名和神社(読み)ナワジンジャ

デジタル大辞泉 「名和神社」の意味・読み・例文・類語

なわ‐じんじゃ【名和神社】

鳥取県西伯さいはく大山だいせん町にある神社祭神名和長年なわながとし、他に名和一族家臣の霊を配祀はいし。氏殿権現

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精選版 日本国語大辞典 「名和神社」の意味・読み・例文・類語

なわ‐じんじゃ【名和神社】

鳥取県西伯郡大山(だいせん)町にある神社。旧別格官幣社名和長年ほか一族将士をまつる。承応・明暦年間(一六五二‐五八)頃創立。明治一一年(一八七八)氏殿神社を現名に改称。氏殿権現。

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日本歴史地名大系 「名和神社」の解説

名和神社
なわじんじや

[現在地名]名和町名和

長者原ちようじやばら鎮座。祭神は初め名和長年のみであったが、明治一一年(一八七八)に一族の名和長重ほか家臣四一柱を配祀。社蔵の「名和神社略縁起」によれば、承応―明暦(一六五二―五八)の頃、名和長年の屋敷跡とされる地に当地の人たちが小祠を建立して名和長年を祀り、氏殿うじどの権現と称したという。氏殿の名は、住民が長年を「氏の殿」とよんだことによるともいわれる。延宝五年(一六七七)鳥取藩主池田光仲が、家臣大窪友尚の建言により日吉坂ひよしざかの傍らに社殿を造営、移したという(同略縁起)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「名和神社」の意味・わかりやすい解説

名和神社
なわじんじゃ

鳥取県西伯(さいはく)郡大山(だいせん)町名和に鎮座。南北朝時代武将名和長年(ながとし)をはじめ、名和氏一族と家臣42名、従臣200余名を祀(まつ)る。1333年(元弘3・正慶2)長年は、隠岐(おき)を脱出した後醍醐(ごだいご)天皇を伯耆(ほうき)国(鳥取県)船上山(せんじょうさん)に迎え、鎌倉幕府軍と戦い、その功によって伯耆守(かみ)となる。1336年(延元1・建武3)九州より東上してきた足利尊氏(あしかがたかうじ)軍と京都で戦って敗死した。創祀(そうし)は、承応(じょうおう)・明暦(めいれき)(1652~58)ごろに名和氏邸跡と伝えられる地に小祀(しょうし)を建てたのに始まり、鳥取藩主池田公の社領寄進、社地の移動などもあったが、1878年(明治11)別格官幣社に列せられた際、現社名に改名、1883年現在地に遷座された。例祭5月7日。

[平泉隆房]

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百科事典マイペディア 「名和神社」の意味・わかりやすい解説

名和神社【なわじんじゃ】

鳥取県名和町(現・大山町)に鎮座。旧別格官幣社。名和長年をまつる。17世紀半ばに創建。桜の名所として親しまれる。
→関連項目名和[町]

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デジタル大辞泉プラス 「名和神社」の解説

名和神社

鳥取県西伯郡大山町にある神社。南北朝時代の武将、名和長年(ながとし)の一族と家臣の霊を祀る。承応・明暦年間(1652~1657)の創祀とされる。桜の名所。

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事典・日本の観光資源 「名和神社」の解説

名和神社

(鳥取県西伯郡大山町)
鳥取県民の建物百選指定の観光名所。

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