景清(能)(読み)かげきよ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「景清(能)」の意味・わかりやすい解説

景清(能)
かげきよ

能の曲目。四番目物。五流現行曲、ただし金春(こんぱる)流は明治の復曲。作者不明。心理劇の傑作。かつての武将悪七兵衛(あくしちびょうえ)景清(シテ)は、日向(ひゅうが)国(宮崎県)に流人となり、盲目の乞食(こじき)として生きている。鎌倉の遊女との間に生まれた娘人丸(ひとまる)(ツレまたは子方)は、従者を伴ってまだ見ぬ父を訪ねて九州へ下ってくる。身を恥じて名のろうとせぬ父。里人(ワキ)の引き合せで娘に頭(こうべ)を垂れた景清は、かつての武勇を物語り、死後の回向(えこう)を頼み、去っていく娘を見送ってひとり立ち尽くす。景清の能面にも髭(ひげ)の有無両様があり、敗残の姿に焦点をあてるか、消えぬ反骨主軸とするか、さまざまの解釈、演出がある。三保谷(みおのや)の四郎との錣引(しころびき)の武勇談の部分は、狂言の小舞(こまい)としても演じられる。このくだりは『平家物語』を原典とするが、流人、盲目、親子再会の話は『平家物語』にはなく、別系統の景清伝説に拠(よ)ったものだろう。頼朝(よりとも)暗殺をねらう景清を描いた能に『大仏供養(くよう)』(奈良詣(ならもうで))がある。ともに後世浄瑠璃(じょうるり)、歌舞伎(かぶき)から常磐津(ときわず)、長唄(ながうた)まで大きな影響を与え、多くの景清物を生んだ。

増田正造

景清物

浄瑠璃、歌舞伎の一系統。平家の遺臣悪七兵衛景清(平景清)の事跡に取材したもの。幸若(こうわか)舞や謡曲にも扱われたが、江戸期になると、最後まで源氏への報復を心がけた景清の執念民衆が共鳴したため、古浄瑠璃以来、多くの作が生まれた。浄瑠璃では近松門左衛門の『出世景清』(1685)を基本に、『壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)』(1732)、『嬢景清八島日記(むすめかげきよやしまにっき)』(1764)など。歌舞伎では「歌舞伎十八番」の『景清』『解脱(げだつ)』『関羽(かんう)』などのほか、『錣引(しころびき)』『琵琶(びわ)の景清』『岩戸の景清』や長唄の舞踊『五条坂の景清』などがある。

[松井俊諭]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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