﨟纈(読み)ロウケチ

デジタル大辞泉 「﨟纈」の意味・読み・例文・類語

ろう‐けち〔ラフ‐〕【××纈/××纈】

文様染めの一。布帛ふはくろうで文様を描き、染液中に浸したあとで蝋を取り除くもの。型で蝋を押して文様を表したものが多い。日本には中国を経て伝わり、奈良時代に盛行した。蝋染め。ろうけつ。

ろう‐けつ〔ラフ‐〕【××纈/××纈】

ろうけち(﨟纈)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「﨟纈」の意味・わかりやすい解説

﨟纈
ろうけち

蝋(ろう)染めの古名。「ろうけつ」ともいう。蝋で帛布(はくふ)の部分を覆って防染することにより、模様を染め表した染色品。中国では新疆(しんきょう)省の民豊尼雅(ニヤ)の東漢墓(2~3世紀)より、蝋染めの木綿布が数種発見されており、きわめて早い時期からこの種の技法が知られていたことがうかがわれる。これらの木綿布の蝋染めに対し、隋(ずい)・唐代には絹地の蝋染めが発達し、日本には奈良時代にその技法が伝えられた。正倉院の染色品のなかには『東大寺献物帳』(国家珍宝帳)所載の﨟纈屏風(びょうぶ)をはじめ、その他幡(ばん)、装束など数多くの資料が残されている。﨟纈の施されている裂(きれ)地は、絁(あしぎぬ)や羅など薄地の絹がもっとも多く、綾(あや)や布地のものはきわめて少ない。

 技法は、蝋で片面に防染を施し、染料に浸(つ)けて染めたもので、普通生地(きじ)の色と染め色一色のものが多いが、なかには、途中で蝋を加えながら、二色、三色と重ねて染めた多色のものもある。また蝋で模様を置くのに、スタンプのような型が用いられており、型を1種あるいは2種組み合わせて単位模様とし、これを並列あるいは散らし模様としている。また単位模様をさまざまに使い分け、あわせ用いて、より大きな図様を構成したものもあり、先の﨟纈屏風のように絵画的な模様を染め出すには、型のみでなく、筆による修正や補筆が行われている場合もある。

 奈良時代を過ぎ平安時代に入ると、『延喜式(えんぎしき)』にはその名称がみえているものの、その後﨟纈の技術はいつしか衰退し、以後近代に至るまでほとんど行われていない。おそらくこれは、平安時代の貴族の服飾形態からくる織物偏重の風潮と、また遣唐使の廃止により公の交易が閉ざされるにつれ、蜜蝋(みつろう)のような素材の流入がとだえたことに起因するものと思われるが、その経緯は明らかでない。

 近世になると江戸後期の小袖(こそで)の雛型(ひながた)本のなかに「ろうぞめ」と記されたものがみえ、若干蝋染めが行われていたものと思われるが、その作例は今日まったく残っていない。したがって一般には、近代のいわゆる蝋染めの普及は明治以降と考えられている。近代の蝋染めは奈良時代の﨟纈とはまったく系統を異にし、ジャワのバティックから新しく技術を学び取ったものであるといわれている。﨟纈との大きな違いは、蝋置きに際して型を用いるようなことはせず、蝋を筆につけて模様を自由に描いていくもので、その技法は現在も染色作家たちによって活用されるほか、手芸的な革染めにも応用されている。

[小笠原小枝]

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改訂新版 世界大百科事典 「﨟纈」の意味・わかりやすい解説

﨟纈 (ろうけち)

蠟染の古名。〈ろうけつ〉ともいう。蠟で帛布の部分を覆って防染することにより,模様を染めあらわした染色品。中国では新疆の民豊県ニヤの東漢墓(2~3世紀)から蠟染の木綿布が発見されており,非常に早い時期にこの種の技法が流入していたことがうかがわれる。《一切経音義》にみる西国の〈蠟点纈〉とは,おそらくこうしたものを指したのであろう。隋・唐代には絹地の蠟染が発達し,日本にも飛鳥・奈良時代に伝えられた。正倉院伝世の﨟纈にみる特徴は,蠟で模様を置くのにスタンプのような型が用いられていることで,こうした型を1種あるいは2種組み合わせて単位模様とし,これを並列あるいは散らし模様としてあらわしたものが多い。また,単位模様をさまざまに使い分け,併せ用いて,より大きな図様を構成する場合もあり,〈﨟纈屛風〉のように,立木の下に象や羊を配した絵画的なものもつくられている。こうした大模様の場合には,型のみでなく筆による修正が行われていることも見のがせない。染色は単色染のものが多いが,色を重ねながら蠟を置き加えていったと思われる多色染のものもある。

 奈良時代を過ぎるとまもなく,日本では﨟纈の技術は衰微し,以後近代に至るまで中絶してしまう。これはおそらく平安時代の貴族の服飾形態からくる織物偏重の風潮と,また遣唐使の廃止により,公の交易が閉ざされるにつれ,蜜蠟のような染色素材の流入が絶たれたことに起因するものと思われるが,その経緯は明らかでない。近世になると,江戸後期の小袖の雛形本のなかに〈ろうぞめ〉と記されたものがみえ,若干蠟染が行われていたと思われるが,その作例は今日まったく残っていない。したがって一般には,いわゆる蠟染の普及は明治以降と考えられている。近代の蠟染は奈良時代の﨟纈とはまったく系統を異にし,ジャワのバティックから新しく技術を学びとったものである。﨟纈との大きな違いは,蠟置きに型を用いるようなことをせず,蠟を筆につけて模様を自由に描いていく傾向が強い。その技法は現在も染色作家たちによって活用されるほか,手芸的な皮染などにも応用されている。
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世界大百科事典(旧版)内の﨟纈の言及

【染色】より

…その第1は聖武天皇の遺品の調度類で,屛風類が非常に多い。現在は40扇しか残っていないが,献物帳には6曲100畳があったと記され,このなかに纈(きようけち)屛風が65畳,﨟纈(ろうけち)屛風が10畳記載されている。また屛風の袋には麻に摺文(すりもん)を置いたものが使われているし,箱の袋などにも﨟纈の裂が使われている。…

※「﨟纈」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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