随筆(読み)ずいひつ

精選版 日本国語大辞典 「随筆」の意味・読み・例文・類語

ずい‐ひつ【随筆】

〘名〙 特定の形式を持たず、見聞、経験、感想などを筆にまかせて書きしるした文章。日本の古典では「枕草子」「徒然草」が有名。西洋では小論文、時評なども含めてエッセーと呼ばれるが、日本のものはより断片的である。漫筆。〔文明本節用集(室町中)〕
※人情本・英対暖語(1838)初「ヱヱナニ、種々のことを集めた随筆サ」 〔容斎随筆‐序〕
[語誌](1)日本では、一五世紀の一条兼良東斎随筆」が「随筆」の書名を持つ最初であるが、これは諸書から説話を引用分類しただけのものであった。
(2)近世の伴高蹊は、「枕草子」を分類して「随筆」の用語で呼んでおり、同時代の石原正明には、「年々随筆」等の著書がある。それらからやがて近代のエッセーの訳語としての「随筆」へと移って行く。

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デジタル大辞泉 「随筆」の意味・読み・例文・類語

ずい‐ひつ【随筆】

自己の見聞・体験・感想などを、筆に任せて自由な形式で書いた文章。随想。エッセー。
[類語]エッセー随想小品小文小品文身辺雑記漫文漫筆スケッチ

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「随筆」の意味・わかりやすい解説

随筆
ずいひつ

随筆と称せられる著作は室町時代の一条兼良(かねら)『東斎(とうさい)随筆』が最初であるが、これは先行の諸書から事実談や伝説を引用し分類したもので、一般にいわれる随筆とは異趣である。随筆とは、形式の制約もなく内容も自然・人事・歴史・社会に関する見聞・批評・思索あるいは研究考証など、多岐にわたって筆の赴くままに書き記した散文の著作であり、筆者の個性や資質、才能の端的な表現ともなる。近世の漢学者・国学者らによって文芸の一分野として盛行したが、近代に入って、ことに大正期以後、西欧に発達したエッセイに対応する文学形態として意識されるに至り、文学史のなかにその系譜がたどられるようになった。

[秋山 虔]

日本

平安時代から中世まで

平安時代、清少納言(せいしょうなごん)によって書かれた『枕草子(まくらのそうし)』は、随筆とよばれるにふさわしい最初の著述である。鋭く細やかな感性によってとらえられた自然や人事の種々相が王朝貴族の美意識の極致を示すとともに、後世に規範的意義をもち続けた。南北朝期の兼好(けんこう)の『徒然草(つれづれぐさ)』は、この『枕草子』に触発されて書かれたといえよう。これより先、鎌倉期の鴨長明(かものちょうめい)の『方丈記』も優れた随筆文学と称されるが、これはむしろ明確な構想のもとに叙述された、作者の思想表現の書というべきか。中世に前記の『方丈記』『徒然草』のほか随筆的性格の著作が少なくないのは、王朝以来の伝統的価値観を相対化する転換期の思想表現として、この自由な形式が選ばれたからであろう。鴨長明の著と伝える『四季物語』や一条兼良『小夜(さよ)のねざめ』『樵談治要(しょうだんちよう)』などのほか、数多い法語の類も随筆の範囲に加えられるであろう。

[秋山 虔]

