日本往生極楽記(読み)ニホンオウジョウゴクラクキ

デジタル大辞泉 「日本往生極楽記」の意味・読み・例文・類語

にほんおうじょうごくらくき〔ニホンワウジヤウゴクラクキ〕【日本往生極楽記】

平安時代往生伝。1巻。慶滋保胤よししげのやすたね著。寛和元~2年(985~86)ごろ成立聖徳太子以下45人の往生伝をまとめたもの。

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精選版 日本国語大辞典 「日本往生極楽記」の意味・読み・例文・類語

にほんおうじょうごくらくき ニホンワウジャウゴクラクキ【日本往生極楽記】

平安中期の仏教書。一巻慶滋保胤(よししげのやすたね)撰。寛和年間(九八五‐九八七)頃の成立。日本最初の往生伝で、聖徳太子以下四五人の浄土願生の事跡を記す。

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改訂新版 世界大百科事典 「日本往生極楽記」の意味・わかりやすい解説

日本往生極楽記 (にほんおうじょうごくらくき)

慶滋保胤(よししげのやすたね)選。寛和年間(985-987)の成立。唐の《浄土論》《瑞応伝》にならって日本の往生者の伝を集め,42項目45人を僧尼・俗人男女の順に漢文体で記す。国史別伝・故老口伝を素材とするが,著者伝聞とみられる同時代の往生者の記載が多い。以後編纂(へんさん)された往生伝の範となり,《法華験記》や《今昔物語集》巻十五に再録されるなど,後世に及ぼした影響は大きい。
往生伝
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「日本往生極楽記」の意味・わかりやすい解説

日本往生極楽記
にほんおうじょうごくらくき

平安中期の往生伝。一巻。慶滋保胤(よししげのやすたね)著。初稿本の成立は983年(永観1)~986年(寛和2)。のちに兼明(かねあきら)親王加筆を委嘱したが、987年(永延1)親王が薨(こう)じたため、著者がふたたび筆をとり完成させた。日本における最初の往生伝で、聖徳太子、行基(ぎょうき)、円仁(えんにん)以下45名の往生者(阿弥陀(あみだ)仏の浄土に往生した人)の略伝を記したもの。本書浄土思想は、法華(ほっけ)・念仏一体の信仰が基調をなしており、来迎(らいごう)思想も顕著にうかがわれる。当時の天台浄土教の諸行(しょぎょう)往生思想を反映したものとみられよう。以後の往生伝に大きな影響を与えた。別名『日本往生伝』『慶氏(けいし)日本往生伝』。

[多田一臣]

『井上光貞・大曽根章介校注『日本思想大系7 往生伝・法華験記』(1974・岩波書店)』

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「日本往生極楽記」の解説

日本往生極楽記
にほんおうじょうごくらくき

「日本往生伝」とも。平安時代,慶滋保胤(よししげのやすたね)が著した往生者の伝記。1冊。往生者の下限および「往生要集」の記事から,983年(永観元)以後,985年(寛和元)4月以前の成立と考えられるが,本書行基(ぎょうき)伝の注記によれば保胤の出家(986年)以前にいったん成立,兼明(かねあきら)親王の死後(987年)近い時期に保胤の手で増補されて現在のかたちになったらしい。「続本朝往生伝」序には寛和年間の作とある。総計45人の伝は国史・別伝類のほかは,著者みずからの見聞によると思われるものが多く,同時代人の割合が大きい。「本朝法華験記」「続本朝往生伝」以下の往生伝,「今昔物語集」などに多大の影響を与えた。「日本思想大系」所収。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「日本往生極楽記」の意味・わかりやすい解説

日本往生極楽記
にほんおうじょうごくらくき

平安時代の往生者の伝記集。慶滋保胤 (よししげのやすたね) 著。寛和年間 (985~987) 成立。人々を浄土教に帰依させるために,中国唐の『浄土論』や『往生西方浄土瑞応刪 (さん) 伝』にならって,日本で阿弥陀浄土に往生をとげた者の例を示そうとしたもので,聖徳太子以下 47名の僧俗の伝記をあげているが,中心は著者と同時代の人である。漢文による記述は簡略で,臨終の行儀や奇瑞を記すことに重点があり,貴族社会に浄土教の流行を導いたもの。

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旺文社日本史事典 三訂版 「日本往生極楽記」の解説

日本往生極楽記
にほんおうじょうごくらくき

平安中期,慶滋保胤 (よししげのやすたね) の著した往生伝
寛和年間(985〜987)の成立。1巻。聖徳太子以下45人の極楽往生をとげたと信じられた人びとの事績を集録した。日本の往生伝中最初のもので,浄土教信仰の広まりを反映している。

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世界大百科事典(旧版)内の日本往生極楽記の言及

【説話文学】より

…説経唱導の資として多数の証話が求められ,それがやがて説話集や説経集に結晶したわけで,平安時代には,折々の信仰の動向と布教上の実需を反映して,多様な作品が制作された。《日本霊異記》の系譜につながる《日本感霊録(にほんかんりようろく)》(850ころ),上流婦女子向けの仏教テキスト《三宝絵詞(さんぼうえことば)》(984),浄土信仰の盛行が生み出した《日本往生極楽記》(986ころ),法華経信仰の諸相と功徳を説いた《本朝法華験記》(1044)などは,いずれも歴史的意味をになう個性的作品である。基盤となった説経の資料としては,院政期の《法華修法一百座聞書抄》《打聞集(うちぎきしゆう)》などが注目される。…

【慶滋保胤】より

…しかしこの改革運動も権力者の圧力によって崩壊し,986年(寛和2)に彼は比叡山横川(よかわ)の源信(げんしん)のもとで出家し寂心(じやくしん)と称した。このときすでに《日本往生極楽記》は完成していた。これは中国の《浄土論》や《瑞応删伝(ずいおうさんでん)》にならって日本における往生者45人の伝記を,国史や諸伝および自己の見聞によって記したもので,源信の《往生要集》が天台浄土教の立場から正しい念仏生活のための理論的指南書であるのと対をなしている。…

※「日本往生極楽記」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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