融通念仏宗(読み)ゆうずうねんぶつしゅう

精選版 日本国語大辞典 「融通念仏宗」の意味・読み・例文・類語

ゆうずうねんぶつ‐しゅう ユウヅウ‥【融通念仏宗】

〘名〙 仏語。日本十三宗の一つ。別称大念仏宗。永久五年(一一一七)良忍が開いた浄土教一派華厳経法華経を正依(直接のよりどころ)、無量寿経・観無量寿経・阿彌陀経を傍依(間接の副次的なよりどころ)とし、彌陀の直授による教えに基づいて、念仏はすべてのものにとけあうとする考えに立ち、口称の念仏で浄土に生まれると説くもの。総本山は大阪市平野区平野上町の大念仏寺。融通宗。ゆずうねんぶつしゅう。

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デジタル大辞泉 「融通念仏宗」の意味・読み・例文・類語

ゆうずうねんぶつ‐しゅう〔ユウヅウネンブツ‐〕【融通念仏宗】

浄土教の宗派の一。平安時代の永久5年(1117)良忍によって始められ、華厳経法華経を第一、浄土三部経を第二のよりどころとする。一人往生すれば衆人往生し、念仏を唱えれば、自他ともに融通して等しく利益を成就すると説く。総本山は大阪市平野区の大念仏寺。大念仏宗

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改訂新版 世界大百科事典 「融通念仏宗」の意味・わかりやすい解説

融通念仏宗 (ゆうづうねんぶつしゅう)

良忍(1073-1132)を開祖とし,その念仏思想たる融通念仏を信奉する宗派。大念仏宗などともいう。良忍は12世紀の初頭に,自分の念仏の功徳はいっさいの人に融通し,他人の唱える念仏も融通して自己の功徳となり,念仏は無限の念仏となって往生がなしとげられるとの思想に達し,1117年(永久5)以後この融通念仏の法を各地に広め,摂津国住吉の修楽寺(のちの大念仏寺)を根本道場とした。融通念仏は集団による大念仏運動であり,宗派としての形態をもたずに,民間に普及した。宗派としての形を整えたのは江戸時代,大通融観(1649-1716)によってである。大通融観は1688年(元禄1)に将軍徳川綱吉より宗門復興の台命を受け,それより大念仏寺の香衣勅許奏上権を確立し,檀林清規を制定,《融通円門章》を著して教義を大成するなど,元禄年間(1688-1704)には一宗の体制を整えた。こうして,宗派としては大通融観を再興の祖とするが,南北朝時代の法明良尊(1279-1349)の存在を重視し,法明良尊が石清水(いわしみず)八幡宮の霊告により法灯・法器をうけ,大念仏寺を再興したことをもって,中興の祖とする。この2人と開祖良忍をあわせて,三祖と呼んでいる。1874年宗名を公称し,管長制をとった。現在,大念仏寺を総本山として,寺院358を擁している。《華厳経》《法華経》を正依の経典,浄土三部経を傍依の経典とする。本尊は良忍が阿弥陀仏から直授されたという十一尊天得如来。御回在はこの宗独自の行事であり,大念仏寺より毎年定期的に本尊の天得如来を末寺または檀家へ出張,巡回せしめ,布教にあわせ先祖回向,お祓,祈禱などを修する。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「融通念仏宗」の意味・わかりやすい解説

