日本大百科全書(ニッポニカ) 「字音」の意味・わかりやすい解説
字音
じおん
固有の文字をもたなかった中国の近隣諸国が、漢字を書記用具として輸入した際に、それぞれの漢字に伴う中国語の発音を同時に取り入れて、自国語のなかに定着させたもの。「漢字音」または単に「音」ともいう。本来の中国語の発音を「中国(漢)字音」とよぶのに対して、「日本(漢)字音」「朝鮮(漢)字音」「越南(ベトナム)(漢)字音」などが区別される。中国字音自体に時代や方言による変動があり、各国字音もその受け入れた時期と方言に対応して異なり、かつ各国語の音韻体系も異なるので、それぞれ独自の変化を遂げている。
[沼本克明]
中国字音
中国語は1漢字1音節であり、1音節は大きく頭子音Initialと韻(いん)とに二分され、韻はさらに介母Medial、体母Vowel、韻尾Endingの3要素に分けられる。これに各字の声調Toneの区別が加わり、その音節構造はIMVE/Tのように抽象化できる。日本字音にもっとも深く関係する隋(ずい)・唐代音に例をとれば、頭子音Tは調音部位によって、唇音(系)、舌音(t系)、牙音(がおん)(k系)、歯音(s・ts系)、喉音(こうおん)(h系)、半舌音(l)、半歯音(ɲ)の7種に大きく分かれ、それぞれがさらに有気・無気、有声・無声の相違によって分かれて、合計41種類あり、韻IMVは声調の区別を含めると、標準的には206種類あった。なお、声調は平声(ひょうしょう)、上声(じょうしょう)、去声(きょしょう)、入声(にっしょう)の4種に分かれ、これを四声(しせい)とよぶ。
[沼本克明]
日本字音
日本字音は、その伝来の時期と基盤となった中国語方言の違いに対応して、大きく、上古音、呉音(ごおん)(和音または対馬音(つしまおん)とも)、漢音(正音(しょうおん)または唐音(とうおん)とも)、宋音(そうおん)(唐音(とういん)とも)の四つの系統に分けられる。上古音は万葉仮名の「奇(ガ)」「宜(ガ)」「巷(ソ)」「已(ヨ)」「里(ロ)」などの基礎になった字音で、呉音伝来以前に将来され、量的にはわずかである。呉音は「宮(クウ)」「宜(ゲ)」「近(コン)」「施(セ)」「明(ミヤウ)」などで、5~6世紀ごろの南方呉地方の中国音が直接または朝鮮を経由して、おもに仏教経典の読誦(どくじゅ)音として伝来したものと推定される。漢音は「宮(キウ)」「宜(ギ)」「近(キン)」「施(シ)」「明(メイ)」などで、唐代の洛陽(らくよう)、長安の標準音が、直接入唐僧や帰化人によって将来されたものと考えられる。平安時代初期にはとくに正音と称されて、朝廷の奨励のもとに中国字音に忠実に学習されていた形跡が残っている。以上の、呉音と漢音とは、中国字音が体系全体として移入され、日本字音として定着したものであり、日本字音の根幹を形成する二大系統である。宋音は平安末期以後に伝来したもので、宋・元代の南方系の中国音がおもに禅僧によって将来されたものと、明(みん)・清(しん)代の南方系の中国音が禅僧や貿易によって将来されたものとの2層が区別されるが、その境界はかならずしも明確ではない。この系統の字音は、日本語への影響や定着度という点からは、禅宗での読経(諷経(ふぎん))のほかでは、「行燈(アンドン)」「椅子(イス)」「提灯(チヤウチン)」「胡乱(ウロン)」「和尚(ヲシヤウ)」「普請(フシン)」など特定語彙(ごい)を支えているにすぎないものである。
[沼本克明]
『「漢字三音考」(『本居宣長全集5』所収・1970・筑摩書房)』▽『山田孝雄著『国語の中に於ける漢語の研究』(1970・宝文館出版)』▽『三根谷徹著『越南漢字音の研究』(平凡社・東洋文庫)』▽『『河野六郎著作集2 朝鮮漢字音の研究』(1979・平凡社)』▽『藤堂明保著『中国語音韻論』(1957・江南書院)』▽『沼本克明著『平安鎌倉時代に於る日本漢字音に就ての研究』(1982・武蔵野書院)』▽『高松政雄著『日本漢字音の研究』(1982・風間書房)』