犬飼村(読み)いぬかいむら

日本歴史地名大系 「犬飼村」の解説

犬飼村
いぬかいむら

[現在地名]博多区祇園町ぎおんまち博多駅中央街はかたえきちゆうおうがい博多駅前はかたえきまえ一―四丁目・博多駅東はかたえきひがし一―三丁目・比恵町ひえまち博多駅南はかたえきみなみ一―六丁目

那珂なか郡に所属。御笠みかさ川下流左岸の平野部、堅糟かたかす村の西に位置し、西は博多。博多と豊後日田を結ぶ日田街道が通っていた。文治三年(一一八七)八月の筥崎大宮司坪付帳(田村文書/筥崎宮史料)に「いぬかいのほり」五反、文明一〇年(一四七八)一〇月日付筥崎宮神事用途注文(石清水文書/大日本古文書四―二)に「犬飼内ヒンカキ田」がみえる。後者は四月一五日の筥崎宮の神事を行うための料所であったが、文明一〇年当時年貢未納となっていた。戦国時代になると武家領化し、大友宗麟は犬飼一八町分を大津留主税助に給与したが、筥崎宮座主が押領している(一二月一一日「大友宗麟書状」麻生文書/筑前麻生文書)

犬飼村
いぬかいむら

[現在地名]飯山市大字瑞穂

東に万仏まんぶつ(一二七二・七メートル)、西に千曲川とたる川の合流点を控え、南にからす川、北は神戸ごうど村と宮中みやなか丘陵に接する。中世の犬飼郷北条きたじようにあたる地域である。

上杉氏の会津へ移封後は、関・森・皆川・堀・岩城・幕府・松平・幕府・青山・幕府と支配は代わったが、殊に後期には中野なかの中之条なかのじよう、越後川浦かわうら・同脇野わきの町と代官所が移動した。

寛永元年(一六二四)一〇月の幕府領の年貢割付けでは、村高六一四石六斗四合。村の中心は現戸那子となご城の前じようのまえで、枝集落に漆下うるしした(木下ともいう。現富田)と松平遠江守の家中で開いた川原田かわらだ及び三部新田さんべしんでんがある(犬飼共有文書)

犬飼村
いぬかいむら

[現在地名]亀岡市曾我部そがべ町犬飼

北は佐伯さいき、東は南条なんじようてら、南は法貴ほうきの各村。西は山地に続き、山間から流れ出る犬飼川に沿った山麓にある。村内を池田道が通る。

当地を「日本書紀」垂仁天皇八七年二月条に「昔丹波国の桑田村くはたのむらに、人有り。名を甕襲と曰ふ。則ち甕襲が家に犬有り。名を足往と曰ふ。是の犬、山の獣、名を牟士那むじなといふを咋ひて殺しつ。則ち獣の腹に八尺瓊の勾玉有り。因りて献る。是の玉は、今石上神宮いそのかみのかむみやに有り」とある桑田村に比定する説があり、亀山藩編纂の「史徴」の注には「桑田郡名村今名犬飼」としている。中世末には吉田よしだ神社(現京都市左京区)の社領が村内にあり、「兼見卿記」天正五年(一五七七)九月一六日条に、「犬飼村時安名十五石計、代五百疋」と記される。

犬飼村
いぬかいむら

[現在地名]矢部町犬飼・白藤しらふじ

東は白石しらいし村・新藤しんどう村、北は長野ながの村に接し、西を千滝せんたき川が流れる。正平九年(一三五四)八月一三日の肥後矢部郷村注文(阿蘇家文書)に「いぬかい」とあり貫高は一八貫。同一八年阿蘇社に三丈の木一本を供出する村の一つに「やへのいぬかい」がみえる(同年閏一月二五日「阿蘇社造営料木納帳」同文書)。慶長八年(一六〇三)「犬納村」の総高一七五石一升五合が長尾安右衛門に宛行われている(同年一二月九日「加藤清正黒印状」弥富文書)。慶長国絵図に村名がみえる。矢部手永に属し、「国誌」は町村・愛藤寺あいとうじ村などの小村を記す。文政九年(一八二六)の矢部手永略手鑑によれば高二五六石七斗余、田畝六町一反五畝・畑畝一三町八反二畝余、ほかに御藪畝三五町八反四畝余(うち櫨床八町)・御山畝三町四反九畝(うち桑床三反五畝)があった。

犬飼村
いぬかいむら

[現在地名]篠山市犬飼

矢代やしろ村の北に位置し、どろ川が流れる。北に音羽おとわ山がある。中世は犬甘いぬかい保などとみえる。天正一五年(一五八七)九月の酒井庄内高帳写(酒井義一家文書)に犬飼村とみえ、高四九二石余。慶長一三年(一六〇八)の多紀郡桑田津之国帳では高四七五石余。正保郷帳では田高二四二石余・畠高三一石。これ以前に初田はつだ村を、承応三年(一六五四)うし村を分立したという。元禄郷帳では高四八〇石余。

犬飼村
いぬかいむら

[現在地名]香寺町犬飼

須加院すかいん村の北東、いち川右岸に位置し、恒屋つねや川・矢田部やたべ川が市川に合流する付近に立地する。生野いくの街道が南北に通る。慶長国絵図に村名がみえる。正保郷帳では田方三八六石余・畑方五一石余、「かや山有・新田有」と注記される。天保郷帳では高五五八石余。姫路藩の犬飼組大庄屋職を勤めた当村の喜多野家は寛延二年(一七四九)の姫路藩領一揆では打毀に遭っている(「田野村庄屋言上書」清瀬家文書)。享和二年(一八〇二)の菱屋平七長崎紀行(京都大学文学部蔵)には「農家四十軒計リ、茶屋なし」と記される。伊勢山に神明神社があり、竹の宮たけのみや神社を併祀する。秋祭に奉納される獅子舞は県指定無形民俗文化財。

犬飼村
いぬかいむら

[現在地名]五條市犬飼町

吉野川北岸、二見ふたみ村と上野こうずけ村の中間所在。吉野川河畔に深闇みくら城跡(俗称城山)があり、現御蔵みくら橋付近には近年まで深闇渡船があった。明応五年(一四九六)の坂合部殿証文(表野の田中家文書)に「坂合部郷殿際目之事 一、犬飼村上野村際目出入有之」などとみえ、坂合部さかいべ郷に属した。

犬飼村
いぬかいむら

[現在地名]飯高町もり

深野ふかの村の南西櫛田くしだ川の左岸にある。明治二年(一八六九)大指出帳(徳川林政史蔵)によれば家数二五、人数一四五。曹洞宗雲林寺(寺領八斗一升余)・薬師堂・観音堂が記される。明治八年森村となる。高橋たかはし橋の際の森山の辺りの森城跡は、現在五メートル四方の台状地を残すのみとなっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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