姓名(読み)せいめい

精選版 日本国語大辞典 「姓名」の意味・読み・例文・類語

せい‐めい【姓名】

〘名〙 苗字(みょうじ)と名前。氏名。しょうみょう。
※平家(13C前)一「禁門を出入すといへども姓名(セイメイ)〈高良本ルビ〉を尋らるるに及ばず」
※読本・椿説弓張月(1807‐11)拾遺「あれは何ものぞ。その姓名(セイメイ)を問かし」 〔戦国策‐趙策・襄子〕

かばね‐な【姓名】

〘名〙 =かばね(姓)
※続日本紀‐神亀元年(724)二月甲午「又官(つかさ)官に仕へ奉る韓人部一人二人に、其の負ひて仕へ奉るべき姓名(かばねな)賜ふ」

しょう‐みょう シャウミャウ【姓名】

〘名〙 みょうじと名前。氏名。また、その名で代々伝わる家系。せいめい
※観智院本三宝絵(984)中「願をおこせる人あり。姓名はいまだつまびらかならず」

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デジタル大辞泉 「姓名」の意味・読み・例文・類語

せい‐めい【姓名】

名字と名前。氏名。
[類語]氏名名前人名姓氏せい名字うじファーストネームフルネーム芳名尊名高名こうめい貴名

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「姓名」の意味・わかりやすい解説

姓名
せいめい

人間が個人的にもつ名称。氏名や人名とほぼ同義に用いられる。そのあり方は、国や民族、また背景となる社会や文化によって複雑多様である。日本では、姓(氏)と名の組合せから成り立っている。氏(「うじ」または「し」と読む)は氏族の名称で、勢力の大小により大氏・小氏の別があり、姓は上代はカバネといい、世襲官職の名称で、氏族の家格を示す称号であったが、現在は家の名称として用い、名は個人の名称を表す。普通、それぞれに由来または意味・理由などがあって、他人と区別するための識別性や個人的な人格性などをもち、法的に戸籍に登記される正式名(実名・本名)のほかに自称・他称の別名を称することもある。自称には実名のほか字(あざな)、通称(仮名(けみょう)・呼び名)、幼名、雅号、芸名、筆名(ペンネーム)、卑称など、他称には敬称(尊称・美称・避称)、愛称、あだ名、しこ名、および死後の法号(法名・戒名)や諱(いみな)・諡(おくりな)などがあり、このほか、恩賞として与えられる賜姓・賜名や、本人であることを秘匿するための匿名(変名・偽名)あるいは戯名なども用いられる。一般に下級者が上級者をよぶ場合には実名を敬避するのが普通で、この傾向は世界的にみられるが、もともとは未開社会において絶対者である首長への接触を冒涜(ぼうとく)と考え、実体と名称を同一視して、その名を呼称するのをタブーとしたことからおこったものといわれ、日本でも天皇の呼称などにその例がみられる。

[大藤時彦]

日本

現代では姓名と氏名とはほぼ同意義に用いられているが、古代においては異なっていた。姓という字はカバネという語にあてられていた。これは新羅(しらぎ)王朝の骨品制度によったとの説があるが明白ではない。姓(かばね)は氏族の家格を示す称号で、臣(おみ)、連(むらじ)、県主(あがたぬし)、国造(くにのみやつこ)など朝臣(ちょうしん)に賜ったものである。この姓制度は時代を経るにつれて乱雑になってきたので、天武(てんむ)天皇13年(684)の冬10月、詔して諸氏の族姓を改めて八色の姓(やくさのかばね)をつくって天下の万(よろず)の姓を統一せしめられた。すなわち、一に真人(まひと)、二に朝臣(あそみ)、三に宿禰(すくね)、四に忌寸(いみき)、五に道師(みちのし)、六に臣、七に連、八に稲置(いなぎ)とした。現代では姓氏というが、古代では氏姓といって藤原朝臣(ふじわらのあそん)のごとく称した。姓は平安時代の中ごろになるとその社会的意義をしだいに失うようになった。それは姓をあまり広範囲に授け、本家から分家、他へ嫁していった者までも姓を称するに至ったからである。

