官戸(読み)カンコ

デジタル大辞泉 「官戸」の意味・読み・例文・類語

かん‐こ〔クワン‐〕【官戸】

唐代の中国で、官に所属していた賤民の一。
宋代以降の中国で、科挙に及第して官僚となった者の家。
日本の律令制で、官奴司かんぬしに所属し、雑役に駆使された賤民。良民と同様に口分田受けたが、収穫はすべて官に納めて衣食を支給された。官人・良民で罪を犯して没官もっかんされた者、家人けにん奴婢ぬひが主家の人と通じて生まれた子、官奴婢で66歳以上の者などが含まれる。

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精選版 日本国語大辞典 「官戸」の意味・読み・例文・類語

かん‐こ クヮン‥【官戸】

〘名〙
① 中国、唐代、官に所属した賤民の一つ。官奴婢から解放されたもので、年に三回、一か月ずつ労役に服し、良民の半分にあたる四〇畝の区分田を支給された。番戸。公廨戸(こうかいこ)
② 中国、宋代以降、科挙に及第して官僚となった家。⇔形勢戸
③ 令制の賤民の一つ。官司に配属されて雑役に駆使された。一戸を構えることができる点で奴婢よりも身分的差別が緩やかであり、奴婢が良民となるには一度官戸に編入される定めであった。良民の没落したもの、六六歳以上あるいは廃疾の奴婢、家人・奴婢と主人などの間の子などがこれとされた。
※続日本紀‐慶雲四年(707)五月癸亥「刀良等被唐兵虜没作官戸」 〔令集解(711)〕

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改訂新版 世界大百科事典 「官戸」の意味・わかりやすい解説

官戸 (かんこ)

中国,前近代の身分呼称。唐代では官庁に隷属する官賤民の一種。官賤民中で太常音声人および雑戸の下,官奴婢の上に位置づけられる。司農寺等の官庁に籍があり,年間三番の交代制で1ヵ月ずつ勤務するたてまえであった。官戸中技能をそなえ少府・太常寺に上番するものを工戸・楽戸(工楽)と呼んで特別扱いとした。良民の半額に当たる口分田40畝支給の規定があり,婚姻は同一身分間でのみ認められた。長年勤務すると一段解放されて雑戸となり,また老年になると良民に解放される場合もあった。

 宋代以降は官吏やその親属の家を官戸と呼び,普通の庶民と区別することが一般的となった。唐代後半から在地の地主や有力者が行政事務の末端を引き受け重要な役割をになうようになり,形勢戸と呼ばれ官戸と併せて官戸形勢戸あるいは形勢官戸として地域社会における支配勢力となった。その範囲は現任の文武官をはじめ,徴税や官物輸送その他の職役を負担する戸や胥吏(しより)にまで及び,彼らは5段階の戸等制で1,2等の上等戸であった。官戸はだいたい徭役を免除され,両税等の課税についても一定限度内で優免を得る場合がみられた。北宋末の政和年間(1111-17)には限田法を行い,一品100頃(けい)~九品10頃以上の田地を所有する官戸に対して額外所有分に応じて差役と科配を課すこととし,南宋になると官戸の免役の特権を制限する種々の施策がとられた。後の明・清代の郷紳は官戸形勢戸の後身にあたる。
執筆者:

律令制における五色の賤(陵戸,官戸,家人,官(公)奴婢,私奴婢)の一つ。宮内省被管の官奴司に官奴婢とともに配されて使役された。宮内省または官奴司が名籍を作り管理した。官戸は官奴婢よりは上位の身分であり,戸をなし,一戸全員が駆使されることはなく,官奴婢の年66歳以上および廃疾の者は官戸とされ,さらに官戸は76歳以上になると(反逆縁座は80歳以上)解放されて良民となる。また,官戸は同一身分との婚姻が定められ,謀反・大逆の罪を犯した者の父子で没官され戸をなすことが許された者,私鋳銭の従者などが官戸とされた。官奴婢と同じく,口分田が良民と同額班給され,休仮,服仮,産仮が与えられ,衣粮が給された。720年(養老4)に臨時に官戸11人が良民に,官奴婢10人が官戸にされたことがあるが740年(天平12)の〈浜名郡輸租帳〉では良民の戸を官戸と称しており,賤民としての官戸は8世紀前半のうち実態がなくなったと思われる。官戸の婦女と官婢の中から女医が採用される規定が医疾令にみえる。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「官戸」の意味・わかりやすい解説

