名帳(読み)メイチョウ

デジタル大辞泉 「名帳」の意味・読み・例文・類語

めい‐ちょう〔‐チヤウ〕【名帳】

氏名を記す帳簿。名簿。
律令制で、調雑徭ぞうようなどの人頭税を課すために作製した帳簿。戸主から官に出した手実しゅじつと、国司中央に報告した大計帳とがある。みょうちょう。

みょう‐ちょう〔ミヤウチヤウ〕【名帳】

仏寺で、信者の名簿。檀家帳。また、過去帳のこと。
融通念仏宗で、大念仏に加入した者の名を記した帳簿。

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精選版 日本国語大辞典 「名帳」の意味・読み・例文・類語

めい‐ちょう ‥チャウ【名帳】

〘名〙
① 令制で、官人の名簿。官人の姓名を書き連ねた帳簿。文官は式部省が、武官は兵部省が作製・保管する。おのおの身分ごとに類別された帳簿が作られた。みょうちょう。
令義解(718)職員「卿一人。〈掌内外文官名帳〈略〉事〉」
② 令制で、四度(よど)公文(くもん)の一つとして国司から中央政府に提出された大計帳(枝文)の付属帳簿のうち、姓名を書き連ねた種類の帳簿。隠首(おんしゅ)帳・廃疾帳などの類。みょうちょう。
※延喜式(927)二五「凡勘公文、附入之物、得多数〈仮令至大帳、隠首括出損疾等丁之類、或大帳多数、名帳少数、則依大帳以為定数、或大帳少数、名帳多数、猶依名帳勘付之類也〉」
③ ひろく、姓名を書き連ねた帳簿。名簿。交名(きょうみょう)。みょうちょう。
続日本紀‐和銅五年(712)四月丁巳「詔、先是、郡司主政主帳者、国司便任、申送名帳、随而処分」 〔後漢書注‐呉漢伝〕

みょう‐ちょう ミャウチャウ【名帳】

〘名〙
② 名を列記した帳簿。めいちょう。
※源平盛衰記(14C前)九「神明の数を注たりけるには、〈略〉其名帳(ミャウチャウ)の中に」
③ その宗旨信徒の名を記した名簿。また、金銭・物品を喜捨した人の名を記した名簿。
※義経記(室町中か)七「思ひ思ひに勧進に入、惣じてみゃうちゃうにつく百五十人」
寺院で、檀家、信徒の死者の法名・俗名・死亡の年月日を記した帳簿。過去帳。冥帳
※義経記(室町中か)八「討死したる者ども〈略〉死後なればみゃうちゃうに入れて弔へと仰せくださるる」
⑤ 融通念仏宗で、大念仏の仲間にはいった者の名前を書いた帳面。また、時宗も一遍の時、布教のためこれを用いたが、真宗ではこの風が行なわれたのを邪義とした。
古今著聞集(1254)二「早旦に壮年の僧の青衣きたる出来て、念仏帳に入るべき由を自称して、名帳をみて忽にかくれぬ」

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改訂新版 世界大百科事典 「名帳」の意味・わかりやすい解説

名帳 (みょうちょう)

古代・中世の人名を書き連ねた文書。令制においては官人名簿をさし,文官は式部省,武官は兵部省,女王・命婦(みようぶ)・女官は中務省(縫殿寮)においてそれぞれ作成・保管された。官人の任授に際しては以上の諸司が個人ごとに〈簿〉を作成することになっているが,名帳はこの〈簿〉を基に作られたと考えられる。しかし古代においては官人名簿のみならず一般に人名を書き連ねた文書を名帳と呼んでおり,大計帳(大帳)作成時に作られた死亡・篤廃等の者ごとにそれぞれにまとめたものを総称して名帳と呼んだり,京畿内百姓のうち外国に居住するようになった者の一覧表を指して名帳と称している例が見られる。また712年(和銅5)以前においては,郡司の三・四等官は国司が任じ,朝廷にその名帳を送ることになっていた。しかし以上のごとき名帳はそのいずれも実例が伝存せず,はたして名帳と称することによって特定される一定の文書様式が存したか否かは結論できない。かかる意味での名帳は,中世には一般に交名(きようみよう)と称されている。公家新制において諸国神人(じにん)の交名を朝廷に提出することが命じられているのは,古代に朝廷へ提出した文書としての名帳の性格に相通ずるものがある。一方,令制においては僧尼の名籍(みようじやく)(一般人民の戸籍に対応)の官への提出が規定されていたが,中世においては朝廷への提出とは関係なく各宗門,寺院ごとに帰依した者の人名を記した名簿を作り保管することがあり,これを称して名帳と呼んでいる。この名帳が布教に際して用いられる場合もあったが,真宗においては,名帳に載せることをもって往生浄土の指南とするのは正しくないとしている。古代の名帳が中世には一般に交名と呼ばれてくるのに対し,名帳の語はかかる寺院等において作成するものを指して多く用いられたようで,とくに戦国期には《日葡辞書》が〈死者の名前を書き入れた名表〉(冥帳)と規定するごとく,その用例は限定されていく傾向にあった。
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世界大百科事典(旧版)内の名帳の言及

【仏光寺】より

…ここを拠点に了源は布教に尽力し信者の組織化につとめ,当時農民の地縁的自治組織であった惣(そう)を真宗門徒の組織に導入して念仏者の惣を結成し,衆議に基づく教団の運営を図った。1335年(建武2)了源は伊賀国七里峠で賊により殺害されたため,その子源鸞,妻了明尼があとを継ぎ,了源が用いた光明本尊および本派独自の名帳(みようちよう)・絵系図を駆使して布教につとめ,近畿,中国,四国の各地に広く門徒を得た。名帳は系譜の形で法脈師弟の関係を示したものであり,絵系図は名帳の人名に肖像画を加えたものである。…

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