 氏は祖先を同じくする血族集団といわれ、その人々は同一の氏神を祀(まつ)っている。古代の社会はこの意味で氏族社会であったといわれる。氏にはもちろん大小があり、大氏、小氏があり、小氏には大氏に合併されるものもあった。したがって同じ氏族であってもかならずしも血族とはいえないものもあった。また職業や地域を結縁とした氏族団体もあったかもしれない。古代から現代までの氏の名称をどのようにしてつけたかといえば、地名によったものがきわめて多い。わが国の氏名(うじめい)については源平藤橘(げんぺいとうきつ)の四つがあげられるが、そのなかでも藤原氏がもっともよく知られ、勢力をもっていた。その藤原氏の祖先は藤原鎌足(かまたり)であるが、藤原という氏の名も大和(やまと)(奈良県)の高市(たけち)郡藤原の地名によったとされている。

 名字ということばは、苗字とも書かれ、氏(うじ)と姓(かばね)を総合した称であるが、個人の実名まで含めることもある。これについて『貞丈(ていじょう)雑記』には苗氏と書かれているが、次のごとく記されている。すなわち、「苗氏と云(いう)はうぢ也(なり)、たとへば伊勢(いせ)、細川、畠山(はたけやま)などの類也、苗氏といふ子細は稲麦などの生(は)へ初(はじめ)の時を苗と云、其如(そのごと)く先祖は其家々の苗の如し、其先祖の名乗り始たる氏なる故苗氏と云也、又名字と云は別の義也、是(これ)は氏の事ばかりに限らずすべて人の氏も実名もおしこめて云詞(ことば)也、旧記の内には苗氏の事を名字と書たるもあり、勘弁して心得ざれば其書の義理本意違ふ也」とある。また頭書として「苗氏と云字古代の書には見えず、中古以来の事也、先祖の子孫を苗裔(びょうえい)と云によりて苗氏と云也」とある。名字と苗字は混用されているが、名字は土地と結び付いて発生しているのに対し、苗字は祖先の氏(うじ)・素姓(すじょう)を表すことばといえよう。

 名字は地名から発したものが多いが、一族が他地方に移住したときには、その名字をもって移住するものと、移住地において新しい名字を名のるものとの二通りがある。九州には中世に関東から移住した大友、奈須(なす)氏などがある。しかし甲州の武田氏などの一族で関東に移住した例をみると、本家筋の者は武田と名のり、庶流のものは移住地で新しい名字を用いた。

 家の名といえば、農村などでは同じ苗字の家が何軒もあり、しかもそれらはかならずしも一族のものではない。よく経験することだが、多くの村では苗字だけでは特定の家をつきとめることができない。家ごとの呼び名として屋号といわれるものがあり、これを知らなければ目的の家を訪ねることができない。屋号は家々の位置している場所によって示されている。カワバタとかミチシタとかいわれ、同屋号の家はホンケとかベッケとか区別していう。屋号も苗字もつけ方は同様であるが、屋号は一軒ごとに別々によばれているだけである。また、職業によってよくみられる苗字がある。神職には鈴木、小野が多いとされている。特殊なものに木地(きじ)職の小椋(おぐら)または小倉がある。これは全国各地の山村にみられる。

 わが国の姓氏についてもう一つ記すべきことは、帰化人といわれる外来人が日本に居住したことである。このなかでもっともよく知られているのは秦(はた)氏であり、この一族から太秦(うずまさ)、大蔵、惟宗(これむね)、宗(そう)などの諸氏が出ている。このほか漢(あや)氏があり、狛(こま)氏、高麗(こま)氏がある。高麗国の遺臣が来住したという、埼玉県の高麗郷(ごう)はよく知られている。そのほか犬養(いぬかい)氏、鵜飼(うがい)氏などもその職業をもって渡来したものであるといわれている。