融通念仏宗
ゆうずうねんぶつしゅう

念仏思想を信奉する仏教の宗派。大念仏宗ともいう。開祖は良忍(りょうにん)(本源上人(しょうにん))(1072~1132)。12歳で比叡山(ひえいざん)に登り良賀の弟子となった良忍は、のち、大原に隠栖(いんせい)して真実の仏道に励み、1117年(永久5)夏、念仏三昧(ざんまい)中弥陀(みだ)の来迎(らいごう)を蒙(こうむ)り融通念仏の根本義を感得した。そのときの偈(げ)は、「一人一切人(いちにんいっさいじん)、一切人一人、一行一切行、一切行一行、是名他力往生(たりきおうじょう)。十界一念(じっかいいちねん)、融通念仏、億百万遍、功徳(くどく)円満」で、この教理をもって融通念仏宗の根本教旨とする。融通念仏の教えはきわめて庶民的で、一人の唱える念仏の功徳が一切人の功徳となり、一切人の唱える念仏の功徳がまた一人一人の功徳となって億百万遍の功徳が成就(じょうじゅ)するというのである。この良忍の融通念仏は日本各地に広く浸透していった。良忍滅後は一時中断したが、1321年(元亨1)法明房良尊が宗門を中興し大坂平野(ひらの)の大念仏寺を中心として大いに念仏を興隆した。室町・戦国時代を経て、1615年(元和1)大坂夏の陣の兵火に大念仏寺堂宇は全焼したが、1672年(寛文12)舜空(しゅんくう)により大堂は再建された。元禄(げんろく)年間(1688~1704)融観(ゆうかん)が出でて大念仏寺46世を継ぎ、宗門の規則を定め学寮を設け、『融通円門章』『融通念仏信解章(しんげしょう)』を著述し宗義を確立、宗門を再興した。かくて良忍、良尊、融観を三祖と称する。大阪市平野区平野上町の大念仏寺を総本山とする。

[清原實明]

『田代尚光著『融通念仏縁起之研究』(1977・名著出版)』『融通念仏宗教学研究所編『良忍上人の研究』(1981・百華苑)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「融通念仏宗」の意味・わかりやすい解説

融通念仏宗
ゆうずうねんぶつしゅう

日本仏教 13宗の一つ。融通大念仏宗,大念仏宗ともいう。宗祖は平安時代末期の良忍。当時の世情は相次ぐ戦乱によってきわめて不安定であったので,人々は心の安穏を願い,次第に念仏信仰が広がりつつあった。良忍は,法華,華厳の理をもって念仏称名に解釈を加え,われわれが本来そなえている仏性と宇宙の森羅万象ことごとくが互いに融通し合ってさわりのないことを明らかにし,自他融通の念仏を行じて,ともども浄土往生を期することを本旨とする。日本仏教史上初めての,独立の念仏宗。時とところを問わず念仏を唱えると極楽往生が達成されるという説は,浄土信仰に大きな影響を与え,約 60年後に法然が浄土宗を,その 50年後に親鸞が浄土真宗を開くこととなった。良忍以後しばしば法灯断滅の危機にみまわれたが,7世法明,46世融観によって再興,三興された。大阪市平野区にある大源山大念仏寺を総本山とする。

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百科事典マイペディア 「融通念仏宗」の意味・わかりやすい解説

融通念仏宗【ゆうづうねんぶつしゅう】

日本仏教の一宗派。大念仏宗とも。開祖は良忍(りょうにん)。1117年阿弥陀仏から直接授けられた〈一人一切人,一切人一人,一行一切行,一切行一行〉の偈文(げもん)に基づき,念仏は自他に融通することを信じ,毎日念仏を怠るなと説く。7世法明(ほうみょう),46世融観(ゆうかん)を再興・三興の祖とし,融観の《融通円門章》《融通信解章》によって宗名を確立した。総本山大念仏寺は大阪市平野区平野上町にある。
→関連項目平野郷融通念仏縁起絵巻

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「融通念仏宗」の解説

融通念仏宗
ゆうづうねんぶつしゅう

良忍(りょうにん)を開祖とし,1117年(永久5)に開宗された浄土教の一宗派。本山は大阪市の大念仏寺。1人の念仏の功徳(くどく)がいっさいの人に,他人の念仏の功徳が1人に融通しあい大きな利益(りやく)をもたらすとする。鎌倉中期の導御のとき,壬生(みぶ)で融通大念仏狂言が,清凉寺で融通大念仏会が始まり現在に伝えられる。融通念仏の興隆のようすは,14世紀の良鎮以後多く開版された「融通念仏縁起絵巻」にうかがわれる。

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世界大百科事典(旧版)内の融通念仏宗の言及

【良忍】より

…平安後期の比叡山の僧で融通念仏宗の開祖。尾張の人。…

※「融通念仏宗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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