精選版 日本国語大辞典 「火」の意味・読み・例文・類語
ひ【火】
か クヮ【火】
ふ【火】
ほ【火】
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
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人間は〈文化をもった動物〉といわれるが,火の使用は人間が文化をもつ動物へと進化を遂げるための不可欠の要素であった。火は家屋の中や周囲で料理,採暖,照明,防虫などに用いられたばかりではない。道具の発達との関連でも,火は実に多くの分野で活用された。木材加工では,生木の伐倒や丸木舟(カヌー)の削出しといった大規模な作業から,小は木材を曲げ,堅くし,鋭い先端部を作り出すといった工作に至るまで,火による加工は刃物による加工と並ぶ基本的な木工技術であった。生業面では,狩猟の活動圏を拡大するための野焼き,火・煙による獣の駆出し,あるいは漁火(いさりび)など,火は狩猟・漁労の道具であったし,下って農耕が始まれば,原林野を大規模に開拓する主要な技術である焼畑農法として,再び火が活用された。技術史上の時期を画す土器・陶磁器,冶金術といった技術も,それぞれ火の可能性を引き出すことによって実現したものである。さらに火は戦争の武器,遠隔地の通信,あるいは計時の手段としてさえ用いられた。
このようにして火は人間が自然の中で生き抜くために不可欠の手段だったのであるが,それはけっして火それ自体の直接的効用が有用だったばかりではない。人間が食物を食し,種々の道具類を製作するためには,媒介物としての火を必要としたのである。その意味で火は,人間の特徴である道具中の道具であった。多くの民族の神話が,人間や人間の文化の起源を,人間による火の獲得のモティーフで語っているのも,このような火の根源的な位置を表現したものなのである。
これらさまざまの火の技術の基本には発火の技術がある。これには大別して摩擦法,打撃法,圧縮法,光学法,化学法,および電気法の6種がある。火を知らない民族は皆無であったが,ヨーロッパ人が進出した当初の赤道アフリカの一部のピグミー,インド洋のアンダマン島の人々は発火の技術をもっていなかったことが確認されている。それ以外のすべての民族は,この6種の方法のいずれかによって火を得ていた。
(1)摩擦法 木材などをこすり合わせると摩擦熱とともに木粉が生ずる。摩擦熱で火の粉となったこの木粉を燃えやすい材質の火口(ほぐち)に受ければ,火口を燃え上がらせることができる。この方法は木材などのこすり合わせ方によって,いくつかの方法に分かれる。(a)錐(きり)火きり 世界中のほぼ全域で見られた最も一般的な方法。錐のように細い木棒の先端をもう1片の木の上に当てて回転させる。錐を挟んだ両手をもみ合わせて錐を回転させる〈もみ錐〉,錐に綱をからませ,その綱を左右に引いて錐を回転させる〈綱引き錐〉,この綱の代りに弓に張った弦を用いる〈弓引き錐〉,横棒の両端に1本の紐を結びつけたものとはずみ車つきの錐とを用意し,紐の中央を錐の上端に固定して紐を錐に巻きとらせ,横棒を上下させることによって錐を反転させる〈舞い錐〉,錐を湾曲させて湾曲部を回転させる〈回し錐〉などの諸形態がある。(b)犁(すき)火きり 木棒を木の板の上で前後に動かし,畑を耕す犁のように溝を掘りながら火の粉を生じさせる方法。オセアニア(ポリネシア,メラネシア,ミクロネシア,オーストラリア)で行われていた。(c)鋸(のこぎり)火きり 鋸の要領で材をこすり合わせるもの。これには金鋸方式と糸鋸方式とがある。前者は2片の割竹を直角に当て,一方で他方を切り込むように摩擦させる。後者はじょうぶな蔓(つる)を棒にこすり合わせるものである。鋸火きりはニューギニア,インドネシア,フィリピン,マレー半島などで行われていた。(2)打撃法 文明社会でもマッチの普及する以前は火打石(燧石)と鋼とを打ち合わせる火きりが一般に行われていた。