戸川残花(読み)とがわ・ざんか

朝日日本歴史人物事典 「戸川残花」の解説

戸川残花

没年:大正13.12.8(1924)
生年:安政2.10.22(1855.12.1)
明治大正期の宗教啓蒙家,文学者。江戸時代史家。江戸牛込原町に生まれる。実名安宅幕府の大身の旗本。若いころは,関西で伝道に従事し,和歌を詠み新体詩の詩人であったが,明治30(1897)年から雑誌『旧幕府』を主宰し,おおいに江戸幕府の政治や人物の紹介に努め,佐幕派の名士を結集し,紀州徳川家の南葵文庫の管理維持にも貢献した。また三越百貨店と提携して武家の行事や風俗について啓蒙活動をした。日本女子大学の創立に尽力し,晩年は宗教思想の啓蒙的評論に活躍した。<著作>『三百諸公』『幕末小史』

(秋元信英)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「戸川残花」の解説

戸川残花 とがわ-ざんか

1855-1924 明治-大正時代の詩人,評論家
安政2年10月22日生まれ。もと旗本。維新後,大学南校,慶応義塾などにまなぶ。牧師として活躍する一方,「文学界」に長詩桂川」などを発表する。江戸時代史を研究し,「旧幕府」を主宰。紀州徳川家南葵(なんき)文庫主任。日本女子大教授。大正13年12月8日死去。70歳。江戸出身。本名は安宅(やすいえ)。著作に「幕末小史」など。
格言など】俳は禅にあらず,禅にあらざるにもあらず(「古今名流俳句談」)

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百科事典マイペディア 「戸川残花」の意味・わかりやすい解説

戸川残花【とがわざんか】

詩人,評論家。本名安宅(やすいえ)。通称隼人。江戸生れ。1874年に受洗,1883年から関西へ伝道活動。のち麹町教会の牧師となり,《伝道師》《童蒙 賛美歌》《新撰賛美歌のてびき》などを刊行。《文学界》の客員となり長詩《桂川》など詩文を発表,浪漫詩に影響を与えた。1901年,日本女子大の開校教授となる。また《幕末小史》など,旧幕時代の記録にも力を尽くした。

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世界大百科事典(旧版)内の戸川残花の言及

【文学界】より

…最初の同人は,理論的中核となった北村透谷,島崎藤村,平田禿木(とくぼく),戸川秋骨,天知とその弟星野夕影(せきえい)。のちに戸川残花,馬場孤蝶が加わった。ロマン主義的な個性の重視と社会的関心の持続とによって,同人それぞれの才能を開花させた注目すべき雑誌であったが,透谷の死後,上田敏(柳村)が同人となり,芸術至上主義的傾向を強めたとされている。…

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