デジタル大辞泉
「臣」の意味・読み・例文・類語
や‐つ‐こ【▽臣/▽奴】
《「家つ子」の意》
[名]
1 古代の最下級の隷属民。財物として売買・譲渡の対象となり、労働に使役された者。家族を構成することができなかった。奴婢。
「住吉の小田を刈らす児―かもなき―あれど妹がみためと私田刈る」〈万・一二七五〉
2 家来。臣下。また、従者。しもべ。
「君をば天とす。―らをば地とす」〈推古紀〉
3 そのものにとらわれて心身の自由を奪われることのたとえ。とりこ。
「ますらをの聡き心も今はなし恋の―に我は死ぬべし」〈万・二九〇七〉
4 人などをののしっていう語。やつ。
「松反りしひてあれやは三栗の中上り来ぬ麻呂といふ―」〈万・一七八三〉
[代]一人称の人代名詞。自分をへりくだっていう語。男女とも用いる。わたくしめ。
「―はこれ国つ神なり」〈神武紀〉
しん【臣】
[名]君主に仕える人。家来。臣下。「不忠の臣」
[代]一人称の人代名詞。家来が主君に対して自分自身をへりくだっていう語。「臣の一存でいたしました」
[類語]家来・臣下・家臣
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しん【臣】
[1] 〘名〙
天皇、主君などに仕える人。臣下。家来。おみ。
※
菅家文草(900頃)一・仲春釈奠、聴講孝経、同賦資事父事君「揚
レ名之義、可
レ請
二益於北闕之臣
一」
※大鏡(12C前)五「この女子のはらめる子、男ならば臣が子とせん」 〔
礼記‐礼運〕
[2] 〘代名〙
自称。主君に対し臣下がへりくだって用いる語。
※
懐風藻(751)大友皇子伝「然臣平生曰、豈有
二如
レ此事
一乎。臣聞。天道無
レ親。惟善是輔」 〔
漢書‐高帝紀・上〕
おみ【臣】
① 主君に仕える人。宮廷に仕える者。男にも女にも言った。おみのこ。おむのこ。
※
書紀(720)仁徳一六年七月・歌謡「水底ふ 於瀰
(オミ)のをとめを 誰養はむ」
② 姓
(かばね)の名。
大化前代に、
畿内の在地有力豪族に与えられた。天武朝に八色の姓により
地位が
低下。
※書紀(720)敏達一二年是歳「
朝列(みかど)に仕へ奉る臣連・二造〈略〉より
下百姓に及るまでに」
おむ【臣】
〘名〙 =
おみ(臣)〔観智院本名義抄(1241)〕
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臣
おみ
古代の姓(かばね)の一つ。語源については「おおみ(大身)」説や朝鮮語で解釈する説があるが、神霊語、敬称語のミに「大」を意味するオを付した尊称に起源すると考えられる。臣は、孝元(こうげん)天皇以前の古い皇裔(こうえい)氏族に多く与えられたが、その出自は信用できない。臣姓氏族は二百数十を数え、その多くは葛城臣(かつらぎのおみ)、蘇我臣(そがのおみ)、吉備臣(きびのおみ)のように居住地の地名を氏の名に負い、皇室の外戚(がいせき)となって権勢を振るうものもあった。このことは、臣姓氏族が君主的で独立的な性格を有していたことを物語る。有力な臣姓氏族の族長は大臣(おおおみ)に任命され、大和(やまと)朝廷の最高責任者となって天皇を補佐した。八色(やくさ)の姓(かばね)制定(684)に際し、臣姓の有力氏族は第二位の朝臣(あそん)を賜姓され、その後も特権的貴族階級を構成した。
[前之園亮一]
『太田亮著『全訂日本上代社会組織の研究』(1955・邦光書房)』▽『阿部武彦著『氏姓』(1966・至文堂)』▽『溝口睦子著『日本古代氏族系譜の成立』(1982・学習院大学)』
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臣 (おみ)
日本古代の姓(かばね)の一つ。語義に諸説あるが仕える者の意で,古くは称号。埼玉県行田市稲荷山古墳から出土の鉄剣銘にみえる〈乎獲居〉の〈〉が〈臣〉の字ならば,臣の称号の用例は5世紀後半にまでさかのぼれる。姓としての臣は主として孝元天皇以前の皇族の子孫と称する皇別(こうべつ)の氏族に与えられ,蘇我臣のように,有力な豪族は大臣(おおおみ)となって,国政に参与した。684年(天武13)に制定された八色(やくさ)の姓のうちの一つである朝臣(あそん)は,臣姓の有力豪族に与えられ,それ以外の氏族は,臣姓にとどめられ,臣は八色の姓では,第6位となる。
執筆者:佐伯 有清
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臣
おみ