近世

近世に入ると、幕府の文治政策と庶民の知識欲の向上により、当初の啓蒙(けいもう)期を経て上方(かみがた)・江戸それぞれの文化が爛熟(らんじゅく)するが、随筆の盛行もそうした時勢の顕著な表現であり、文化の貴重な証言であるといえよう。斎藤徳元(とくげん)(1559―1647)『尤(もっとも)の草子』、如儡子(じょらいし)『可笑記(かしょうき)』のごとき『枕草子』『徒然草』の体裁を模した擬古典的様式のもの、中江藤樹(とうじゅ)『翁(おきな)問答』『鑑草(かがみぐさ)』、鈴木正三(しょうぞう)『因果物語』、山岡元隣(げんりん)『他我身(たがみ)の上』のごとき教訓的なもの、新井白石(あらいはくせき)『折(おり)たく柴(しば)の記』、曲亭馬琴(ばきん)『いはでもの記』などのごとき自伝的なもの、松平定信(さだのぶ)『花月草紙(かげつそうし)』、太宰春台(だざいしゅんだい)『独語(どくご)』、本居宣長(もとおりのりなが)『玉勝間』などのごとき思想的内容のもの、契沖(けいちゅう)『河社(かわやしろ)』『円珠庵雑記(えんじゅあんざっき)』、安藤為章(ためあきら)『年山紀聞(ねんざんきぶん)』、荻生徂徠(おぎゅうそらい)『南留別志(なるべし)』、土肥経平(とひつねひら)(1707―82)『春湊浪話(しゅんそうろうわ)』、天野信景(あまのさだかげ)(1663―1733)『塩尻(しおじり)』、村田春海(はるみ)『織錦舎(にしごりのや)随筆』、石原正明(いしわらまさあきら)(1760―1821)『年々(ねんねん)随筆』、曲亭馬琴『燕石襍誌(えんせきざっし)』、山東京伝(さんとうきょうでん)『骨董(こっとう)集』、富士谷御杖(ふじたにみつえ)『北辺(きたのべ)随筆』、大田南畝(なんぽ)(蜀山人(しょくさんじん))『南畝莠言(ゆうげん)』、柳亭種彦(りゅうていたねひこ)『用捨箱(ようしゃばこ)』などのごとき考証的なもの、湯浅常山(ゆあさじょうざん)『常山紀談』、伴蒿蹊(ばんこうけい)『閑田(かんでん)耕筆』、菅茶山(かんさざん)『筆のすさび』、根岸鎮衛(ねぎしやすもり)(1731―1815)『耳袋(みみぶくろ)』などの見聞や身辺雑記の類、その他、日記、紀行文、狂文、俳文の類を数えればほとんど無数というべきである。

[秋山 虔]

近代

近代に入ると、明治初期の随筆としては、成島柳北(なるしまりゅうほく)、服部撫松(はっとりぶしょう)、福沢諭吉徳富蘇峰(とくとみそほう)ら新聞人・啓蒙(けいもう)家による社会批評・文明批評、ついで落合直文(なおぶみ)、大和田建樹(たけき)、塩井雨江(うこう)、高山樗牛(ちょぎゅう)ら詩歌人・文学者の美文、北村透谷(とうこく)、平田禿木(とくぼく)ら『文学界』同人による浪漫(ろうまん)的文章などがある。正岡子規(しき)、高浜虚子(きょし)を中心としたホトトギス派の写生文も、子規の『墨汁一滴』『病牀(びょうしょう)六尺』などをはじめ優れた随筆を生み出した。明治20年代以降、近代文学の成立・発展の過程で小説家など文学者の随筆が盛んになった。森鴎外(おうがい)、坪内逍遥(しょうよう)の啓蒙的な文学随筆をはじめ、斎藤緑雨(りょくう)『あられ酒』、幸田露伴(ろはん)『讕言(らんげん)』『長語(ちょうご)』、徳冨蘆花(とくとみろか)『自然と人生』などがよく知られている。明治末から大正にかけては随筆も心境的、人生論的なものが多くなり、作家では夏目漱石(そうせき)『永日小品(えいじつしょうひん)』『硝子戸(ガラスど)の中(うち)』、永井荷風(かふう)『紅茶の後』『日和下駄(ひよりげた)』、島崎藤村(とうそん)『新片町(しんかたまち)より』など、詩人では薄田泣菫(すすきだきゅうきん)『茶話(ちゃばなし)』などがある。

