ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「畿内」の意味・わかりやすい解説
畿内
きない
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王城の周辺地域に設定された特別の行政範囲。畿内制は中国の『周礼(しゅらい)』にみえ、古代の北魏(ほくぎ)や東魏などで採用され、日本でもこれに倣って設定された。大化改新の詔(みことのり)(646)では、東は名墾(なばり)の横河(よこかわ)、南は紀伊(き)の兄山(せのやま)、西は赤石(あかし)の櫛淵(くしふち)、北は近江(おうみ)の狭狭波(ささなみ)の合坂山(おうさかやま)に画された範囲を畿内国(うちつくに)としている。692年(持統天皇6)には大倭(やまと)(大和)、河内(かわち)、摂津(せっつ)、山背(やましろ)(山城)の4か国を「四畿内」とし、河内に設置された和泉監(いずみのげん)がいったん廃止ののち757年(天平宝字1)に和泉国となってからは五畿内となった。畿内制が実質的に成立したとみられる7世紀後半の天武(てんむ)朝では、畿内は畿外から軍事的に防衛され、官人を任用する地域であった。大宝令(たいほうりょう)でも畿内では調(ちょう)の半分と庸(よう)が免除されており、天皇側近の地として優遇されていた。
[金田章裕]
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…また日本全国を表す語としても用いられた。五畿は山城・大和・河内・和泉・摂津の畿内の5ヵ国をさし,七道は東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道(各項目参照)をさす。畿内は皇都周辺の特別行政地域として646年(大化2)に設置された。…
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