外様大名
とざまだいみょう
江戸時代における大名類別の一つ。外様の呼称は、鎌倉時代以降武士の間に用いられ、譜代(ふだい)の関係なく臣礼をとる大名を外様衆と称した。江戸時代においては、旧族大名や織豊(しょくほう)大名で、関ヶ原の戦い以降、新しく徳川氏に帰属した大名をいう。前田氏(金沢藩)の102万石、島津氏(鹿児島藩)の72万石、伊達(だて)氏(仙台藩)の62万石など大大名が多い。そのため、幕府のもっとも警戒するところとなり、婚姻や賜姓によって懐柔する一方、参勤交代や普請(ふしん)の助役(すけやく)によって、その財力を消耗し、あるいは改易(かいえき)・転封(てんぽう)によって、取潰(とりつぶ)し、または辺境地帯に移した。外様大名の所領は一円知行(いちえんちぎょう)が多く、中期以降の藩政改革において、領内の産業統制に成功し、富国強兵と相まって明治維新の推進力となった。
[藤野 保]
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とざま‐だいみょう ‥ダイミャウ【外様大名】
〘名〙
※日吉社室町殿御社参記(1394)「御供奉〈
略〉外様大名四人 細川右京大夫頼元・畠山右兵衛佐基国・京極治部少輔高詮・六角備中守満高」
※禁令考‐前集・第四・巻三八・享保六年(1721)九月二六日「外様大名への
手本にも成候様にと」
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外様大名
とざまだいみょう
江戸時代,大名の家格
親藩・譜代大名に対し,もと家康の同僚で関ケ原の戦いののち臣従した大名をいう。前田・島津・伊達・毛利など大藩ではあっても辺境地帯に封ぜられ,幕府の要職からはずされ,冷遇・警戒された。幕末の討幕運動は島津・毛利などの西南雄藩からおこった。
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とざまだいみょう【外様大名】
江戸時代における大名類別の一つ。徳川氏は関ヶ原の戦による覇権確立以降,自己の一門,家臣のなかから多数の大名を取り立てたが,これを親藩,譜代大名とよんだのに対し,旧族大名や豊臣系の大名で,新しく徳川氏に服属した大名を外様大名と称した。なかには外様大名の子弟で譜代大名になったものもある。外様大名はかつて徳川氏と同輩で,前田氏102万石,島津氏72万石,伊達氏62万石など大大名が多く,幕府のもっとも警戒するところであった。
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世界大百科事典内の外様大名の言及
【改易】より
…当時改易とは,士分以上のものの籍を除いて,その知行,俸禄,家屋敷を没収することをいい,ほかに減封,転封,役儀召放などにも併用された。大名改易の第1の理由は軍事的理由によるもので,家康は関ヶ原の戦で徳川氏に反抗した外様大名88名を改易によって取りつぶし,ほかに5名の外様大名を減転した。両者を合わせると,没収総高は93名の632万4194石となる。…
【外様】より
…室町時代以後は大名の家格を示す呼称として用いられ,外様衆とは幕府と疎遠な関係にある大名の称号となった。江戸時代になると,親藩・譜代大名に対して外様大名があり,一般に関ヶ原の戦の後に徳川家に臣属した大名の呼称となった。【五味 克夫】。…
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