富国強兵
ふこくきょうへい
国内の経済発展を図り軍事力を強化しようとする主張または政策。一般的には民族国家成立期の後進諸国に現れる政策であるが、特殊的には幕末・維新期から明治期にかけての日本で、国家目標を示すことばとして用いられた。18世紀末以降、欧米列強の進出に対する危機意識は海防論、富国強兵論などの主張を生み出したが、これらは尊王攘夷(そんのうじょうい)論と結び付いて統一国家への志向を強めた。幕末の幕政・藩政の改革においても富国強兵をスローガンとして幕府、藩による商品流通への介入や軍事改革が行われたが、それが国家による政策として体系化されたのは維新以後である。国力のうえでも、法制・文化のうえでも欧米諸国に追い付くことが明治国家の目標とされたが、富国と強兵はその主要な柱であった。富国の内容は資本主義的な制度と近代技術を取り入れて諸産業を保護育成する殖産興業政策であり、強兵の内容は徴兵令と近代的軍事制度の採用によって陸海軍を建設強化することであった。いずれの面からも国民の主体的な活動や参加が必要であり、富国強兵には、おのずから文明開化や人民の自覚を促す啓蒙(けいもう)活動が伴った。
限られた政策の幅や、狭い国民経済の基盤のうえでは、富国と強兵のどちらを優先するかが問題であり、時期により立場によって重心が変動し、ときには対立の様相もみられた。1873年(明治6)に征韓論が敗れてから、約10年の間は、貿易不均衡による国力の減退が憂慮された時期だったので、輸出入関連産業を中心とする殖産興業政策が試みられ、富国に力点があったといえる。しかし、80年代に、朝鮮をめぐって清(しん)国との対立が深まり、一方、列強の東アジアでの帝国主義的活動が顕著になってくると、富国の基礎である国民生活を多少犠牲にしても軍事力を強化しようとする傾向が強くなった。このため、90年に始まる初期議会では、民党の掲げる民力休養の要求と政府の強兵策が衝突することになった。日清戦争以後、日本の資本主義経済が成立し、国富も拡大したが、一方、先進国を仮想敵とする陸海軍の増強のテンポは、はるかにこれを上回り、富国と強兵のバランスはほとんど失われた。20世紀に入ると、日本は国民経済の基盤の弱さを、大陸に対する軍事的・政治的優位でカバーするという方向に発展し、その意味では、富国と強兵とは対立する概念としての意義を失った。
[永井秀夫]
『井上清著『新版日本の軍国主義』Ⅲ(1975・現代評論社)』▽『石塚裕道著『日本資本主義成立史研究』(1973・吉川弘文館)』▽『永井秀夫「明治国家の国是をめぐる問題」(『北海道大学文学部紀要』16の1所収・1968)』
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富国強兵
ふこくきょうへい
欧米列強の東アジアへの進出という国際環境,すなわち「万国対峙」という状況のなかで急速な資本主義化と近代的軍事力創設を目指した明治政府のスローガン。殖産興業による資本主義化を「富国」ととらえ,それを基礎とする近代的軍事力の創設を国家の根本政策とみなしたことをさす。富国強兵という言葉は,幕末の幕政・藩政改革においてすでに現れているが,特に明治政府が徴兵令,地租改正,殖産興業などの推進過程で積極的に取上げた。またこのスローガンは単に政府側からの呼びかけにとどまらず,国民的達成課題の集約的表現として機能した。しかしこの目標を達成するための方策と順序にはさまざまな考え方があり,攘夷と開国,復古と開化,外征と内治などの対立もその現れであった。日清・日露戦争の勝利と不平等条約改正の達成は富国強兵政策の第一段階を画するものであったが,日清・日露の戦後経営のなかでも依然として国富,民力の充実が叫ばれ,第1次世界大戦後には経済戦という考え方が急速に浸透していくことになった。大陸への侵略政策も富国強兵路線の延長線上に位置づけることができる。
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富国強兵
ふこくきょうへい
幕末・明治初期における急速な資本主義化と軍備の充実をめざすスローガン
同時に唱えられた「殖産興業」「文明開化」のスローガンも究極の目標は「富国強兵」にあった。徴兵令・地租改正・殖産興業政策により,資本主義を育成し国を富ませ,これを基礎として軍備を充実させ,欧米列強と対抗できる国力を育てようとした。この政策は大陸進出への出発点ともなった。
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富国強兵
国の財力を富ませ、兵力を強めること。
[使用例] 明治維新以来、日本の教育の現実大目的になっていたものは、一にかかって富国強兵の国是をたたきこむことにあったと思っております[中野好夫*怒りの花束|1948]
[解説] 明治期の日本の国是として掲げられたスローガン。
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ふこく‐きょうへい ‥キャウヘイ【富国強兵】
※経済録(1729)五「富国強兵を覇者の術といふは、後世の腐儒の妄説也」 〔呉志‐陸遜伝〕
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デジタル大辞泉
「富国強兵」の意味・読み・例文・類語
ふこく‐きょうへい〔‐キヤウヘイ〕【富国強兵】
国を富ませ、軍事力を大きくして、国の勢力を強めること。「富国強兵策」
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ふこくきょうへい【富国強兵】
明治政府の掲げた国家目標。明治維新は尊王攘夷運動を基盤に行われたが,新政府は開国和親を布告し,万国公法の遵守を表明した。それと同時に万国竝立(へいりゆう),万国対峙(たいじ)を掲げ,欧米列強に伍して国家的自立と強国化をめざした。そのためにはみずからを未開明として西洋文明の積極的導入(文明開化)をはかるとともに,経済力と軍事力の強大化を必要とした。このことを国家目標として端的に示したのが,〈富国強兵〉のスローガンである。
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世界大百科事典内の富国強兵の言及
【避妊】より
…近世に入っても,医師はもっぱら妊娠や出産を扱い,避妊法の研究は邪道とされ,一方,避妊法の指導や普及には,性器の構造や性交の具体的説明を必要とすることから,これらはわいせつで不道徳とみなされ,避妊法の解説書や避妊器具の宣伝,販売は法律で禁止された。さらに,19世紀から20世紀にかけては,先進諸国は帝国主義時代を迎え,各国で〈富国強兵〉策をとったため,出産が奨励され,やはり避妊は禁止された。日本でも同様で,コンドームのみが性病予防器具として販売された。…
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