 日本における姓氏についての大きな変革は明治になって実施された。それまでは普通の農民などは苗字をもつことが許されなかった。ただし村で特別の功績のあった大百姓などが藩主の許しを得て苗字帯刀を認められた。これに対して明治の新政府は1870年(明治3)9月19日に平民の苗字を差し許すとの新法を発布した。しかるに長年苗字のないことに慣れた百姓町人は新しく苗字をつける熱心さを示さなかった。そこで政府は困って1875年2月13日に太政官(だじょうかん)令にて「自今必ず苗字を相唱う可(べ)く、尤(もっと)も祖先以来苗字不分明の向は新たに苗字を設く可し」と強制的に苗字を必唱せしめた。ところが平民たちは何とつけたらよいかと困って村長をはじめとする吏員たちに相談したので、役所でも閉口して煎茶(せんちゃ)の品銘をとってつけたり、愛媛県のある漁村では魚の名をそれぞれにつけたという珍談を生じた。また有名な公家(くげ)や武家の苗字をつけてお叱(しか)りを受けやしないかと心配する者もあった。

 人の実名は名乗りともいわれたもので、これは普通は口にせず、八幡太郎(はちまんたろう)とか源九郎(げんくろう)といった通称や字(あざな)によってよばれていた。字とは、中国の風習に倣ってつけた、実名以外の名である。この風は平安時代末期から鎌倉時代にかけて固定されるようになり、とくに武家の間に固定されるようになった。実名は同輩以下の者が勝手によぶべきものでなく、貴人が死去したとき、その生前の実名を諱(いみな)と称した。また死後に贈られる名は諡(おくりな)といい、同義に解するのは誤りである。

 わが国における姓氏の分布を調べてみると、鈴木、斎藤、井上、小林などのように全国各地にあるものと、比較的一地方に限定されているもの、たとえば、東北地方の金(こん)、今(こん)、金野(こんの)、今野(こんの)、紺野のようなものとがある。家名を同じくした者がかならずしも同一血筋の者とは限らないが、南北朝時代から同苗の者たちが一団となって同名衆という集団を結成し、氏神のもとに新地を開墾して共同生活を形成したことがあった。この例をみても、同苗ということはなんとなく親しみやすく結合を容易にすることがある。今日農村におけるマキとかイツケとかいう同族の間柄もこれと類似した結合といえる。

 わが国の個人名には時代による特色がみられる。武家時代には実名に通し字というものがあった。源氏には義、平氏には盛、徳川氏の家などである。かかるやり方は一門のつながりを強固にする意義があったと思われる。現代人の名前にもこの風はみられる。また、わが国における人の名前の特色の一つに輩行(はいこう)、つまり出生順による命名、すなわち太郎、次郎、三郎というのがある。なかには10以上に及ぶものもある。また親子の関係から新太郎、小太郎、孫太郎、彦太郎という例もある。ただしこの出生順式の命名には現実とは関係のないこともあった。曽我(そが)兄弟のように兄が十郎で弟が五郎という例もある。わが国の女性の実名については、歴史をさかのぼるほど不明なものが多い。古くは自分の夫となる者以外には実名を知らせなかったという。平安時代の紫式部清少納言(せいしょうなごん)にしてもいろいろの説があるが、確定した説はないようである。女性の実名は近世になるまで不明なものが多い。

