いし‐うち【石打】
〘名〙
① 石を投げつけること。武器、
凶器として用いる場合にも、
遊戯として行なう場合にもいう。石投げ。石合戦。印地
(いんじ)。印地打
(いんじうち)。
※
上井覚兼日記‐天正一四年(1586)七月二七日「彼仁は軈而手負候て死候、右之衆皆々石打に被
レ合候て、散々之式共也」
② (鳥が飛び立つとき、また、降り立つときに、この羽で石を打つからという) 鳥が羽を広げたとき、その
両端に出る羽。端の方より第一の羽を
大石打、第二の羽を
小石打という。
矢羽として珍重された。石打の羽。〔鷹秘抄(14C前)〕
③ (「石打の矢」の略) ②を用いて作った矢。
※源平盛衰記(14C前)三五「十八指いたる鴟(とび)の石打(イシウチ)頭高に負ひ」
④
近世、軍陣の外側に張る幕のいちばん下の部分をいう。横につないだ五枚の布の第五番めの名称。
芝打。〔兵法雄鑑(1645)〕
⑤
婚礼の家や行列に向かって近隣の人や若者仲間などが石を投げつける
風習。本来は村外婚の場合に行なわれ、
酒食を強要する手段にも用いられた。石の祝い。
⑥ 魚が隠れている石に石を叩きつけて魚を捕える
漁法。
⑦ 紐の組み方で、しっかりと堅く組むこと。また、そのように組んだ紐。〔
随筆・
守貞漫稿(1837‐53)〕
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
石打
いしうち
新潟県南部、南魚沼市(みなみうおぬまし)塩沢(しおざわ)の一地区。現JR上越線開通(1925)後は清水(しみず)トンネル越えの機関車の付け替え駅(石打駅)としてにぎわっていた。第二次世界大戦後、首都圏からのスキー客が上越線沿線に集まるようになると、石打はそのメッカとして駅の周辺には七つのスキー場が誕生し、年間100万人のスキー客を集めた。
[山崎久雄]
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石打
いしうち
新潟県南東部,南魚沼市南部の旧村域。六日町盆地の南部にある。 1906年村制施行。 1957年塩沢町,上田村と合体し塩沢町となる。 2005年南魚沼市に編入。魚野川の上流域にあり,JR上越線,関越自動車道沿線で特に名高いスキー地区で,舞子後楽園,花岡,丸山などのスキー場がある。近くの関山には民宿が多く,また上野には鉱泉があり湯治場に利用される。
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石打【いしうち】
新潟県南魚沼市にあるスキー場。大丸山山麓に丸山,花岡,スポーツ振興石打,魚野川対岸に後楽園,舞子高原後楽園,ファースト石打,の各ゲレンデがあり,雪量が多く斜面も変化に富む。上越線石打駅および1984年開設の関越自動車道塩沢・石打インターチェンジに近い。
→関連項目塩沢[町]
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世界大百科事典(旧版)内の石打の言及
【印地】より
…飛礫(つぶて),石打ともいう。印地の語源は不明。…
※「石打」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」