霊異記』以下の仏教説話集により,文章を改め,あるいは潤色を加えている。本朝世俗部は出典が明らかでない説話が多い。各話「今ハ昔」で始る。きわめて行動的な人間を,漢文脈の,強い文体で活写している点,和文により人間の内面を描いた『源氏物語』と対照的であるが,ともに平安時代を代表する作品となっている。近代文学に与えた影響も大きい。
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こんじゃくものがたりしゅう ‥ものがたりシフ【今昔物語集】
平安後期の説話集。三一巻。うち、八、一八、二一の三巻を欠く。保安元年(
一一二〇)頃成立か。作者に関しては、
古来の源隆国説、
鳥羽僧正覚猷説その他があるが未詳。通称「
今昔物語」。内外の文献の翻案を含む説話一〇〇〇余を、天竺(インド)、震旦(中国)、本朝(日本)の三部に分けて収めた、日本最大の古説話集。全体に仏教的な説話が多いが、本朝世俗部などには地方武人や
庶民階級の生活を伝える説話も集めてあり、力強い現実描写にすぐれる。漢文訓読調に和文脈をまじえた文体で、
古写本は片かな宣命
(せんみょう)体の表記法をとり、国語史料としても貴重である。
書名は、説話が「今は昔」で始まることに由来。
今昔。
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デジタル大辞泉
「今昔物語集」の意味・読み・例文・類語
こんじゃくものがたりしゅう〔コンジヤクものがたりシフ〕【今昔物語集】
平安後期の説話集。31巻。現存28巻。源隆国や覚猷(鳥羽僧正)を編者とする説があるが、未詳。12世紀初めの成立。天竺(インド)・震旦(中国)・本朝(日本)の3部に分かれ、一千余の説話を収める、日本最大の古説話集。古写本は片仮名宣命体。書名は、各話が「今は昔」で始まることに由来する。今昔物語。
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今昔物語集
こんじゃくものがたりしゅう
平安後期の説話集
12世紀初めころの成立。編者不詳。天竺 (てんじく) (インド)・震旦 (しんたん) (中国)・本朝(日本)の3部31巻よりなる。仏教説話が多いが,本朝部の後半,世俗編においては,貴族・武士・庶民の姿を躍動的なユーモアを通して描写。和語・漢語・梵語の和漢混交文で書かれ,のちの説話文学に多大な影響を与えた。
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こんじゃくものがたりしゅう【今昔物語集】
平安時代末期の説話集。編者未詳。12世紀初頭に成立。31巻。ただし,巻八,巻十八,巻二十一を欠く。天竺(てんじく)(インド)(巻一~巻五),震旦(中国)(巻六~巻十),本朝(日本)(巻十一~巻三十一),の3部より成る。標題のみを残す19話,標題と本文の一部を残す説話を含めて,1059話を収録。
[編者と成立]
《宇治拾遺物語》の序に,宇治大納言源隆国(みなもとのたかくに)が納涼のために宇治平等院の南泉房(なんせんぼう)に籠り,往来の諸人の昔物語を記録したものが《宇治大納言物語》であり,増補されて世に行われている,とある。
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世界大百科事典内の今昔物語集の言及
【愛】より
…《枕草子》と並んで,《源氏物語》にも,〈愛〉〈愛す〉の語は1例も使用されていない。 このように平安女流文学においては,〈愛〉〈愛す〉が使用されていないのに対して,平安末期の仏教説話集《今昔物語集》では,これらの語が頻用されている。しかし,この現象は,必ずしも時代の新古のみによるものとは考えられない。…
【因果応報】より