鋼の使用はこの方法が文明の所産であるかのように思わせるが,黄鉄鉱どうし,黄鉄鉱と燧石,黄鉄鉱と石英を打ち合わせても同じ効果が得られる。興味深いことに,この方法は文明社会以外では,エスキモー,フエゴ島民などの採集狩猟民の間で用いられていた。(3)圧縮法 ピストンの中の空気を急速に圧縮すると熱を帯びる。この断熱圧縮の原理を応用したのが〈火きりピストン〉である。インドシナ,インドネシアの農耕民が実用化していた。(4)光学法 凸レンズ,凹面鏡によって集光した太陽光線の熱で火を得るもの。古代ギリシア,ローマ,古代中国ですでにこの方法が知られていた。(5)の化学法と(6)の電気法は近代技術の所産である。マッチの前身は火種から容易に炎を得るために,木の薄片の先端に硫黄を塗ったつけ木であった。
執筆者:清水 昭俊
ゼウスが隠した火を,プロメテウスが天上から盗んできて人間に与えたおかげで,火の利用が可能になったというのは,ギリシア神話の有名な話だが,このように最初の火が,窃盗によって人間の手に入ったという話は,世界中の多くの神話に共通して見いだされる。
ブラジルのジェ族の神話では,かつては火の持主はジャガーだったが,あるとき一人の少年が,高い岩壁(または木)の上に置きざりにされ,餓死しそうになったところをジャガーに助けられ,その養子になって家に連れて行かれ,そこで生まれてはじめて焼いた肉を食べたり暖を取るなどして,火の便利さを教えられた。それから彼は村に帰って,ジャガーの家にある火のことを村人たちに知らせたので,人々はみなで出かけて行って,火をジャガーから盗んできたという。同じブラジルのトゥピ族の神話によれば,火は昔は魔法使いのハゲタカたちによって独占されていた。そこで一人の神が,人間のために火を手に入れようとして,死んだふりをして自分の身体を腐らせて蛆(うじ)までわかせると,ハゲタカたちが集まってきて,死体を料理するために火を燃やした。しかし,火の上に置かれるとたちまち神は生き返って暴れだし,ハゲタカたちを追い払い,こうして手に入れた火を木の中に入れて,人間たちに木を擦り合わせて火を得る方法を教えたという。
ニューギニアの神話では,むかし火を所有していたのは,親指と人差指のあいだに6本めの指を持っていた老女で,火は彼女の右手の6本めの指の中にあった。そのことを知った人間と動物たちは,火をなんとかして彼女から手に入れようと相談し,さまざまな動物が試みたが失敗し最後に長首トカゲが老女の家に行き着き,そこで火で料理された食事をごちそうになった。そして帰りぎわに,老女が左手を出して握手しようとすると,どうしても右手を出せと要求し続け,ついにしかたなく右手を出したところを,その6本めの指をかみ切って持ち帰った。指の中の火をいろいろな木の中に入れたので,それ以来,これらの木を摩擦することによって火が得られるようになったのだという。
ニュージーランドのマオリ族の神話によれば,あるとき英雄神のマウイが,母に命令されて,地下に住む祖先の火の女神マフイカのところまで火をもらいに行った。するとマフイカは,自分の手の指(または爪)を1本引き抜き,そこから火を出して彼に与えた。それを見ておもしろがったマウイは,わざと火を消してしまい,またマフイカのところに戻って女神に別の指を抜かせて火を出させ,こういうことを何回もくり返して,女神に手の指ばかりか足の指まで次々に抜かせてしまった。そこでついにからかわれているのに気がついたマフイカは激怒して,最後の指を抜いて出した火で,世界に大火を発生させ,マウイを焼き殺そうとした。しかしマウイの祈りに応えて天から救いの豪雨が降り,マフイカの火を消した。マウイは危うく死を免れたが,火がすっかり消えてしまう前に,マフイカはいくつかの火花を救い,それを何種類かの木と火打石の中に入れた。このときから人々は,これらの木や石から火を得ることができるようになったという。
