日本大百科全書(ニッポニカ) 「酒器」の意味・わかりやすい解説
酒器
しゅき
酒を入れて注(つ)いだり、飲むための容器の総称。銚子(ちょうし)、徳利(とくり)、杯(さかずき)、杯台(さかずきだい)などが含まれるが、広い意味では酒樽(さかだる)なども酒器とされることがある。酒器は世界各国とも、酒の発生とともに現れたもので、古代においては、木の葉、ヤシの実、牛の角(つの)、竹筒など自然のものを酒器としていた。現在も、これらの酒器を使用している所もみられる。
[河野友美]
日本
日本での酒器は、古代では食器と同じくカシワの葉を杯としていたが、土器がつくられるようになり、素焼の「かわらけ」になった。現在も神事にかわらけが用いられるのはその名残(なごり)である。奈良時代になると金、銀、金銅(こんどう)、めのうなどの名がみられるようになり、平安時代になると木製の朱漆塗りの杯が現れてくる。やがてこの杯は一般化し、杯といえば朱塗りの木杯をさすようになった。現在用いられている陶磁製の猪口(ちょく、ちょこ)は江戸時代の中ごろ現れたもので、これは燗酒(かんざけ)の始まりと並行している。しかし現在も儀式などでは木製の杯が用いられる。
酒を入れる器としては『延喜式(えんぎしき)』に、缶(ほとぎ)(壺(つぼ)形の土器の一種)など土焼の容器が記されている。平安時代になると、大きな徳利形の素焼の瓶子(へいし)や、「さしなべ」とよぶ鍋(なべ)に注ぎ口をつけたものが現れてくる。瓶子は、現在も神社の神事にかわらけと組み合わせて用いられている。さしなべは時代とともに長柄をつけた銚子と、弦(つる)をつけた銚子つまり提子(ひさげ)に分化した。江戸時代になると、提子が変化したとみられる、直接火にかける形の燗鍋も現れてくる。室町時代の後期になると、徳利とよばれる、口が細く胴の膨らんだ背の高い容器が普及した。徳利には小形の燗徳利と大形の貧乏徳利があり、燗徳利は内輪の小宴で、貧乏徳利は酒屋で小買いするのに用いられた。そして銚子は正式の酒宴でのみ使われた。この習慣は現在も残り、婚礼や、正月の屠蘇(とそ)を注ぐ容器として使用されている。また杯も銚子には木杯、徳利には猪口の組合せとなってくる。なお、木杯には杯台が必要であるし、猪口の場合は、杯をやりとりするための杯洗(はいせん)が伴ってくる。徳利と同じく湯で燗をするものに、錫(すず)などの金属製で、把手(とって)と注ぎ口のついた筒形の「ちろり」があるが、これは江戸時代に中国から渡来したものらしい。
酒樽は初めは酒を杯に注ぐための容器であったようである。『正倉院文書』や『延喜式』には樽を罇と書き、酒を注ぐ容器として記され、漆塗りであったところから、酒を保存するのではなく、酒器の一つとして用いていたことがうかがえる。注器の系統を引く樽としては、室町時代にできた四角い箱形の指樽(さしだる)があり、婚礼などに用いられた。江戸時代になると、円筒形の胴の両側に長い柄のついた兎(うさぎ)樽や角(つの)樽がつくられ、黒や朱の漆塗りにして祝儀用にした。角樽はいまも祝い樽として用いられることがある。
[河野友美]
外国
ヨーロッパや、中国、朝鮮半島などのアジアにおいても、酒器の発達は酒の発達と深い関係があり、祭祀(さいし)用に始まって、日常の器も数多くつくられた。中国は歴史が古く、地域も広大なため酒器も多種多様である。殷(いん)代の祭祀用の青銅器類が多く発見されているが、酒容器、杯ともすでに相当進化したものである。杯は觚(こ)、觶(し)、角(かく)などがあり、角(つの)に関した文字が用いられているところから、初めは獣角でつくったとみられる。酒器には爵(しゃく)、尊(そん)などがみられるが、なかでも大形の尊は酒器の代表とされている。尊は容器全体を牛や象などの形にし、背の部分に穴をあけて酒を入れた。鳥の姿に形づくり首を蓋(ふた)にしたり、後世には円形で胴の膨らんだ蕪(かぶ)状や方柱の容器も出現した。
ヨーロッパではワインづくりとともに、それを飲むのに適した杯や、樽、壺形のアンフォーラなどが開発されてくる。獣の角や頭部をかたどった杯、リュトンなどもこのころの酒器として用いられている。ビールや各種蒸留酒がつくられるようになると、さらに、それらの酒にあった酒器が生まれ、実用性のほか装飾性をもつものも多くなった。
[河野友美]