 第一次世界大戦後、ジャーナリズムの急速な発展と大正期の個性尊重主義とが相まって、作者の個性がそのまま出る随筆が盛行し、1923年(大正12)には随筆雑誌の先鞭(せんべん)をつけた『文芸春秋』が創刊され、改造社『随筆叢書(そうしょ)』が刊行されるなどますます読者層を広げ、随筆は西欧のエッセイの要素も含んだ文学の一ジャンルとしての地位を確立した。この時期には専門作家による文学的随筆がしきりに書かれ、芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)『侏儒(しゅじゅ)の言葉』『西方の人』『文芸的な、余りに文芸的な』、佐藤春夫『退屈読本』『文芸一夕話(いっせきわ)』、谷崎潤一郎(じゅんいちろう)『饒舌録(じょうぜつろく)』『陰翳礼讃(いんえいらいさん)』、武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)『筆の向くまま』など多数ある。『百鬼園(ひゃっきえん)随筆』の内田百閒(ひゃっけん)、『もめん随筆』の森田たま、『晩年の父』の小堀杏奴(あんぬ)(1909―1998)は随筆作家として知られているが、寺田寅彦(とらひこ)(吉村冬彦)の科学随筆、佐藤垢石(こうせき)(1888―1956)の釣り随筆、小島烏水(うすい)、田部重治(たなべじゅうじ)(1884―1972)らの山の随筆、そのほか仏文学者の辰野隆(たつのゆたか)、劇作家の高田保(たかたたもつ)、ジャーナリストの大宅(おおや)壮一、筝曲(そうきょく)演奏・作曲家の宮城道雄、洋画家の中川一政(かずまさ)など、各界からの書き手が登場した。

 第二次世界大戦後は、言論の自由とマス・メディアの飛躍的拡大に伴い、自分の見聞・体験・感想を自由に書く随筆は隆盛をきわめ、多様化・流動化する社会に即応して、書き手もスポーツや料理その他あらゆる分野から現れている。戦後の代表的な随筆家としては英文学者の福原麟太郎(りんたろう)、池田潔(きよし)(1903―1990)、西洋古典学者の田中美知太郎(みちたろう)、物理学者の中谷宇吉郎、作曲家の團伊玖磨(だんいくま)、小説家の幸田文(こうだあや)、森茉莉(まり)、随筆家の白洲(しらす)正子(1910―1988)などだが、そのほかにも数えきれないほどいる。優れた随筆・エッセイに与えられる賞としては日本エッセイスト・クラブ賞、読売文学賞の随筆・紀行賞などがある。

[田中夏美]

中国

中国では、特定の内容や文体にとらわれずに思いのまま筆を運んで書き連ねた文章と著述を、古くは「筆記小説(ひっきしょうせつ)」と総称した。おもに読書の覚書、故事や典故の記録と考証、日常の見聞録など、断片的なメモランダムに類するものが筆記であり、こまごまとした瑣事(さじ)や民間伝承などを書き留めたのが小説である。文章には一定の内容とそれにふさわしい文体が必要とされた正統的な文学観からすれば、内容・文体とも雑多なそれらの著述は「雑記(ざっき)」「雑著(ざっちょ)」ともよばれ、一般に価値は低いものとして軽視された。

 筆記小説の類はもっぱら知的興味や単なる好奇心を満たすためのもので、作者の思想や人生観が語られることはまれであるが、気楽なスタイルが人々に愛され、魏(ぎ)・晋(しん)のころから流行し、唐代を経て宋(そう)代で最盛期を迎えた。随筆を書名とする『容斎随筆(ようさいずいひつ)』が現れたほか、筆記・筆録、漫筆・漫録、雑識などの名称をもつ多くの著述が生まれた。

 明(みん)・清(しん)の時代でもこの流行は続いたが、注目すべきは明末の文人によって「小品文(しょうひんぶん)」とよばれる風趣豊かな短い文章が創作されたことである。それらは伝統的な文体を用いつつも字句を練り上げ、人生観や文明批評が語られるといった、今日の随筆に近い味わいをもっている。

 民国以後、西欧の随筆が中国に紹介され、多くの人々が随筆を書き始めたが、初期においては魯迅(ろじん/ルーシュン)の「雑文」で代表されるように社会風刺と時事批判の政治的色彩の濃いものであった。そのなかで、「小品文」の伝統を受け継ぎ、独特の文明批評と人生の洞察を行って成功したのは、周作人(しゅうさくじん/チョウツオレン)と林語堂(りんごどう/リンユイタン)である。中国人は概して随筆の形式を好み、現在も盛んに創作が行われているが、周作人と林語堂以後、成功した作品はあまり多くない。