ギリシア神話では,人間に火を与えたプロメテウスはまた,家や船や牧畜から文字や数などまで,あらゆる文化を人間に教えたとも言われる文化英雄で,火と結びつきの深い鍛冶神のヘファイストスは,同時にあらゆる技術の神でもあった。このように火と技術や文化を結びつける観念も,当然のことだが,世界中の神話に共通して見いだされる。前述したジェ族の火の起源神話によれば,ジャガーの養子になった少年は,まだ人間には知られていなかった弓矢を養父から与えられ,その使い方を教えてもらった。またジャガーの家に火を盗みに行った人々は,これもまだ人間が知らなかった木綿の糸も盗んできたと言われている。
日本神話でも,神生みの最後に火の神軻遇突智(かぐつち)を生んだ伊弉冉(いざなみの)尊は,その火によって産道に大火傷を負い,ついに死んだと言われているが,《古事記》によれば,カグツチを生む直前にイザナミは,船の神であるトリノイワクスブネと,農作および養蚕の母体となる女神の大気津比売神(おおげつひめのかみ)を生んだとされている。またカグツチを分娩したあとでイザナミは,瀕死の状態で苦しみながら,吐瀉(としや)物や大小便を出すと,その吐瀉物からは金属の神のカナヤマビコとカナヤマビメが,大便からは粘土の神のハニヤスビコとハニヤスビメが,小便からは水の女神の罔象女神(みつはのめのかみ)が生まれたと言われている。火に続いて一方で金属,他方で粘土と水が発生したというのは,明らかにそれぞれ,冶金と土器の起源を意味する。つまり日本神話でも,船,農業,養蚕,冶金,土器などの文化の発生は,火の出現と同時的に起こったこととして,物語られているわけである。
執筆者:吉田 敦彦
火はしばしば〈地上の太陽〉と呼ばれ,授精力や浄化力などの属性を太陽と同じくすると考えられてきた。しかしその象徴的意味は創造と破壊という背反する要素を併せもつ。一方,両者を統合する寓意として,火に焼かれたのち灰から再生するフェニックスの伝説が成立し,試練と再生の象徴ともなっている。火を重要視したゾロアスター教では,人間と雄牛を生む源となった聖火は,同時に光明神アフラ・マズダがこの世に君臨していることの証左として神殿で燃やし続けられた。インドでも火は地上に降りた天界の元素とみなされ,祭礼には聖火がたかれた。その神格化であるアグニは人間のささげる供物を神々に届ける仲介者とされる。
古代におけるイランやインドの火神崇拝は,ギリシアにも間接的に影響したといわれる。ヘラクレイトスは万物の根源(アルケー)を火と考え,ピタゴラスもまた火を基本元素の一つに数え,その理想的形態を正四面体とした。この考えはプラトンに継承され,〈プラトン立体〉の概念に成熟した。またエンペドクレスは地,水,火,風(空気)の四大説を唱え,地に木が生え,水に魚が,空中に鳥がいるように火には霊魂が棲み,天に運ばれると考えた。オリンピック競技の聖火もこれら火への信仰の表れの一つであったと思われる。
火に対するこのような畏敬の念は錬金術にも持ち込まれ,物質および物質に仮託された魂の統合と純化を達成する力とみなされた。また相反する2元素である火と水の結合は,錬金術が目標とした完全性の獲得を意味した。鍛冶師が〈火の親方〉と呼ばれ,シャーマンが〈火の熟達者〉といわれるのも,このような超越的性質を事物に付与する火の呪力にかかわっていよう。この特性により,結婚や豊穣の祭礼など両性の結合や生産を祝う儀礼には松明(たいまつ)やかがり火が欠かせぬ要素となっている。またこれらを主宰するシャーマンたちは,火渡りを行ったり,焼けた鉄棒を素手で握ったりすることで象徴的な接神体験を得たり,神の加護の偉大さを証したりする。
