式部省(読み)シキブショウ

デジタル大辞泉 「式部省」の意味・読み・例文・類語

しきぶ‐しょう〔‐シヤウ〕【式部省】

律令制で、太政官八省の一。文官の考課・選叙・禄賜など人事一般を取り扱い、大学寮散位寮を管理した。のりのつかさ。

のり‐の‐つかさ【式省】

しきぶしょう

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精選版 日本国語大辞典 「式部省」の意味・読み・例文・類語

しきぶ‐しょう ‥シャウ【式部省】

〘名〙 令制で、太政官八省の一つ。朝廷礼式および文官の考課、選叙、賜祿などをつかさどり、大学寮・散位寮を所管した。卿、大少輔、大少丞、大少録などから構成された。二条大路をへだてて大学寮に面し、大内裏のもっとも南側、朱雀門のすぐ東にあった。のりのつかさ。式部の司。式部。〔令義解(718)〕

のん‐の‐つかさ【式部省】

〘名〙 「のりのつかさ(式部省)」の変化した語。

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改訂新版 世界大百科事典 「式部省」の意味・わかりやすい解説

式部省 (しきぶしょう)

日本古代の律令官制における八省のひとつで,大学・散位2寮を管した。天智・天武朝にみえる法官(のりのつかさ)が発展して整備されたもので,内・外文官の名帳を管理し,その採用や勤務評定とこれにもとづく叙位,位記授給の手続,大学などの官人養成機関の監理,貢挙された人々への官人登用試験,論功封賞,地方諸国からの年間行政総括報告である朝集(ちようしゆう)の取扱い,官人の休暇や遣使など,広く文官たちの人事関係全般をつかさどった。職員構成は,卿1人,大輔1人,少輔1人,大丞2人,少丞2人,大録1人,少録3人の四等官(しとうかん)合計11人,その下部に雑任(ぞうにん)として,下級書記役の史生(ししよう)20人,省内の儀礼をつかさどる省掌2人,雑務にあたる使部80人が属した。また農民の力役負担である直丁(じきちよう)5人が配置された。そして713年(和銅6)4月,式部省は人物を選考して,その人材を適切な形で処遇することを職務とし,その責務はほかの省よりも重大であるとして,卿が不在のときは勲績を論じてはならないとしたのは,官制のなかでの式部省の地位を物語る。ついで731年(天平3)11月,これまで式部省が扱っていた武官庁の医師や左・右馬監の帯杖する馬医の評定・叙位,武官の解任にかかわる職務を兵部省に移管したのは,8世紀初めごろの式部省の人事範囲が広かったことを示している。また唐名を吏部(りほう)と呼び,758年(天平宝字2)8月から764年9月まで,唐風に文部ぶんぶ)省と改称された。広く文官全般の人事関係を取り扱う職責の重さから,卿には,のちに政府首班の座についた長屋王藤原武智麻呂(むちまろ),同仲麻呂,同是公や,政界に実権を振るった藤原百川(ももかわ),同種継など,有力官人が就任した例が多い。そして平安時代になると,親王四品(ほん)以上が任ぜられ,〈式部卿の宮〉などと呼ばれた。なお,管轄下の散位寮は,宇多朝に省内へ併合された。
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百科事典マイペディア 「式部省」の意味・わかりやすい解説

式部省【しきぶしょう】

律令制における八省(はっしょう)の一つ。文官の人事,教育などを担当。大学寮散位(さんい)寮を管轄。天智(てんじ)・天武(てんむ)朝にみえる法官が発展したもので,8世紀中ごろには一時文部(ぶんぶ)省と呼ばれた。長官の卿(きょう),次官の大輔(たいふ)・少輔(しょう)らは要職とされ,藤原氏の就任が多かったが,律令国家の衰退に伴って実権を失い,卿は親王,輔は日野・大江・菅原氏らの世襲となった。
→関連項目大学(日本史)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「式部省」の意味・わかりやすい解説

式部省
しきぶしょう

令(りょう)制官司のうちの八省の一つ。唐名は吏部(りぶ)。大宝(たいほう)令・養老(ようろう)令によると、職掌は官人の考課・選叙および大学の運営など。すなわち、官吏の勤務評定や叙位、官吏の養成などを管轄し、律令官人制の運営に中枢的な役割を果たした。職員は、卿(かみ)1人(正(しょう)四位下)、大輔(だいすけ)・少輔各1人、大丞(だいじょう)・少丞各2人、大録(だいさかん)1人・少録3人、史生(ししょう)20人、省掌(しょうしょう)2人、使部(しぶ)80人、直丁(じきてい)5人。所管官司は大学寮と散位(さんに)寮。『日本書紀』の天智(てんじ)・天武(てんむ)紀にみえる法官は、式部省の前身官司と考えられる。812年(弘仁3)に書生(しょせい)30人が置かれた。延暦(えんりゃく)年中(782~806)伊予(いよ)親王が式部卿に任じられてからは、おおむね卿には親王が任じられるのが通例となった。

[柳雄太郎]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「式部省」の意味・わかりやすい解説

式部省
しきぶしょう

律令制における八省の一つ。国家の儀式,文官の考課 (職務の勤務状態,品行の良否を調べて太政官に上申する) ,選叙 (官を授け位を叙す) ,禄賜など人事一般を司った。被官に大学寮,散位寮があった。長官である式部卿には四品以上の親王が任じられ,その下の大輔,少輔には,儒者で主上に読書を教授する侍読をつとめたものが任じられ,のちには日野,菅原,大江氏のなかから選出されるようになった。輔の下には六位相当の大少丞,七位の大録,八位の少録,その他史生,省掌,使部などがいた。丞で五位になった者を式部大夫といい,六位の蔵人で式部丞を兼ねた者を殿上の丞といった。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「式部省」の解説

式部省
しきぶしょう

「のりのつかさ」とも。大宝・養老令制の官司。八省の一つ。大学・散位の2寮を被管にもつ。内外の文官の人事をつかさどった。官人の勤務評定,これにもとづく叙位・任官などに関する事務,季禄・位禄などの給与の支給の事務,官人の特別の功績の判定とその行賞としての功封・功田などの支給にあたったほか,朝廷での諸行事・儀式の進行・統制,大学における官人の養成にもかかわった。大宝令制前の法官が前身官司とみられる。長官である卿には,平安初期から親王を任じるのが例となった。

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旺文社日本史事典 三訂版 「式部省」の解説

式部省
しきぶしょう

律令官制の八省の一つ
太政官の左弁官に属し,文官の名簿の管理・考課・選叙,位記・礼式,位禄・季禄の支給,朝集・学校・試験など人事・儀式・教育全般についてつかさどった。職員には卿 (かみ) 以下四等官があり,平安時代以降,卿は親王から,輔 (すけ) は日野・菅原・大江家などの儒学者をあてる慣例が生まれた。

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世界大百科事典(旧版)内の式部省の言及

【二官八省】より

…日本古代の律令制の官庁組織をいう語。狭義には太政官(だいじようかん),神祇官(じんぎかん)の二官と中務(なかつかさ)省式部(しきぶ)省治部(じぶ)省民部(みんぶ)省兵部(ひようぶ)省刑部(ぎようぶ)省大蔵(おおくら)省宮内(くない)省の八省を指すが,広義には,この二官・八省に統轄される八省被管の職・寮・司や弾正台(だんじようだい),衛府(えふ)などの中央官庁および大宰府(だざいふ)や諸国などの地方官庁を含む律令制の全官庁組織の総体をいい,ふつうは後者の意味で用いる。このような官庁組織は,7世紀後半から8世紀初めにかけて形成された。…

※「式部省」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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