古代の姓 (かばね) の一つ。孝元天皇以前の皇胤氏族に賜わった姓。連 (むらじ) が皇室の伴造的氏族であったのに対して,地名を名とした臣姓の氏族は,古くは天皇氏とともに,大和連合政権を形成していたものと思われる。大和朝廷が成立すると,連姓,臣姓の最有力者がそれぞれ大連,大臣となって,政治をとった。臣姓の豪族は,多くの部民と田荘 (たどころ) をもっていたが,大化改新後,私有が廃され,中央集権国家の成立とともに部民,田荘を失った彼らは,官人として再編成された。天武朝の八色の姓 (やくさのかばね) の制では,その有力なものは第2位の朝臣を賜わり,ほかの臣は第6位の臣姓にとどまった。
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臣【おみ】
日本古代の姓(かばね)の一つ。皇別のうちで孝元以前の諸天皇の子孫と称するもの。大和(やまと)盆地を本拠とする臣姓の豪族は,皇室と比肩する勢力をもった。天武朝の八色(やくさ)の姓で臣姓の有力豪族は朝臣(あそん)を与えられ,臣は第6位の姓となる。
→関連項目大臣|連
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臣
おみ
古代のカバネ。もともとは「オオミ(大身)」,つまり勢力のあるものの意か。「新撰姓氏録」では臣姓を称した氏は孝元天皇以前の皇裔氏族とされているが,これらは政治的に造作されたものである。葛城臣・春日臣・蘇我臣などの中央氏族や吉備臣・出雲臣などの地方豪族が,ともに地名を氏の名としている点を考えると,臣姓氏族は地方の大首長的な氏族であったと思われる。これらのうち中央でとくに有力であった氏族は,「臣」に「大」を付す伝承を作りえたのであろう。また684年(天武13)の八色の姓(やくさのかばね)制定に際して臣姓は第6等のカバネとされ,旧臣姓の有力な氏族は第2等の朝臣(あそん)姓を賜った。
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臣
おみ
①大和政権の姓 (かばね) の一つ
②天武天皇が684年制定した八色の姓 (やくさのかばね) の第6位
大化の改新前の連 (むらじ) と並ぶ有力な姓。中央および地方豪族の有力なものに多く,中央の平群 (へぐり) ・葛城 (かつらぎ) ・蘇我 (そが) 氏など有力者は大臣となり国政に参画。
この時,もとの臣のうち,有力なものは朝臣 (あそん) の姓を与えられたが,多くのものはそのまま臣の姓に固定させられた。
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世界大百科事典(旧版)内の臣の言及
【賤民】より
… 中国における奴婢(奴隷と同義)の起源ははなはだ古く,[甲骨文]にもみえているが,その発生の状況を明らかにすることはできない。先秦時代には臣・妾と称せられたが,漢代以後,奴・婢という言葉に置きかえられ,唐代にいたった。原則として,男の奴隷を奴,女の奴隷を婢といった。…
【氏姓制度】より
…
[政治制度としての氏姓制度]
このような制度は,原始共同体において,氏族や部族が社会の単位となった,いわゆる氏族制度とは異なる。もちろん,氏姓制度の基盤も,血縁集団としての同族にあったが,それが国家の政治制度として編成しなおされ,同族のなかの特定のものが,[臣](おみ),[連](むらじ),[伴造](とものみやつこ),[国造](くにのみやつこ),それに百八十部(ももあまりやそのとも)などの地位をあたえられ,それに応ずる氏姓を賜ったところに特色がある。その成立時期は,おそらく5,6世紀をさかのぼらないであろう。…
【伴造】より
… 伴造は狭義には,上位の連のカバネを有するものをのぞいたものを称した。《日本書紀》には,雄略2年以後天武5年までのあいだ,朝廷の有勢者一般を表す慣用句として臣(おみ)・連・伴造・国造(くにのみやつこ)がつかわれる。この場合の伴造は,臣・連(蘇我,巨勢(こせ),大伴,物部などの朝廷有力氏族)をのぞいている。…
【八色の姓】より
…天武の新姓ともいう。《日本書紀》天武13年10月条に〈諸氏の族姓(かばね)を改めて,八色の姓を作りて,天下の万姓を混(まろか)す〉とあり,[真人](まひと),[朝臣](あそん∥あそみ),[宿禰](すくね),[忌寸](いみき),道師(みちのし),[臣](おみ),[連](むらじ),稲置(いなぎ)の8種類があげられている。第1の真人は,主として継体天皇以降の天皇の近親で,従来,公([君])(きみ)の姓を称していたものに授けられた。…
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