しかし他方,火には破壊の力が秘められている。この恐るべき威力が世界の破滅をもたらすとする〈終末の火〉は,多数の神話や伝承に語られている。北欧神話の〈神々の黄昏(たそがれ)(ラグナレク)〉では,善神と悪神の死闘の後劫火が世界を呑み込むとされる。聖書においても,火によるソドムとゴモラの壊滅,悪魔や背教者が投げ込まれる火と硫黄の池などに,ヤハウェの怒りとしての火が語られる。地中海世界ではヘファイストス(ウルカヌス=バルカン)神や火山の破壊力と重ねあわされ,神罰を象徴するものとして恐怖の対象となった。なお,火については近代の文学や心理学が多数の比喩的表現を生みだしている。詩人W.ブレークは怒りを,S.フロイトはリビドーを火にたとえ,またW.B.イェーツは想像力を火に象徴させている。
ヨーロッパでは古くから聖ヨハネの祝日(ヨハネ祭,6月24日)やクリスマス(12月25日),十二夜,四旬節など季節の祭りに祝火を焚く習慣がある。祝日の前夜に人々が丘や広場に集まり,火壇を作ってこれを燃やし,子どもが火の上を跳んだり歩いたりして無病息災を願った。また,灰や燃えさしを持ち帰り,屋根にまいて落雷除けにしたり,牧草地にまいて家畜の健やかな成育を祈った。これらの火祭は,人々の生活に害をなす悪霊を火の浄化力によって滅却するという意味が込められており,悪霊を象徴する大きな人形を燃やす儀式が随伴する例,魔女およびその化身と信じられた猫やキツネを焚殺する風習もこれに関連するといわれる。
フランス東部ではファッケルFackelと呼ぶ高い櫓を立て,これを燃やす祭りが聖ヨハネの祝日に行われ,邪悪とされるものを火に投じる。イギリスのケルト文化圏では冬の到来を表すサムハインSamhain祭に焚火がたかれ,太陽の復活を祈った。この行事は1605年以来ガイ・フォークス・デー(11月5日)と習合し,かがり火を燃やし陰謀の首謀者フォークスをかたどった奇怪な姿の人形を火にくべる風習を生みだしている。一方,火祭のもう一つの意味は太陽の授精力をもとめる豊穣儀礼にある。ブドウなどの豊作を祈願して四旬節の第1主日に行われるアルザスのシーベシュラーベSchiweschlaweでは,太陽を象徴する火の輪を転がす遊びや火炎円盤投げが見られる。これらの行事は火の輪の動き方で作柄を占った,キリスト教布教以前の習俗に由来するとも考えられている。
ヨーロッパにおけるこれら火祭の起源を,ケルト人の祭礼にもとめる説がある。ドルイドは毎年,五月祭を含む定期的な祭礼に祭壇で火を焚き,神にささげる犠牲を焼いたという。また彼らは太陽を崇拝し転生を信じ,火を最高神の象徴とみなした。そのほかヨーロッパ各地では土着の太陽崇拝儀礼が存在し,火祭を伝承してきたと考えられる。したがって火を用いる儀礼はキリスト教にも数多く取り込まれた。たとえばカトリックでは,復活祭の前日の聖土曜日に〈火の祝別〉が行われる。聖堂内の灯火がすべて消され闇の中で新しい火が点じられるこの儀礼は,古い律法の廃止と新しい律法の布告を象徴する。この新しい火は司祭によってろうそくに移され,古くなった花輪や十字架がその火で焼かれる。またろうそくの炎はキリスト自身とみなされる。
執筆者:荒俣 宏
日本では江戸時代になっても農・山・漁村の人々の日常的な生活は,土座(どざ)一室形式の炉を中心として営まれていた。炉の火は採暖,採光,炊事などに利用され,家の主婦がその管理にあたっており,火種(ひだね)を継いでいく義務とともに,火の神を祭るのがその役割となっていた。したがって火を共有するということが集団の結合の契機となり,女性はその統合者であった。火は出産や婚姻,葬送の儀礼に登場するが,これは母胎から社会へ,自集団から他集団へ,現世から他界へというように,その帰属を移行せしめる媒介として象徴的な意味をもっていた。また神祭の儀礼においても火は多く用いられていて,神を迎えたり送ったりするための中間的役割をもっている。これらは火そのものが天上界の太陽が地上化したものという観念にもとづき,火が神と人とを媒介し,人間界に新しい活力を補強し続ける主体として意味づけられていたと考えられる。大晦日の夜から新年にいたる間に,世継ぎ榾(よつぎほだ)とか歳の火(としのひ)などといって,炉に大きな薪(たきぎ)を入れて焚き続ける行事が各地にあるのも,古い時間が新しい時間を生み出すための,宇宙の再生と永続とを願った行為といえよう。火はまた創造力と神聖性を属性としているが,そのために穢(けがれ)やすいという性格をそなえている。産火(さんび)や死火(しにび)はその一つであるが,出産や死はその機会に血縁関係者が食事を共同にすることから,他の集団に属する者はそれを避けようとしたものと考えられる。
