日本大百科全書(ニッポニカ) 「灰」の意味・わかりやすい解説
灰
はい
ash
物質を燃焼させたとき、あとに残る粉末をいい、通常はいわゆる灰色をしている。陸上植物を燃やしてできる灰の水溶性成分は、主として炭酸カリウムであり、海中植物では炭酸ナトリウムである。したがって陸上植物の灰はカリ肥料として用いられる。古くから焼畑農業などをはじめとして、現在に至るまで畑で藁(わら)などを燃やした灰が用いられるのはこのためである。木灰の組成は、約30%の炭素分のほかは、ケイ酸分SiO2約30%、アルミナ分Al2O3約5%、カリ分K2O約2%、カルシウム分CaO約5%、リン酸分P2O5約3%であり、そのほかマグネシウム、鉄、ナトリウム、マンガンを含んでいる(これらの組成は木の種類によってかなり変動する)。
練炭や石炭は、植物の分解生成物のほかに鉱物質の成分が混入しているので、これらを燃やして得られる灰は肥料には適さない。植物の灰を水に浸して得られる上澄み液は灰汁(あく)といい、古くから使われたアルカリである。
[中原勝儼]
民俗
日本では、麻などの繊維やトチの実などの食料のあく抜きにも使うが、肥料として用いられることが多かった。農家の自給カリ肥料としては、灰がほとんど唯一ともいえ、おもに畑作(定畑(じょうばた))に使われ、元肥(もとごえ)や追肥、あるいは播種(はしゅ)に灰と下肥、堆肥(たいひ)等を混ぜ、さらに種子を混ぜ合わせて行う所も多い。水田稲作では苗代や本田の元肥、雪解け促進に使われている。記録上では『永昌記(えいしょうき)』の大治(だいじ)4年(1129)の裏文書に「当牧之法、元三以後採柴為灰、入御供田令肥者也」(当牧の法、元三以後柴を採り灰となし、御供田に入れ肥えせしむるものなり)とあり、平安時代末には低木の灰が肥料として使われたことがわかる。しかし灰を肥料とすることはそれ以前からあったと考えられる。肥料としての灰は草木灰が古く、のちに藁(わら)灰や糠(ぬか)灰も使われ、農家では灰小屋、灰屋、焼土(しょうど)小屋などとよぶ小屋を母家(おもや)とは別につくって、ためておいた。この小屋は全国各地でみられ、家の竈(かまど)などの灰や灰焼き(アクヤキ、ハイヤキ)などとよんで、山の草木、笹(ささ)、塵芥(ちりあくた)等を焼いてつくった灰をためた。また灰は甘藷(かんしょ)に多用されたので、埼玉県の川越には灰市(はいいち)が立ったり、この周辺には灰問屋もあり、売買の対象ともなった。江戸時代末の『守貞漫稿(もりさだまんこう)』には、京坂や江戸では灰買いが町屋から灰を買い集めたとある。灰の肥効については、草木灰と藁灰、完全に燃えた白灰と燃え尽きてない黒灰のどれがいちばんよいか、土地によって異なっている。
灰は肥料などに使われるほか、占いや呪(まじな)いにも用いられた。『八雲御抄(やくもみしょう)』(1221ころ)には内容は不明だが灰占いがみえ、また東北・中部地方には十二焼といい、小(こ)正月の粥(かゆ)を煮た燠(おき)を12個並べて消え方と灰のぐあいで1年の天候を占う習俗がある。これと同様な置炭神事(おきずみしんじ)がいくつかの神社でも行われている。呪いには小正月の火祭りの灰は病気除(よ)けになるとか、船で水死人の亡霊に会ったときは灰を落とすと離れるなどがある。灰をめぐる民俗にはこれら以外にまだ多くある。岐阜県では正月初寅(はつとら)の日を灰取正月といい、この日に竈の灰をとると一年中の火の用心になるとする所があり、秋田県には葬式の翌朝の供養を灰納めという所がある。さらに大阪府や山梨県には願掛けや礼参りに灰をかける灰かけ地蔵があり、昔話のなかには灰の発句と題される話も伝わっている。
[小川直之]
『小泉武夫著『灰の文化誌』(1984・リブロポート)』▽『チャコール・コミュニティ編『炭博士にきく 灰の神秘』(1995・ディーエイチシー)』