文字学(読み)もじがく(英語表記)wén zì xué

改訂新版 世界大百科事典 「文字学」の意味・わかりやすい解説

文字学 (もじがく)
wén zì xué

漢字が表意文字という性格から,字数が多く,字形も複雑なために,中国人は早くからその習得に苦しんだらしい。文字学とかかわりをもつ最も古い書物は,今でいう識字課本の類である。周の《史籀(しちゆう)篇》,秦の《蒼頡(そうけつ)篇》,漢の《急就篇》など,日常の文字を韻語でつづり記憶に便なるよう編集された。漢代に入ると,儒教国教となり,古典の読解力が要求されるようになった。古典の字句を意味によって整理収録し,古典の字を覚え,音を学び,意味を知るための字書がつくられ,《爾雅(じが)》と名づけられた。全編19章より成り,そのうち,〈釈詁〉〈釈言〉〈釈訓〉は,はじめにいくつかの同義詞をあげ,最後に常用詞でその意味を記す。一般に訓詁(くんこ)の書といわれ,その成立年代は明らかでないが,前漢の作といわれる。のち,この体例にならったものが多く,その最も早いものに魏の張揖(ちようゆう)の《広雅》がある。古語ではなくして,方言を整理収録したものに揚雄の《方言》がある。方言には国名・地名を用い,今日の普通話(共通語)にあたるものを〈凡語〉〈通語〉と記す。後漢に入って劉煕(りゆうき)の《釈名(しやくみよう)》があり,これは事物の名称の起源を説いたもので,語音を追求することによって,語義の起源がわかるという考え方によっている。

 漢代は秦の焚書坑儒のあとをうけ,テキストに隷書をさす今文とそれ以前の書体をいう古文の別が生じ,それが経書の解釈に重大な影響をおよぼすことになった。いわゆる今文学派と古文学派に分かれて論争が始まり,文字に対する系統的な研究は,この古文学派の中から生まれた。許慎の《説文解字》はこのような背景の中から生まれ,部首540部を定め,小篆(しようてん)による9353字をそれぞれの部首に配し,まず字義を解き,当時流行した〈六書(りくしよ)〉の原則にしたがって,文字の構造と字義の関連を説き,必要に応じて字音にもふれている。このあと,晋に呂忱の《字林》があって,同じく540部に分けたといわれるが現存しない。梁の顧野王(こやおう)の《玉篇》がこの系統をうけてはいるが,注解は本義にかぎらず,広く用例を古書に求めている点,後世の字書の注解に近い。

 南北朝に入ると,インドの音韻学の知識が中国に紹介されるとともに,韻文の流行が字音の研究を促した。すでに三国魏の時代に李登の《声類》があり,六朝を通じて多くの韻書がつくられてはいるが,現在見ることはできない。隋の陸法言の《切韻》は,現在残簡が残っており,唐代を通じて数度の改訂増補をくりかえし,宋初になって定本ともいうべき《広韻》が刊行された。声調によって巻を分かち,平声2巻,上去入声それぞれ1巻あわせて5巻,206韻という基準が定まる。このころになると,韻図がつくられるようになる。古いものとしては,鄭樵の《七音略》と作者不明の《韻鏡》があり,ともに《広韻》の系統をひく。ややおくれて《切韻指掌図》があって当時の実際の音を反映する。元代に入ると,周徳清の《中原音韻》があり,これは当時の北方音と直接関係をもった韻書である。入声が消滅し,平声が陰陽に分かれる。韻類は19で今日の普通話に近い。明代の《洪武正韻》は入声と全濁声母があって,やや呉音の特徴を示す。このころから北音を基礎とする韻書が作られるようになる。

 清代に入ると,考証学がおこり経書に関する広範な研究が始まる。なかでも著しい成果をあげたのは古音の研究である。まず顧炎武が《音学五書》を著して,古音を10部に分けた。つづいて江永が《古韻標準》を著し,13部とし,段玉裁が《六書音韻表》で17部に分け,戴震は《声類表》を著し,9類25部とした。さらに王念孫が21部,江有誥(こうゆうこう)も《音学十書》において21部とする。その後章炳麟(しようへいりん)は《国故論衡》で23部,黄侃(こうかん)は28部と,時代がくだるにしたがい精密さを増していった。今では王力の29部が最も新しい部分けである。声母に関しては,銭大昕(せんたいきん)が上古においては軽唇音と舌上音のなかったことを明らかにし,章炳麟は娘母と日母のなかったことを明らかにした。その結果,章炳麟は上古の声母を20とし,黄侃は19と定めている。古音研究からややおくれて《説文》の研究が始まる。段玉裁の《説文解字注》,桂馥(けいふく)の《説文義証》,朱駿声(しゆしゆんせい)の《説文通訓定声》はそれぞれ特色をもった不朽の名著である。清末に発見された亀甲獣骨は古代文字の研究をうながし(甲骨学),金石文の研究とともに多大の成果をあげた。訓詁の書《爾雅》には邵晋涵(しようしんかん)の正義,郝懿行(かくいこう)の義疏,《広雅》には王念孫の疏証,銭大昭の疏義,《方言》には戴震の疏証,銭繹(せんえき)の箋疏,《釈名》には畢沅(ひつげん)の疏証がある。
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