[佐藤 保]

『『吉田精一著作集 第25巻 随筆の世界』(1980・おうふう)』『『日本の名随筆』本巻・別巻 各100巻(本巻1983~1991、別巻1991~1999・作品社)』『『日本随筆辞典』(1986・東京書籍)』『『随筆辞典』新装3版 全5冊(1988・東京堂出版)』『吉田精一著『随筆とは何か――鑑賞と作法』(1990・創拓社)』『佐藤垢石著『垢石釣り随筆』(1992・つり人社)』『日本随筆大成編輯部編『日本随筆大成』新装版 第1期23巻、第2期24巻、第3期24巻、別巻10(第1期1993~94、第2期1994~95、第3期1995~96、別巻1996・吉川弘文館)』『今関敏子編『日本文学研究論文集成13 中世日記・随筆』(1999・若草書房)』『『寺田寅彦随筆集』全5巻(岩波文庫)』『『斎藤茂吉随筆集』(岩波文庫)』『『荷風随筆集』上下(岩波文庫)』『『谷崎潤一郎随筆集』(岩波文庫)』『『子規三大随筆』(講談社学術文庫)』『『中谷宇吉郎随筆集』(岩波文庫)』『『露伴随筆集』上下(岩波文庫)』『『志賀直哉随筆集』(岩波文庫)』『『鴎外随筆集』(岩波文庫)』『『百随筆』全2冊(講談社文芸文庫)』


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改訂新版 世界大百科事典 「随筆」の意味・わかりやすい解説

随筆 (ずいひつ)

文芸ジャンルの一つであるが,その内容や表現様式は多様である。心の赴くにまかせて,なにくれとなく筆録されたものであり,文章はおおむね断片的かつ短文で,全体の組織構成,順序次第にはとらわれず,自分の見聞や身辺雑事,感懐や体験をつづる。広く世間に読者を期待することもなく,せいぜい親子・友人間などせまい範囲に読まれることは考えられていた。ヨーロッパにおけるエッセーと同じように近代では考えられているが,一部の随筆は似ているものの本質的には異なると考えるべきである。読書の際,興味をひいた条を抜抄した抄録集のようなものも日本では随筆に含めており,この種の文献も決して少なくない。〈随筆〉の2字を書名に明確に使用している文献は,一条兼良(1402-81)の著とされる《東斎随筆》(1巻,成立年不明)が最初といわれる。しかし内容は抜抄した短文の説話を集めたもので,編者は私的な書留という心持であったと推定される。随筆に対する自覚を持ったのは近世に入ってからであるが,成書としては古くから存在した。日本における最初の随筆文学とされる清少納言の《枕草子》は,その3巻本の跋文に〈この草子,目に見え,心に思ふことを,人やは見むとすると思ひて,つれづれなる里居のほどに書き集め〉と記している。文学に限定せずに見渡せば,多くの随筆的な文献が存在している。この系統は絶えることなく近世に至って盛んとなり,近代にも引きつがれたのは,日本人に適した表現様式であるためであろう。

中世の随筆といえば,従来,鴨長明の《方丈記》,吉田兼好の《徒然草》の2点があげられる。しかし《方丈記》は漢文の文章の一体である〈記〉を書名とする。〈記〉は〈紀事〉〈志〉〈述〉ともいい,叙事が主で,筋道を立てて書くことである。さかのぼれば慶滋保胤(よししげのやすたね)の《池亭記》など,平安時代の漢文学にいくつもの作品がある。本来《方丈記》を随筆の範疇に入れるのは当たらないのである。一方,《徒然草》は〈つれづれなるままに,日ぐらし,硯にむかひて,心にうつりゆくよしなしごとを,そこはかとなく書きつ〉けたと序段に見え,文字どおり随筆以外のものではない。《方丈記》《徒然草》の2書を,従来中世の随筆として選択したのは,随筆文学の見地に拠るもので,内容で分類する習慣で今日に至っているため,例えば和歌の随筆は歌書に入れるというように弁別される。したがって今後は,他の部門に含まれている書籍中から拾い出すことによって,日本における随筆を見直すことが可能になるであろう。一貫した統一のもとに構成されてない文献は,随筆としてさしつかえはない。例えば法語の類,《一言芳談》《夢中問答集》なども,宗教書中の随筆として見ることができる。