…日本ではこの2書に《善悪因果経》を加えた3書の影響のもとに多くの因果応報説話が形成された。仏教説話集はすべて因果応報説話集といえるが,中でも《今昔物語集》巻九,巻二十は,それぞれ中国・日本の因果応報説話の集成として注目すべきものである。また,近世に多く行われた〈鼓吹(くすい)〉〈直談(じきだん)〉などを書名にもつ通俗仏教注釈書は,中世以前の因果応報説話を多く継承している。…
【地蔵菩薩霊験記】より
…内容は,地蔵を安置する寺院の縁起,地蔵信仰によって得た利益(りやく)など,基本的には阿弥陀や観音の霊験譚と異なるものではないが,地獄から蘇生した話が多く見られるのが地蔵の霊験譚の特徴である。《今昔物語集》巻十七に32の地蔵霊験譚が収録され,そのほとんどは《地蔵菩薩霊験記》の類話なので,本書の成立は平安時代にさかのぼりうる。しかし実睿撰と伝えられる巻二に〈文和年中〉(1352‐56)や〈曾我兄弟〉(仇討は1193年)という言葉が出てくるから,現存の《地蔵菩薩霊験記》は実睿の著そのものではなく,地蔵信仰の普及とともに後人が増補改訂したものと思われる。…
【釈迦】より
…口頭の語りだけでなく,道長の法成寺御堂の扉絵に八相成道が描かれたり,貞観寺の仏伝の柱絵にもとづく絵解きや《梁塵秘抄》にみる歌謡(今様)世界で仏伝が歌われるなど,さまざまな領域で仏伝の物語は享受されていた。 11世紀後半になって,釈迦滅後二千年に〈末法〉の暗黒の世に入るという終末観の思想が広まったが,12世紀前半の《今昔物語集》が初めて体系的な仏伝文学を形成したのもこの末法の考えと深いかかわりがあろう。《三宝絵》が前世の仏を問題にしたのに対し,《今昔》は人間としての釈迦の生を徹底して見すえようとする。…
【ジャータカ】より
…これらの民話を集成した《パンチャタントラ》は,のちにシリア語やアラビア語に訳されて西方に伝播し,《イソップ物語》や《アラビアン・ナイト》,さらには《グリム童話》,J.deラ・フォンテーヌの《寓話》などに影響を与えた。また,日本へも前述の漢訳文献を通じて《今昔物語集》などに入っている。たとえば,〈二羽の紅鶴と亀〉の話は,〈亀と鷲〉(イソップ),〈二羽の家鴨と亀〉(ラ・フォンテーヌ),〈雁と亀〉(《今昔物語集》)となり,一角仙人の話は《今昔物語集》を通じて謡曲《一角仙人》や歌舞伎《鳴神》となっている。…
【琵琶法師】より
…7世紀末ころに中国より伝来した琵琶は,管絃の合奏に用いられる一方,盲僧と結んで経文や語り物の伴奏楽器とされた。《今昔物語集》には琵琶にすぐれた宇多天皇の皇子敦実親王の雑色(ぞうしき)蟬丸(せみまる)が,盲目となって逢坂山に住んだが,そのもとに源博雅(みなもとのひろまさ)が3年間通って秘曲を伝授される話を載せる。蟬丸は琵琶法師の祖とされ,醍醐帝第4の皇子という伝承を生むが,一方彼らの自治組織ともいうべき〈当道(とうどう)〉では,仁明天皇第四皇子人康(さねやす)親王を祖神とし,天夜(あまよ)尊としてまつる。…
【源隆国】より
…《宇治拾遺物語》序に《宇治大納言物語》(原本不詳)の作者と伝える。《今昔物語集》の撰者ともいわれるが不明。【黒板 伸夫】。…
【羅生門】より
…平安末期の荒れ果てた羅生門の楼上,職を失った下人は死人の髪を抜きとっている老婆を取り押さえるが,生きるためにはこうするほかはないという老婆の言葉を聞くや,その着物を剝ぎとって闇の中へ消えてゆく。材を《今昔物語集》に取り,下人の心理の推移をみごとに描きとってみせたこの作品の主題をエゴイズムの剔抉に見るか,老婆の語る倫理を超えたニヒリズムに見るか,あるいは下人の示す善への勇気と悪への勇気をともに持った人間存在の矛盾そのものの凝視に見るか,その主題は幾様にも読みとれるが,いずれにせよ人間をつねに複眼的にとらえ,人生の一局面をあざやかに切断して作品化せんとする短編作家芥川のまぎれもない誕生をここに読みとることができよう。【佐藤 泰正】。…
※「今昔物語集」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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