 現在みられる個人の名前を調べてみると、古代以来の律令(りつりょう)制にある官職名を用いたものが相当にあることがわかる。それが各地の親方百姓など旧家の主人の名にある例が多い。右衛門(えもん)、左衛門(ざえもん)、兵衛(ひょうえ)、助(すけ)、介(すけ)、輔(すけ)、亮(すけ)、進などかなりの例証がある。明治の名力士として知られた常陸山(ひたちやま)谷右衛門、太刀山峰右衛門(たちやまみねえもん)のようにしこ名となっているものもある。左右の衛門は皇居諸門の警備にあたった。兵衛は宮中の警護巡察などの役に任じ武家のものが多くこの任にあたった。兵衛は後世人名に用いて平(へい)となり、たとえば権兵衛(ごんべえ)を権平と書くようになった。助、介などはいずれもスケといい、四等官制の次官にあたり、文字は官庁によってさまざまな字を用いたという。進というのは中宮職、大膳職(だいぜんしき)の三等官のことであるが、これを個人名として何々進と称する例がみかけられた。本来これら官職名は朝廷の許しを必要としたが、中世の武士階級からこれを称することが始まり、ついには普通名詞として一般人が用いるようになったのである。

[大藤時彦]

現代における姓名

実名は、戸籍法により出生後14日以内に市区町村役場に届けることになっており、これには片仮名または平仮名(変体仮名を除く)、常用漢字2136字および人名用漢字862字のなかから選ぶように制定されている。ただし、漢字の読み方については規定がなく、どう読むかは、命名者もしくは個人の自由である。また、姓名の変更には家庭裁判所の許可が必要で、姓は珍奇・難解または外国人と誤りやすい場合などに限り、名は、近辺に同姓同名があって混乱を生ずる場合、難読・珍奇な場合、筆名・芸名などが本名より知られている場合、事業上の関係などで襲名の必要のある場合などで、縁起や姓名判断などの理由では許可されない。

[大藤時彦]

中国

中国の姓名には大きく分けて、姓、氏、名、字(あざな)の別がある。また、正式の名のほかに乳名(にゅうめい)、童名、雅号、別号などがつけられることもある。中国の姓の起源は伏羲(ふくぎ)、黄帝などの登場する神話時代にさかのぼると伝えられるが、実際の歴史的起源がいつごろなのかはっきりわかっていない。氏というのは元来、封地や官名、居住地の名称、または職名などに由来するものであった。姓と氏は古くは別々のものであったらしいが、秦(しん)・漢時代ごろまでには混同されて用いられるようになり、やがて区別がなくなった。この後の時代になると、異民族が漢民族に同化した場合を除けば新しい姓氏がつくりだされることはほとんどなくなり、姓氏の数は増えなくなった。このようなことから、日本に比べ中国では姓氏の種類は少ないのである。

 一方、名は、個人に与えられるものであるが、伝統的には中国では、子供は実名をもらう前に乳名をもらうことがしばしばあった。乳名は、長命を祈願するものであったり、家系のなかでの位置づけがわかるようなものや、子供の体格、十二支などからとったりした。また、字は、元服して成人になるとつけられる名前で、成人後はほとんど字でよばれた。文人は雅号なども用いた。諡(おくりな)は、人が死んでからつける名である。死者の生前の名は口にすることを忌む。これを諱(いみな)という。

 中国では、代々同じ文字を名前の一文字として受け継ぐことはないし、親と同じ名を子供につけることもないが、兄弟は、名前のうちの一文字を同じにしたり、偏を同じにしたりすることによって、世代が同じであることを示す場合がある。

[清水 純]

西洋

西洋ではハンガリーを除いて普通、名を先に、姓を後に書く。ただし公文書などでは姓・名の順に書く。ローマ時代はガイウス・ユリウス・カエサル(シーザー)のように、名・氏族名・家名の順に3種を用いた。その後、名だけになり、8、9世紀に北イタリアでまた姓が使われだし、近隣諸国に影響を与えた。南ドイツの貴族は10、11世紀に使いだし、13世紀にはそれが市民に及んだ。シュミット(鍛冶(かじ)屋)、シューマン(靴屋)などの職業名は、当時の職人社会を反映している。出身地、現住所、地形を示す姓も、名をすこし変えてつくった姓もある。15、16世紀からはクライン(小さい)、フレーリヒ(陽気な)など、身体、性格の特徴が姓になった。マイクランツ(5月の花環(はなわ))のように習俗からきた姓もある。