執筆者:坪井 洋文
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普通、「火」は、空気中で可燃物質が行う酸化反応(燃焼)によるものであり、光と熱を発している状態、すなわち「炎」として見ることができる。
[岩城正夫]
人類が火を使って生活していたという確実な証拠は40万~50万年前の北京(ペキン)原人の遺跡から発見されている。遺跡の灰の状態からみて、彼らは火を日常生活で恒常的に、つまり火を絶やさずに使っていたらしいが、そのためには焚火(たきび)ができなければならない。焚火が初期の人類にとって簡単であったとはいいきれない。焚火の技術の簡単でないことは子供に焚火をさせるとわかる。焚火の上手にできる子供が多いとはいえない。ところが火に対する興味は2~3歳の幼児にもある。火への興味の発生とそれを上手に扱うことの間には時期的にかなりのずれがある。同様なことが原始時代にもあったことが想像される。焚火ができるためには火の性質がある程度わかっていること、薪(まき)をくべるタイミングを判断し、作業ができることなどが必要である。そのためには何度か火に出会い、火を扱う機会がなければならないが、それ以前に火を恐れず火に近づく精神構造が確立されていなければならない。動物進化の長い歴史のなかで多くの動物は火を恐れ近づくことはなかったであろうが、人類の祖先は火に興味をもち、近づき観察し、いじくったりしたに相違ない。北京原人が毎日焚火をして生活していたということは、彼らが火の扱いに相当慣れていたということであり、それ以前に人類が火と接触するに至るまでの長い前史が想定されるのである。
人類と火とが出会い、北京原人が火を利用するまでに、少なくとも次の四つの段階が考えられる。(1)人類が山火事などの自然火に興味をもち始め、その残り火などに近づくようになる。(2)恐れつつも火に触れ、一段と興味を深め、触れる機会が増してついに慣れてしまう。(3)火の暖かさ、明るさを知り、利用できることを発見したが、その保存方法はわからない。(4)火を焚火により保存し、恒常的に利用する(北京原人の段階)。そして(5)として必要に応じて火がつくれる段階へと発展していく。(1)(2)は猿人の時代、(3)は猿人~原人の時代、(4)は原人の時代、(5)は旧人の時代と考えられる。(5)の場合、発火法は往復摩擦式の一種(たぶん火溝(ひみぞ)式)が用いられ、効率のよい回転摩擦式や火花式発火法はおそらく新人(クロマニョン人)の段階に発見されたと思われる。
[岩城正夫]
火は人間にとって実用面はもちろん、観念・宗教面においても重要な意味をもっている。人間は火を武器に寒さや猛獣などと戦い、さらに自然の動植物は火にかけられることによって人間の食物となり、土や鉱石は火の熱によって土器や金属器となり、原野は耕地(焼畑)になる。火の獲得は人間を自然・野生状態から文化的状態へと移行させたのであり、火はまさに人間の文化的存在者としての象徴である。そのような火の重要性は、火をめぐるさまざまな信仰や儀礼を生んできた。
火には生産的な側面と破壊的な側面がある。つまり、火は人間の統制下に置かれていれば多くの恵みをもたらしてくれるが、そうでない火、たとえば火山の噴火、山火事などは多くの災いをもたらす。この火の二面性がさまざまな火に対する意味づけの基盤をなしており、そのため一見相反する意味づけがなされることすらある。なお、火には光、明るさという側面と熱という側面の二つがあり、たとえば火への信仰が太陽崇拝の一形態として現れる場合などのように両者が不可分のこともあるが、本項目ではおもに熱としての火の意味を中心に述べ、光としての火は「灯火」の項を参照されたい。