官戸
かんこ

中国

中国で、賤民(せんみん)の一種をさす場合と、官僚の家をさす場合と2通りの意味がある。前者は唐代の官有賤民の一つで、唐代法上で官奴婢(ぬひ)が恩赦により、または60歳に達して官戸とされた。官奴婢が通年労役に服するのに対し、官戸の所属官庁への労働は年に計3回、3か月で、均田法においても、均田農民の2分の1の口分田が支給され、官奴婢よりは一級上の賤民であった。後者は、宋(そう)代で恩蔭(おんいん)(高官子弟が科挙によらず、親より数等低い官に任ぜられること)や進納(買官)による場合もあったが、その中心は科挙官僚で、数多くの官戸が科挙試を通して絶えず新たに誕生した。科挙は実力主義であったから、官戸は門閥化することはなかった。科挙官僚は、儒学の古典に通じ詩文に巧みな知識人で、士大夫として宋以後の支配階層を構成した。唐末以降の新興地主層を母体として形勢官戸ともよばれ、その多くは荘園を経営した。不輸不入の特権は与えられなかったが、諸種の付加税や地主層に重い負担であった職役(しょくえき)を免除された。地主層は官戸に土地を寄託して役を免れようとし、官戸はこの特権を利用して大土地所有を拡大したため、北宋(ほくそう)末になって限田法が実施され、官品の上下に従って、規定額以上の所有地に対しては免役を認めないことになり、南宋になるとさらに制限は強化された。北宋中期以降、華北にかわって江南出身の官僚が増加し、政権を担当するようになるが、これは江南経済の発展を背景としている。

[柳田節子]

日本

日本古代の律令(りつりょう)制における五色(ごしき)の賤(せん)(陵戸(りょうこ)、官戸、家人(けにん)、公奴婢(くぬひ)、私奴婢(しぬひ))の一つ。宮内省被管の官奴司(かんぬし)に公奴婢とともに配されて使役された。官戸は公奴婢より上位の身分で、戸をなし、一戸全員が駆使されることはなく、公奴婢の年66歳以上および廃疾の者は官戸とされ、さらに官戸は76歳以上になると解放されて良民となる。740年(天平12)の遠江(とおとうみ)国浜名郡輸租帳では良民を官戸と称しており、8世紀前半のうちに賤民としての官戸は実態がなくなった。

[石上英一]

『井上光貞他編『日本思想大系3 律令』(1976・岩波書店)』

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百科事典マイペディア 「官戸」の意味・わかりやすい解説

官戸【かんこ】

中国,日本の前近代の身分呼称。(1)中国,唐代の法律で奴隷または半奴隷身分の官庁所有の賤民。官有賤民には官奴婢・官戸・雑戸の区別があった。その官戸は均田法上,良民の半分の口分田を与えられた。(2)特に中国の宋代以後,官品を有する家。要するに官僚を出した家で,戸籍上区別され,徭役(ようえき)の免除などの特権を与えられた。科挙試験に合格して官僚となるものの多くは戸籍上で〈形勢版簿〉に載せられて特別扱いをされている地方の有力地主である形勢戸から出たから,官戸・形勢戸といわれた。のちの明・清代の郷紳はその後身にあたる。(3)日本古代の律令制でも中国にならって〈五色の賤〉(賤民)の一つとして官戸が置かれた。
→関連項目

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「官戸」の解説

官戸
かんこ

律令制における官有賤民。謀反(むへん)・大逆の犯罪者の父子や私鋳銭の従犯などで没官(もっかん)された者のうち,戸を構えた者が官戸とされた。官奴司(かんぬし)の管理のもと内廷官司で使役され,76歳(反逆縁坐による者は80歳)になると解放され良民に戻された。待遇は官奴婢とほぼ同じで,良民と同額の口分田(くぶんでん)が班給され,休暇・食料・衣服が与えられた。8世紀半ば以降,一般公民の戸も官戸と称される例がみえ,賤民としての官戸の実体はそれ以前に失われたらしい。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「官戸」の解説

官戸(かんこ)