 姓の普及史はほかの国でもほぼ同じであって、イギリスでは12世紀に始まり、フランスでも中世貴族→市民→使用人と広がった。姓が徹底するのは19世紀からである。フランスでは1804年のナポレオン法典が姓の保持を強制した。結婚すると妻は夫の姓になるが、最近は夫婦の姓を並記する場合もある。親は生まれた子の幸福を願って命名する。名の神秘な力が消えないように、洗礼までそれを口に出さない親もいた。名は英語でクリスチャンネーム(洗礼名)ともいうが、命名と洗礼が結び付くのは中世である。人々は初め『旧約聖書』から、12、13世紀からは『新約聖書』から名をとるようになった。しかしキリスト教の名が増えるのは、トリエントの宗教会議(1545~1563)以後である。15世紀までの統計では、大司教たち自身、ほとんどが民族固有の名であった。プロテスタントではカトリックほどには聖人の名をつけない。またカトリックではアントン、プロテスタントではグスタフと好む名も違う。

 名には、地方に偏る名もあり、語尾や語形も出身地を示す。時代による流行もある。ルネサンスのころには人文主義者がギリシア語・ラテン語の名をつけ、宗教改革の時代には敬虔(けいけん)な名がはやった。時代が下るにつれて聖人の名が減り、かわって尊敬する芸術家、有名な女優などにあやかる名がつけられるようになった。語源を意識せずに響きのよさで選ばれることもある。ジョン・フィッツジェラルド・ケネディの中間名がFとなるように、名は簡略化の傾向が強く、本名が短縮形、愛称形であることもある。

[飯豊道男]

『太田亮著『姓氏家系大辞典』全3巻(1981・角川書店)』『渡辺三男著『日本の苗字』(1964・毎日新聞社)』『佐久間英著『日本の名字』(1968・谷川商事株式会社)』『豊田武著『苗字の歴史』(中公新書)』『前之園亮一著『研究史古代の姓』(1976・吉川弘文館)』『丹羽基二著『姓氏』(1987・秋田書店)』『丹羽基二著『姓氏の語源』(1981・角川書店)』『丹羽基二・日本ユニバック株式会社共編『日本姓氏大辞典』全3巻(1985・角川書店)』『島村修治著『外国人の姓名』(1980・ぎょうせい)』『木村正史著『英米人の姓名』(1980・弓書房)』『千野栄一著『人名学と言語学』(『言語学のたのしみ』所収・1980・大修館書店)』

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普及版 字通 「姓名」の読み・字形・画数・意味

【姓名】せいめい

氏名。〔戦国策、斉六〕齊の閔王(びんわう)のふや、其の子法、姓名を變じて(きよ)の太の家の庸夫(傭夫)と爲る。太(けう)の女、法貌を奇とし、以て常人に非ずと爲し、れんで常に竊(ひそ)かに之れに衣せしめ、與(とも)に私す。

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改訂新版 世界大百科事典 「姓名」の意味・わかりやすい解説

姓名 (せいめい)

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世界大百科事典(旧版)内の姓名の言及

【氏名】より

…特定個人の同一性を社会的に確定する機能をもった,ひとりひとりに付される呼称で,氏(うじ)と名(な)からなる。〈姓名〉〈名字(苗字)と名前〉〈名前〉などの言い方もある。個人の〈なまえ〉とされる全体(フルネームfull name)は,国により民族により異なっており,名と氏(姓)の組合せによるもの,氏という概念を伴わずに名と父称(母称)の組合せによるもの(アイスランド),あるいは名だけ(ミャンマー,インドネシアの庶民階級など),というところなどがある。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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