[板橋作美]
人間が火をどのようにして獲得したのかを説明する神話は多く、その内容もさまざまである。代表的な型として四つある。第一は神が人間に火を与えたとするものである。アフリカの民族集団のいくつかにこの種の神話があり、たとえばエチオピアのダラッサ人では、人間が神に火をねだったところ、神は死とともに火を与えてくれたという。第二はいわゆる盗火神話とよばれるもので、プロメテウスがゼウスのもとから火を盗んでくるギリシアの神話が代表例である。第三は体内型といわれ、神や人間や動物の体内から火が取り出されたとするものである。南米ガイアナのアロワーク人では、ある女性の女陰から火が出されたという。日本神話で伊弉冉尊(いざなみのみこと)から火神軻遇突智(かぐつち)が生まれ、そのとき伊弉冉尊は女陰を焼かれたという話もこれに類する。体内型はオセアニア、とくにメラネシアに多く分布し、やはり女性器から出現する神話が多いが、ほかに動物(とくに蛇)から火が取り出される話もある。そのほか、性行為によって火が出る神話も、ニューギニアのマリンド・アニム人などにある。この神話は発火法との関連がよくいわれる。第四は火獲得というより火神誕生の神話で、火神が親の神から生まれたとする。インドのアグニ神が代表例であるが、この類の神話では、北欧の「エッダ」のローキ神や『カレバラ』の火神のごとく、生まれるときに母神を焼き殺したり暴れ回ることが多く、日本の軻遇突智も一面ではこの型に入る。火の起源神話では、しばしば火の獲得とともに農耕や鍛冶(かじ)や土器づくりなどが人間にもたらされる。日本神話でも軻遇突智の出生の前後にそれらと関係する神々が生まれる。アフリカのドゴン人の神話では、鍛冶屋が火といっしょに穀物も盗んでくる。火の獲得が文化の発生であることを神話自身も語っている。また火とともに病気や死も人間界に導入されたとする神話も、プロメテウス神話をはじめ多い。
[板橋作美]
火は、火そのものとして崇拝されることも少なくないが、神格化されて崇拝されることも多い。火神には、インドのアグニ神や日本の軻遇突智のような狭い意味での火神のほか、かまどや炉の神という形をとるものもある。一般に火神は神々のなかでは下のほうに位置づけられていることが多いが、同時に火神はしばしば他の神々と人間との仲介者として働く。アグニ神は「神々の口」といわれ、供物はアグニ神によって神々に届けられる。なお、火神や炉の神は家の守護神とされることも多い。
[板橋作美]
火をめぐる儀礼のおもなものには火および火神に対する崇拝儀礼、火祭、鑽火(きりび)儀礼がある。ゾロアスター教のアタール崇拝は火神に対する崇拝儀礼の代表例である。中国では年末から年初にかけて、かまどの神を天に送りふたたび迎える儀礼が行われる。モンゴルでは食事のとき肉や乳の一部をまず火に捧(ささ)げる。鑽火の儀礼は日本の神社で古い時代から今日まで伝えられている。火祭には中国のイ族やナシ族の松明(たいまつ)祭、かつてのアステカの世紀末の大火祭、日本の鞍馬(くらま)(京都)や吉田(山梨)の火祭など、世界各地にみられる。ヨーロッパでも年中行事として各種の火祭があるが、とくに四旬節と夏至(げし)祭の火祭は盛大である。ヨーロッパの火祭はキリスト教改宗以前の土着の信仰、とくに火および太陽に対する崇拝が基盤にあると考えられる。
[板橋作美]
火は人々を周りに集め、結合させる。そのため火をともにする人々が特定の社会集団単位となることがある。いくつかの言語で家族を意味する語が火に由来する。古代ギリシア語で家族をさす語エピスチオンは「かまどの傍らなる者」の意であり、フランス、イタリアの古語でも火が家族を表す。ヒンドゥー語圏では家族の語にかまどの語を用い、モンゴルでも同様に家族を表す語はかまどの意である。日本の「イエ」も「ヘ」(かまど)に接頭辞「イ」がついたものと考えられる。さらに、日本の徳之島(鹿児島県)の浜下(はまお)りという儀礼のときに一つのかまどをともにする集団はほぼヒキ(同族)ごとに形成される。また北アメリカの先住民5部族からなる連合体イロコイ同盟は聖火を連合の象徴としていた。