旧中国の戸籍上の区分。官籍ともいう。宋代以降では,官僚を出した家のことをさし,租税以外の職役(徭役(ようえき))を免除されたり,刑法上の優遇措置を与えられた。宋代の官戸は,土地所有にもとづく富農など,在地の有力者の形勢戸(けいせいこ)と重なることが多い。明清代には郷紳(きょうしん)とも呼ばれた。ただし隋唐代までは,官庁の雑務に従事した官有の賤民をさしていた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「官戸」の意味・わかりやすい解説

官戸
かんこ

令制の官有の最下層の民の一つ。罪に座して良民から落ちたもの,家人 (けにん) ,奴婢と主家との間の子などをいう。身分は官奴婢より高く,一家を構え良民と同額の口分田をもったが,収穫物はすべて官納し,衣食などは官給された。

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旺文社世界史事典 三訂版 「官戸」の解説

官戸
かんこ

①唐代では,官庁付属の賤民のこと
②宋代以後では,官僚の家を官戸という
良人の下にあり,賤民の中でも,雑戸・官戸・奴婢 (ぬひ) の順であった。均田制においても,口分田は良人の半分の40畝を給された。
戸籍に記入された上,賦役の免除などの一代貴族的特権を受け,大きな勢力をもった。

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旺文社日本史事典 三訂版 「官戸」の解説

官戸
かんこ

律令制下,五色の賤の一つ
官庁の雑役に使役された。宮内省官奴司 (かんぬのつかさ) に属し,戸を構え,口分田が班給されたが,収穫米は官に納め,衣服が支給された。良民と奴婢 (ぬひ) との間の出生者,良民の犯罪者,66歳以上の官奴婢などから構成された。

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普及版 字通 「官戸」の読み・字形・画数・意味

【官戸】かんこ

官吏の家。

字通「官」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内の官戸の言及

【地主】より


[宋・元]
 11世紀前半,北宋中期のある文献では,一つの県で土地を所有している家は3000戸,その約3分の1の1000戸が地主の家であった。読書人として儒教的教養を修得し,科挙試験に応ずるのは多くの場合この地主の子弟であったが,合格して高官となる者を出し,官戸(かんこ),形勢戸(けいせいこ)と呼ばれる家は100戸から200戸,あるいはそれ以上であったという。本来地主の家は社会秩序のかなめとして国家から重視されていたが,同時に地方官府とその財政を支えるための多額の金銭的支出をともなう労役,すなわち徭役(ようえき)を国家から賦課されていた(役法)。…

【賤民】より

…奴婢はもともと家内奴隷であったが,政府によっても所有され,官奴婢と称した。その地位は私奴婢とほぼ同じであったが,別に部曲と同様のものもあり,官戸と呼ばれた。ところが,唐代中期から大土地所有制の内容が変化しはじめ,これに対応して部曲身分の解放が行われると,部曲の数は減少し,上級賤民としての部曲という用語は,10世紀末をもって,記録の上からも姿を消した。…

【奴婢】より

…男性を奴(やつこ),女性を婢(めやつこ)と称する。律令制以前には奴隷的な賤民を一括して奴婢と称したが,大宝令(戸令)では,私有奴婢は私奴婢と家人(けにん)(家族を成し家業を有し売買されない上級賤民)に,官有奴婢は官奴婢(公奴婢とも)と官戸(かんこ)(家人とほぼ同じ身分)に分化した。奴婢は所有者により資財と同じに物として扱われ,相続・贈与や売買・質入れの対象とされた。…

【律令制】より

…良賤間の通婚は禁ぜられ,その所生子は原則として賤とされる定めであった(良賤法)。養老令の規定では,賤民に陵戸(りようこ),官戸(かんこ),家人(けにん),官奴婢(ぬひ)(公奴婢),私奴婢の5種があり(五色の賤),それぞれ同一身分内部で婚姻しなければならないという当色婚の制度が定められていたが,このうち陵戸は大宝令では雑戸(ざつこ)の一種としてまだ賤とはされていなかった可能性が強い。雑戸は品部(しなべ)とともに前代の部民(べみん)の一部が律令制下になお再編・存続させられ,それぞれ特定の官司に隷属して特殊な労役に従事させられたもので,そのため身分上は良民でありながら,社会的に一般公民とは異なる卑賤な存在として意識された。…

※「官戸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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