尹東柱(読み)ユンドンジュ(英語表記)Yun Tong-ju

デジタル大辞泉 「尹東柱」の意味・読み・例文・類語

ユン‐ドンジュ【尹東柱】

[1917~1945]朝鮮詩人日本留学中の1943年に独立運動容疑で逮捕され、獄死した。日本の併合下にあった民族悲哀叙情詩にうたった、詩集「空と風と星と詩」がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「尹東柱」の意味・わかりやすい解説

尹東柱 (いんとうちゅう)
Yun Tong-ju
生没年:1917-45

朝鮮の詩人。中国,北間島の明東生れ。延禧専門学校(現在の延世大学校)を経て1943年日本の同志社大学英文科に在学中,思想犯として捕らえられ,45年2月福岡刑務所で獄死した。中学時代から詩を書いており,キリスト教信仰と民族愛がとけ合った朝鮮語による詩は植民地下の暗黒時代に民族の詩心を代弁した。詩集に死後刊行された《空と風と星と詩》(1955)がある。〈死ぬ日まで天を仰ぎ/一点の恥ずべきことなきを/草葉に立つ風にも/わたしは心苦しんだ〉と〈序詩〉でうたったように,彼は〈悲しい族属〉(詩集中の一編)の一人として殉節の精神をまっとうした。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「尹東柱」の意味・わかりやすい解説

尹東柱
いんとうちゅう
Yun Tongju

[生]1917.12.30. 満州,北間島明東
[没]1945.2.16. 福岡
朝鮮の詩人。幼名,海煥。延禧専門学校を経て渡日,同志社大学英文科在学中,独立運動を理由に日本警察に逮捕され,福岡刑務所で獄死。解放後の 1948年,文友の手によって遺稿詩集『空と風と星と詩』が刊行された。作品は,孤高のうちに激しい抵抗意識をみせる一方,自己犠牲的人間愛に満ちた清純な抒情詩がほとんどである。植民地知識人の気高く繊細な自意識を最も清く形象化した詩人であり,40年代前期,すなわち日本の極端な弾圧のもとで,一切の文学活動が許されなかった朝鮮文学の空白期を飾る珠玉のような存在である。代表作は『星かぞえる夜』『序詩』『十字架』『自画像』など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「尹東柱」の意味・わかりやすい解説

尹東柱
いんとうちゅう / ユンドンジュ
(1917―1945)

朝鮮の詩人。旧満州で牧師を祖父として育ち、1935年平壌の中学に移った。のちソウルの延禧専門学校(現延世大学)に学び、41年日本に留学。同志社大学在学中「思想不穏、微弱だが西欧思想に感染」のかどで逮捕され、福岡刑務所で獄死した。遺稿の多くは解放後発刊された『空と風と星と詩』(1948)に収録されている。同詩集の『序詩』の「死ぬ日まで空を仰ぎ/一点の恥ずかしさ無きことを/葉末におこる風にも/わたしは心傷ついた/あらゆる死にゆくものを愛さねば/そしてわたしに与えられた道を/歩まねば」という一節は、そのまま、東柱の生き方を示したものでもあった。

[大村益夫]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「尹東柱」の解説

尹東柱 ユン-ドンジュ

1917-1945 朝鮮の詩人。
1917年12月30日中国北間島(現吉林省)生まれ。ソウルの延禧専門学校卒業後,昭和17年日本に留学,立大から同志社大英文科に編入。18年朝鮮独立運動にかかわったとして逮捕され,昭和20年2月16日福岡刑務所で獄死した。29歳。中学時代から詩をかき,遺稿詩集に「空と風と星と詩」。

尹東柱 いん-とうちゅう

ユン-ドンジュ

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百科事典マイペディア 「尹東柱」の意味・わかりやすい解説

尹東柱【いんとうちゅう】

朝鮮の詩人。1941年,延禧専門学校(現在の延世大学)をくり上げ卒業のあと,翌年立教大学をへて同志社大学に進学。1943年に思想犯の嫌疑で逮捕,2年の刑で福岡刑務所で服役中に獄死。1948年,生前に準備した詩集《空と風と星と詩》が遺稿として発行される。《序詩》《星を数える夜》《たやすく書かれる詩》《懺悔(ざんげ)録》などがよく知られている。

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