[板橋作美]
火は聖なるもので、火にごみなどの不浄な物を投げ入れてはならないとする信仰は北アジアのブリヤート人やサハ人など多くにみられる。とくに女性の月経と出産の穢(けがれ)を嫌い、日本をはじめとしてその間火を別にすることが多い。ミクロネシアのヤップ島では月経中以外のときも女性の穢が移らないよう男は妻と別の炉を使って料理させた。これらには、火を穢さないという考えと、火は穢を伝染させるとする考えがうかがえる。しかし、他方で火は穢や災いを祓(はら)う力をもっているとする信仰も多い。ヨーロッパには浄火の考えが広くあり、火祭のとき以外にも人間や家畜が病気になると火を焚(た)き、その中を通ったり上を跳び越え、また灰を畑にまいたり、水に混ぜて飲んだ。火は魔女の害に対しても有効であり、それゆえ魔女は火刑にされた。このような清めの火は、火のもつ破壊力の象徴的利用である。さらに、同じ火でも神聖な火と穢れた火の2種があると考えることもあり、たとえば日本では、人間の統制下にある火は神聖だが、そうでない火、たとえば失火は穢であるとする考えが、『延喜式(えんぎしき)』(927成)の「失火の穢の有る者」という記述にうかがえる。
[板橋作美]
火が農作物に豊作をもたらし、家畜や人間の女性に性的豊穣(ほうじょう)を与えるとする考えも広くみられる。ローマの伝説には火によって処女が子をはらむ話がある。出産時に火を近くで燃やす習俗も多く、たとえばメキシコの高地マヤ人、アフリカの遊牧民コイ人、アイヌなどで行われた。婚礼時に花嫁が火の儀礼を受けることもよくある。モンゴルでは花嫁は道の両側に燃える火の間を通って婚家に入り、中の炉火に供物を捧げる。日本にも嫁が松明(たいまつ)の間を通り抜けたり、たき火をまたぐ入嫁儀礼がある。これらも火に性的活力を与える力があるとする信仰に基づいているのであろう。また火おこしの過程を性行為とみたてる民族も少なくない。生殖力、生命力としての火は、火の生産的側面の現れといえるであろう。
[板橋作美]
火は絶やしてはならないとされることが多い。とくに火が家族・共同体など特定の集団のシンボルとみなされている場合、火を守ることは集団の存続と結び付き、細心の注意が払われる。他方、火を故意に消して、新たな火をおこすこともよくある。それは、なんらかのくぎりのとき、たとえば年の始まり(古代ギリシア・ローマ)、儀礼の始まりのときが多い。アフリカの採集狩猟民サン人は新しい野営地に移ると新しい火をおこす。また病気などの災いが起きたときに火を改めることもよくあり、ヨーロッパでは家畜に病気がはやると、それまでの火をすべて消し、新たな火をおこして家畜にその上を跳び越えさせ、その火を家に持ち帰って炉に移した。火はさまざまなことの始まりと終わり、あるいは日常性か非日常性を表すしるしとなっている。
[板橋作美]
火はときに二種類に分けられ、異なる意味づけがなされる。アフリカのカンバ人では、家の外の火は男が焼く料理に使い、家の中の火は女が煮る料理に使う。同じくアフリカのイテソ人では、男の火は地面の上でそのまま燃やす裸の火で、女の火は四つの石でつくられる炉で焚かれる火である。東アジアでは一般に家の中の二つの火、つまり炉の火とかまどの火は使い分けられており、前者は家族全員や客にも開放され、形態として密閉されていない開かれた火であり、後者は女性、とくに主婦にほぼ専用され、形態として密閉された閉じられた火である。
[板橋作美]