 日本の随筆は,古くは僧,学者,連歌師,歌人,武士などに著者が限られていたが,近世になると学問の普及とともに俳人,雑学者,町人,下層武士,戯作者へとひろがった。板行された随筆もあるが,写本で伝わったものが断然多く,翻刻されているのはごく一部にすぎない。板本随筆の中には絵入りのものもあり,絵入写本も多少は存する。内容はきわめて多種多様で,回想,自伝,風俗世相,巷談風説,随想,儒学,国学,医学,芸道,見聞,逸話,考証,紀行などにわたり,一概に律しきれない。それらは近世社会のあらゆる事象にわたっており,近世研究に欠かせない資料群である。

 なお近世はきわめて豊富に文献が残り,室鳩巣の《駿台雑話》,松平定信の《花月草紙》,松浦静山の《甲子夜話(かつしやわ)》など著名なものも多いが,ジャンル別に整理して分類しきれないものが少なくない。それらは随筆雑著とされる傾向があり,なかには辞書的なものも含まれている。
執筆者:

近代は随筆においても新たな展開を迎える。伝統的な随筆概念の一方,西欧のエッセーの影響によって,より知的思想的な深みを備えた文章が書かれた。自我意識の覚醒,新聞・雑誌など出版機構の発達は,感想・意見を書いて発表し,また他人がそれを読む機会を促進させた。明治初期にジャーナリズム活動にたずさわった成島柳北,栗本鋤雲(じようん),福沢諭吉らのもの,明治20年代では徳富蘇峰の感想や評論,志賀重昂の風景論などが注目される。だが,近代文学の成立につれて,文学者たちが随筆においても最有力な書き手となり,坪内逍遥,森鷗外のものをはじめ,斎藤緑雨《あられ酒》,幸田露伴《讕言(らんげん)》《長語》,徳冨蘆花《自然と人生》などがまずあげられる。正岡子規たちの写生文は随筆を主領域とする。子規の《墨汁一滴》《病牀六尺》などは死をひかえての感想・観察記録である。明治後期から大正期にかけては,文学史的にも個人史的にも変わり目にあたっており,随筆は自己凝視と表出に適した形式であった。夏目漱石《思ひ出す事など》《硝子戸(ガラスど)の中》,近松秋江《文壇無駄話》,島崎藤村《新片町より》《後の新片町より》,永井荷風《日和下駄(ひよりげた)》,薄田泣菫(すすきだきゆうきん)《茶話》などのほか,漱石門下のいわゆる教養派,白樺派の人々によって個性的思索的感想・記録が書かれている。

 このような趨勢は,1923年の《文芸春秋》や《随筆》という雑誌の創刊,新潮社,改造社の〈叢書〉刊行によっていっそう確かなものとなり,ジャンルの一つとしての地位をもつにいたった。大正末から昭和期にかけて,芥川竜之介,谷崎潤一郎,菊池寛,佐藤春夫らが文学的随筆として洗練度を加えた。内田百閒の《百鬼園随筆》ほか,寺田寅彦の科学随筆も一つの魅力的な随筆文学である。昭和期戦前では,ほかに青野季吉,大宅壮一,柳田国男,辰野隆,森田たまらがあり,戦後は言論の自由,出版機構の隆盛につれて,高田保,河盛好蔵,池田潔,小堀杏奴(あんぬ),萩原葉子ら各層の人々の中から優れた書き手が現れている。多様化する社会的動向にそって,特定の形式・約束に縛られぬ自由な表現形式が機能を発揮しているわけである。
執筆者:

近代以降,西欧の文学に定着しているエッセーのジャンルは,中国には20世紀になってから紹介されたのであるが,それはまだ中国の文学風土に根付いてはいない。モンテーニュやF.ベーコンが中国には出なかったからだとは言えても,しかしそれでは西欧的規準による裁断でしかない。確かに中国にはエッセーと呼ぶにふさわしい作品はきわめて少ないし,〈随筆〉と名のつく代表的な書《容斎随筆》でさえ,その内容は学問的考証で占められている。古来,雑記,雑説,雑録,雑志,雑識とか,漫録,漫筆,漫志,漫抄とか,筆記,筆談,筆乗,叢談,野語,間話などと銘打った,一般に〈筆記小説〉と総称されるものは,大部分は古今の瑣細な事がらや見聞の記録と読書余録的な記述と考証で占められ,著者自身による人生観照や文明批評が語られることは稀である。しかし中国人にとっては,こういう個々の事実や経験の記録そのものが,いわば随筆として享受されたのであり,現在でもそうである。人間内奥の消息や人間性への省察などは,別に詩や文または書簡で開陳された。いわゆる日記文学の中国における未成熟も同様な事情による。ただ明代末期に流行した〈小品文〉(随想類の短い文章)のなかには,まさにエッセーと呼ぶにふさわしい上質の文章が独自な文体で定着しており,中国文学史に新しいページを拓いている。この伝統と近代西欧の教養とを一つに体現した随筆家はただ周作人(しゆうさくじん)だけであった。
エッセー
執筆者:

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普及版 字通 「随筆」の読み・字形・画数・意味

【随筆】ずいひつ

そぞろ書き。宋・洪〔容斎随筆の序〕予(われ)老去して懶(らん)にふ。書を讀むこと多からず。の之(ゆ)く、隨ひてち紀し、其の後先に因りて、復(ま)たすること無し。故に之れに目(なづ)けて隨筆と曰ふ。

字通「随」の項目を見る

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百科事典マイペディア 「随筆」の意味・わかりやすい解説

随筆【ずいひつ】

文芸ジャンルの一つ。主として日本文学で,見聞,思索,感想を筆にまかせて記した文章をいうが,その様式・内容は多様。欧米のエッセーに比べると,主題・方法により一層の自由と,即興的な味わいがみられる。《枕草子》《徒然草》《甲子夜話》などの古典,近代では正岡子規夏目漱石寺田寅彦らによるものが有名。随筆の名を冠したのは一条兼良《東斎随筆》が最古とされる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「随筆」の意味・わかりやすい解説

随筆
ずいひつ
essay

ある題目をめぐって,親しみやすい散文で筆のおもむくままに語るという形式で書かれた文章。題目や筆者の人柄,姿勢などによって多くの種類があるが,ヨーロッパではフランスのモンテーニュの『エセー』の親しみやすい対話風のスタイルと,イギリスの F.ベーコンの『随筆集』のやや硬くて格言風のスタイルが対照的である。イギリスの随筆はモンテーニュの流れをも受入れて独特の伝統をつくり上げたが,その中心人物は『エリア随筆』の作者 C.ラムである。日本では,清少納言の『枕草子』や吉田兼好の『徒然草』,鴨長明の『方丈記』などが古典的な随筆としてよく知られている。近代のものとしては,中江兆民の『一年有半』,正岡子規の『病牀六尺』などがあり,夏目漱石もすぐれた随筆を残している。

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世界大百科事典(旧版)内の随筆の言及

【エッセー】より

…本来この語は日本語の〈随筆〉よりもっとまじめな論考をさすはずである。なぜならこの語の語源は,フランス語動詞の〈エセイエessayer〉,英語の〈アセイassay〉であり,〈試みる〉〈ためす〉を意味するから。…

【日本文学】より

…西洋文学に典型的な表現形式によって,日本文学の作品を整理し,分類しようとすれば,日本人の発明した独創的形式を十分に評価することができない。たとえば《枕草子》以来,日本の著作家が書きつづけて今日に及ぶ〈随筆〉という形式がある。これは西洋の文学的エッセーとはかなりちがう。…

※「随筆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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