しばしば火はいろいろな意味における境を表す「しるし」として用いられている。火は時間的、空間的な境界で、日常と非日常の境目で、人と神、俗世と霊的世界の境で燃やされる。そして境に位置することによって、火は一方では何かと何かを分け隔て、他方では両者の媒介をなす。火は自然と文化を分ける。火は神と神を分ける。たとえば日本神話で火神軻遇突智(かぐつち)は伊弉諾(いざなぎ)と伊弉冉(いざなみ)を死別させる。火は神と人とを分ける。たとえばギリシア神話で火を盗んだプロメテウスはゼウスに人と神とを分けるよう命じられていた。火は人と人をも分ける。火はそれをともにする人々を結合させるが、そうでない人々を区別することにもなるからである。しかし、火は同時にそれらをふたたび媒介すると解釈することができる。たとえば火は神と人を結び付ける。火神は人間と神々との仲介者になり、日本のお盆の迎え火と送り火はあの世とこの世の橋渡しを行う。そもそも人間は火を媒介にして自然を利用している。このように火は分離と媒介の二面性をもつために、一方では火は穢を祓い、他方では穢を伝染させるといった二面性をもつのである。
[板橋作美]
『大林太良編『火』(1974・社会思想社)』
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【中国】
中国の新石器時代では,鼎(てい)・鬲(れき)など3本足のついた器と,鍋・釜など丸底の器とを用いて煮炊きした。前者は直接火にかけるので,かまどは不用である。後者は底を支える支脚ないしは胴部をかけるかまどを必要とする。…
…遺跡に残された自然遺物の調査などによって,原人の生計活動は,野生植物の果実,種子,堅果,根茎や小動物などの採集と,各種の有蹄類や象などのような大動物の狩猟からなっていたことが明らかにされている。原人の文化の程度を示す重要な証拠に,火の使用の跡がある。とくに周口店第1地点の堆積層に残された厚い灰の層は,原人が長期にわたって火を管理し,しかもそれを調理に利用していたことを示している。…
…仏教で説く物質の構成要素のことで,地,水,火,風の4種をさす。〈大〉または〈大種〉はサンスクリットmahā‐bhūtaの漢訳語である。…
…やがて,イネ科植物の群落が豊富な,そして有蹄類の群れが多く生息するサバンナ・ステップ地帯で,ある種の植物の栽培化や動物の牧畜化が始まる。このような生業の変革に際して,精巧な石器類とともに原人の時代に端を発したとされる火の使用が大きな力をもたらしたことは容易に想像しうる。火は,食物を食べやすくし,貯蔵を可能にし,道具の製作を助け,生活領域の拡大に力を貸したにちがいない。…
…ゾロアスターZoroasterがイラン北東部で創唱した宗教。その主神アフラ・マズダの名を採って〈マズダ教〉,またその聖火を護持する儀礼の特質によって〈拝火教〉ともよばれる。中国においては,祆(けん)教の名で知られた。…
…火自体を神格化した神または火を支配する神をいう。記紀神話には,伊弉冉(いざなみ)尊をやけどさせて殺した迦具土(かぐつち)神が火の神として登場する。…
…また通例,分家とは本家から田畑,屋敷地,家屋など財産の分与を受けた場合をいい,財産分与を受けない場合をとくにドクリツ(独立)などと呼んで区別している例がみられる。象徴的にみれば,分家とは本家から土地と火を分けた新しい家である。さらに本家をもたない家や村外から転入して来た家が,村での社会生活の必要上,タノミホンケ,ツクリホンケなどと呼んで契約的に特定の家の分家となる例も東北地方にはしばしばみられる。…
※「火」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
血液中の脂質(トリグリセリド、コレステロールなど)濃度が基準値の範囲内にない状態(脂質異常症)に対し用いられる薬剤。スタチン(HMG-CoA還元酵素阻害薬)、PCSK9阻害薬、MTP阻害薬、レジン(陰...
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